第6話

 日が落ちると日中からは想像もつかないような寒気が周囲を覆う。足元から身体に這い登ってくるような寒さ。

「寒いね」

 羽織ったマントの前を合わせながら可彦が呟く。

「焚火がほしいよ」

「そんなことをしたら格好の的ですね」

「そっか。そうだよね」

 ネフリティスの答えに可彦は頷く。

 ネフリティスは寒くないのか、いつもと同じ格好だった。

「中にいればいいのに」

 そう答えたのはミランダ。手に短弓を、背中には矢筒を背負い、腰には短剣を下げている。

「力を合わせようって言い出したのに、それじゃ格好付かないよ」

「格好の良し悪しで命を粗末にするものではないわ」

「あなたの言葉とも思えませんね」

 たしなめるミランダにネフリティスが横やりを入れる。

「……そう……そうね」

 ミランダは小さく応じると、口を閉ざした。

「でもベクヒト、ミランダの言う通りベラルダの傍にいた方がいいのでは?」

 ベラルダは宿の中にとどまっていた。自分も戦うと言って聞かなかったのだが、さすがに皆で押しとどめた。足の悪いアギルマールは見張り台に、クロスボウを携えて上がっていった。その狙撃の腕で名を轟かせたもんだと笑いながら。

「僕だって戦えるよ」

 可彦は手にした戦鎚と盾を構えてみせる。構えてみせるがあまり様になっているとは言い難かった。

「まぁ……たぶん」

「あまり服を傷めないでくださいね」

「……努力はするよ」

「命よりも服の心配? 変ね」

 ミランダが首をかしげながら目を細める。

「それよりミランダも見張り台から狙撃した方がいいんじゃないの? 弓の腕、すごいって僕でもわかるよ」

「矢が余り残って無いの」

 ミランダは背負った矢筒を叩く。

「こんなことになると思っていなかったから」

「雇われたんじゃないんですか?」

 ネフリティスの言葉にミランダは首を横に振った。

「たまたま立ち寄ったの。でもここが気に入ったから……頼んで守備隊長にしてもらったの。ここは本当に……理想的……」

「それより本当に正面からしか攻めてこないの?」

 可彦は心配そうに前を見る。広がっているのは暗闇。

「裏はオアシスが広がっていますから」

 ネフリティスが答える。

「オアシスを血で穢して、価値を下げるのはまずは避けるはずです」

「外聞も悪いし」

 ミランダもネフリティスの答えに頷く。

「今夜のところは正面から力押しして……」

 ミランダの言葉が止まる。

 素早く矢をつがえると放つ。

 矢は光に向かい飛んでいき、浮き上がった人影を射抜いた。

「あなたのおかげでずいぶん楽になったわ」

 それは昼の内に仕掛けた、ネフリティスの魔法。

 石を並べて帯を作り、誰かがそれを越えるとその石が一斉に輝きあたりを照らし出す。単純だが夜襲には効果的な対策だった。

「魔法って便利ね」

 立て続けに矢を放つミランダ。素早くつがえるそばから放っていく。とても狙いをつけているようには思えないが、放たれた矢は確実に敵の数を減らしていく。

「こんな使い方は、わたしじゃ思いつきませんでしたけど」

 ネフリティスが杖を振り上げ、地面に突き立てる。水晶から閃光が放たれ迫る敵に襲い掛かる。

「そうかな?」

 可彦は構えたまま答える。その声は少し震えていたが明るい。この仕掛けを提案したのは他ならぬ可彦だった。

「バルゥのほうもうまくいくといいけど」

「そうですね」

 光の中に浮かび上がった敵兵が隊列を組み始める。各個撃破を避けるように密集隊形に転じ、前面に押し立てた大盾で防御しながら押しつぶす作戦のようだ。

 ミランダの放つ矢は大盾にはじかれ、ネフリティスの閃光は陣形の上で半球形の膜に阻まれるように霧散する。

「相手にも術師がいるようですね」

 杖を構えなおすネフリティス。迫る陣形。その最前列の一人が倒れる。

 見張り台からのクロスボウの狙撃。強力な太矢は大盾を貫通し、仕留めていた。

 しかし隊列は止まらない。再び一人が倒れるが隊列が止まることはない。次の狙撃までに時間が開く。その合間に着実に押し寄せてくる。

 その陣形の横、少し後ろの光の届かぬ岩陰から何かが飛び出した。

 陣形の後ろから悲鳴が上がる。

 悲鳴の中に銀色の筋が細く煌めく。

 陣形後方に飛び込んだのはバルゥ。その身体の小ささを利用して岩陰に伏兵として潜んでいたのである。これも可彦の提案だった。

 警戒の薄かった後方からの襲撃に陣形が大きく崩れる。そこにクロスボウの狙撃が加わる。さらに陣形が乱れる。乱れた陣形にミランダの矢が撃ち込まれる。大盾の守りを失った敵兵が射抜かれる。すでに陣形はその体をなしてはいなかった。

 最後の矢を放ったミランダは腰の短剣を抜き両手に構えると、乱れきった敵兵の中に突っ込んでいく。そのあとにネフリティス、そして可彦が続く。

 先に斬りこんだバルゥは混乱する敵兵の足元を素早く駆け抜け、鎧の隙間を狙って容赦なく突剣で突き刺す。

 ミランダは手にした短剣で頭上から飛び掛かり、あるいは旋風を巻くように斬りかかり、さらには身を屈めて足を払い、倒れた相手を確実に屠る。

 ネフリティスは手にした杖を豪快に振るう。それだけで敵兵は踏み込めず、その隙に放たれる閃光が次々と撃ち倒していく。

一番組みしやすく見えるのだろう、可彦は敵兵の執拗な攻撃にさらされていた。

 慣れない盾と慣れない戦鎚でどうにか攻撃をかわす可彦。しかしいきなりの実戦で、そうそうかわしきれるものでもなかった。

 そしてそのかわしきれなかった攻撃が、可彦にとっての反撃の機会となっていく。

 仕留めた。可彦に襲い掛かった敵兵がその手ごたえを感じた瞬間に、仕留めたはずの相手が戦鎚で襲い掛かってくる。

 何人もの敵兵が、何が起きているのか理解するまもなく、必死になって振るう可彦の戦鎚の餌食になった。

 もはや散り散りに分断され、混乱しきった敵兵は立て直しようもなく、ひとり、またひとりと退却を始めた。

 退却を始める敵兵に追い打ちをかけるようにクロスボウの狙撃が撃ち込まれる。

 背後から狙い撃ちされる恐怖。

 退却は敗走へと変る。

「勝ちましたね」

 ネフリティスの声に可彦は周りを見渡す。

 荒れた大地に累々と転がる敵兵。

 何人倒れているかわからないが、五、六人という数でないのはすぐにわかる。十でも足りない。二十を超えているかもしれない。

 そしてその倒れている敵兵の中には可彦の手にかかった者もいるはずだった。

 しかし何の実感も湧いてこない。

 もっと罪悪感のような嫌悪感のようなそんなものが湧き上がってくるのを予想していた。覚悟していた。

 耐えられずに吐くかもしれない。そんなことも考えていた。

 だが実際にはそんなことにはならなかった。

「……勝ったんだ」

 ただそう言葉が漏れるのがせいぜいだった。

 自分自身が死に過ぎて感情がどこかおかしくなっているのかもしれない。可彦はそんなことを思った。

「大丈夫ですか?」

 ネフリティスが近寄ってくる。

「顔が真っ青ですよ」

「そう?」

 そう言われて可彦は逆に安心を覚えた。蒼ざめるぐらいの感情はまだ残っているということだ。

「怪我してない?」

 ミランダが近づいてくる。

「服が穴だらけだし……血だらけよ」

 可彦は自分の姿を見る。確かに服はあちこちが裂かれ、血の跡がついている。

 自分はこの戦いで何回死んだんだろう。刺し殺されるぐらいでは死なないぐらいまで身体が慣れてしまっているようだった。

「あ、うん……返り血だよ」

「……そう……ならいいけど」

 ミランダはそれ以上追及しなかった。

「とりあえずうまくいったね」

「とりあえず?」

 いつも通り抑揚の少ない口調だが声色が少し高い。

「想像以上の戦果よ」

「マ、大シタコトナカッタナ」

 バルゥも近づいてくる。

「隠レテイル時ノ方ガ辛カッタゾ」

「ご苦労様」

 可彦の声にバルゥはそっぽを向くと宿に向けて歩き始める。

「わたしたちも戻りましょう」

「また敵が攻めてくることは?」

「ここまでやれば、もうないわ」

 ミランダが告げる。

「朝が楽しみ。これならかなりいい条件を引き出せるわ」

「条件?」

「和平の条件です」

 ネフリティスが付け加える。

「それならもっと戦えばもっと条件が良くなるの?」

「それはないわ」

 ミランダは首を横に振った。

「ここで和平を結ばなければ、次はなりふり構わずに攻めてくる」

「なりふり構わず?」

「オアシス側からも攻めてくるし、何より火を使ってくる」

「火?」

「火矢を射かけられたら、手の打ちようもないわ」

 確かにそうだった。こんな乾燥したところで館に火をつけられたらあっという間に燃え落ちてしまうだろう。

「ここで和平を結ぶ。それが最善」

 ミランダはそういって目を細める。それはどこか静寂とした笑みだった。

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