第6話
広く開けた山間の一部、その脇に立ちはだかる崖の一部が大きく削り取られている。それは明らかにひとの手によるものだった。
「意外と広いね」
窪みは十人ほどが横になれそうなスペースがあった。
中央には石を積んだ焚火用の簡単なかまどもある。
「お、薪があるの。使わせてもらおう」
行商人は宿り場の隅に置かれた薪に近づくと腰に下げたいくつもの鞄の一つから何かを取出す。それは一枚の硬貨だった。
その硬貨を岩肌の亀裂に差し込むと、まきを一抱えもって帰ってくる。
「なにをしたの?」
「ん? 見ればわかるじゃろう。薪を持ってきたんじゃ」
「そうじゃなくて、亀裂に何か差し込んでいたじゃない?」
「ああ、薪の代金じゃよ」
行商人はかまどの中に薪を組み上げながら答える。
「薪や食料など、何かを持って来たらあそこに置く。置いたら別の必要なものを持って行ってもいいし、刺さった金を持って行ってもいい。無論ものでなく儂のように代金を置いて使ってもいい。ここはそうやって皆で使っておる」
「じゃあさ、お金も物も何もない場合は?」
「感謝して使わせてもらい、後日返す。返せるときにの」
小さな薪を短刀で削りささくれださせると、腰の鞄から小さな箱を取り出す。
「それって火口箱?」
「そうじゃが……見たことないのか?」
「うん。実物は初めて見た」
「やれやれ。訳ありなのは見ればわかるが、とんだお坊ちゃんの様じゃのぅ」
行商人は手にした二つのものを打ち付ける。硬い音が響き、程なく小さな山のように盛られた粉状のものから煙が上がる。行商人は先ほど作っていたささくれだった薪をその山に近づけ、静かに息を吹きかける。次第に煙が大きくなり、その煙が薄くなると、代わりに小さな炎が湧き上がった。その炎を手早く組んだ薪へと移す。
「さてこれは良し。次はそっちじゃな」
そういって行商人は可彦に向き直る。
「何をどうすればそんな恰好になるのやら」
言われて可彦は自分の姿をしみじみとみる。確かに酷い。
ボロボロのシャツにボロボロのズボン。
しかもシャツには古い染みの上から新しい染みが滲んでいる。
新しい方は明らかに血だ。無論古い方も血だがそこはまだ誤魔化しがきくかもしれない。
しかし血で汚れたシャツを着ているのには変わりはない。
しかもそのシャツを着て本人には怪我をした様子が無い。
血まみれの服を着て平然と動いているさまは、怪我をしているというよりも、誰かを殺して逃げてきた、と見られてもおかしくない。
早く着替えた方が良いのは確かだった。
「これなんかどうじゃ」
出してきたのは目の粗い布でできたシャツと革のズボンだった。シャツの方は肩や膝の部分に革があててあり丈夫そうだ。ズボンの革は丁寧になめしてあるのか程よく柔らかく、それでいてしっかりしており、腰にはベルトまでついていた。
「よさそうですね」
ネフリティスは頷く。
「他には?」
「あとはこんなところかの」
続いて出てきたのはベストとマントだ。ベストは厚い革製で、ちょっとした防具になりそうだし、マントの方は古びてはいたが手触りは毛織物の様で暖かそうだった。
「いいですね」
「まぁ嫌だと言われても小僧が着れそうなのはこれ位しかないがの」
行商人はそういいながら笑った。
「着替えたらどうです?」
「うん」
可彦は新しい服を受け取ると着替え始める。人前で着替えるのは気恥ずかしい気もしたが、それを言い出すのも逆にみっともない気がして黙って手早く着替える。
「ちょっと大きいかな」
「似合いますよ」
「決まりじゃな。で、着ていた服はどうする? 引き取ろうか?」
「え?」
足元に脱ぎ捨てていた服に目を落す可彦。
「これって売り物になるの?」
「見たところ生地は高級品の様じゃからな。流石にそのままでは無理じゃがの」
「それじゃお願いします」
「うむ。他に欲しいものは?」
「それ見せて」
「ん? これか?」
可彦が指差したもの。それは一振りの剣だった。
「ほれ」
手渡された剣を手に取る可彦。
長さは竹刀と同じぐらい。当然ながら竹刀よりは重い。柄には革が巻かれ鍔は柄に対して十字を描くように横に伸びている。柄の先に丸い飾りが付いておりこれで刀身とのバランスを取っているようだ。
鞘から抜くと銀色の刀身が現れる。まっすぐな剣。反りは無論無い。もっとも竹刀にも反りは無いのでその点なじみ深いともいえた。
可彦は剣を携えたまま宿り場の外に出る。
「一、二! 一、二!」
素振りの要領で振ってみる。竹刀に比べればやはりかなり重い。重いが振れないほどじゃない
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