第2話

 そんな夜が三日過ぎたが、結局ネフリティスの口から帝国を出た理由が語られることはなかった。

 洞穴を出てから四日目。険しさも一段落したのか比較的なだらかになった山道をふたりは並んで歩く。道脇には背の低い木々が岩肌の亀裂を突き破るようにしてところどころに茂っている。

 その茂みの陰から一筋の煙が立ち上っている。

 その煙は細くまっすぐに立ち上ると、次第に広がり、空気の中に溶けていく。

「こんなところで人に出会うとは珍しいのぅ」

 その煙はパイプから立ち上っていた。

「しかもオークの娘と人間の小僧とは、面白い組合せじゃな」

 パイプを燻らせながら男はこちらを見る。

「何があります?」

「何でもあるぞ。あるものはな」

 脇に置いてあった大きな荷物をたたく男。どうやら行商人の様だ。座れば灌木にすっぽりと隠れてしまうほどの身長のだが、子供という印象は全くない。身体つきは頑強そのもので、深いしわの刻まれた顔の大半が髭で覆われていた。

「まぁ帰るところじゃったから、あまり期待はしない方がいいかもしれん」

 男はもう一度煙を燻らすと、静かに立ち上がった。

「彼ってドワーフ?」

 小声でネフリティスに尋ねる可彦。ネフリティスが答える前に男が頷いた。

「いかにも儂はドワーフじゃ。小僧はドワーフを見るのは初めてか?」

 可彦は頷く。

「ならば王国から来たのか」

 そう呟きながら荷物を開けようとして行商人の手が止まる。

「そうじゃ。荷を見せる前に一つ頼まれてくれんか? 頼みを聞いてくれれば安くするぞ。どうじゃ?」

「頼みとはなんでしょうか?」

 ネフリティスの答えに行商人は荷物をとじると背中に背負う。

「見てもらった方が早い。ついてきてくれ」

 行商人は歩き出す。その身体は完全に荷物に隠れ、まるで荷物が歩いているように見える。可彦たちも後をついて歩き出す。

 しばらく歩くと目の前が大きく開ける。行く手には広い崖が、そこには一本の吊り橋がかかっているのが見えた。

「あれじゃよ」

 そう言って行商人が見るように促したのは行く手に広がる広い崖でもなく、そこにかかった吊り橋でもなかった。

 吊り橋の前に立つ人物。

 可彦はこれまでこの世界の人間、エルフ、オーク、ドワーフと見てきたわけだが、そのどれとも違う。

 背は低い。ドワーフの行商人よりも低く見える。

 顔はフルフェイスの兜の下に隠れて伺う由もない。ただ顔の左右から暗い灰色の長く尖った耳が横に突き出している。

 猫背気味な上半身には丈夫そうな金属製の鎧を身に着け、がに股な下半身には革とおぼしきズボンに長靴。

 一番目を引くのは左右の手、右手には長く鋭い突剣を、左手には短剣を、それぞれ油断なく構えている。

「あやつが吊り橋を通してくれんのじゃ」

 嘆く行商人。

「あの吊り橋を渡らないと、険しい道を気が遠くなるほど遠回りをせねばならなくなる」

「なんでまたこんなことに?」

「ちと行き違いがあってのぅ」

 言葉を濁す行商人。

「なんにせよ、あやつを何とかしてくれたら安くするぞ」

 まだ何を買うとも言っていないうちから安くすると言うあたりが商人らしいと、可彦は思わず感心した。

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