第6話

 対岸の洞穴に入ってすぐ。そこは広間へとつながっていた。

 ひとめでそこは今までとは違うことがわかる。

 その広間は明らかに何者かの手が入れられていた。

 入り口から見て正面には大きなものが彫られていた跡がある。

 何が彫られていたのは既に崩れていてわからないが、おそらくはここで祀られていた神ではないか、ネフリティスはそう言った。

 壁面にも何かが彫られていた跡。これも多くが崩れていたが一部は動物のようだったり人物のようだったりと見て取れる。

 そして部屋の中央に壁面とは明らかに違う石質の四角い台。

 杖の光を受けて黒く輝るその台の真ん中には丸い皿のようなくぼみがあり、そこから四方に溝が掘られている。

 その溝は台の脇を伝い、さらに床で台を囲むように円状につながると、その溝は正面の姿なき神像の足元へと続いていた。

「これって生贄用の台だよね?」

「そうですね。よくわかりましたね」

「そりゃこれだけあからさまならわかるよ」

 可彦は台を見る。

 中央のくぼみは血を受ける場所だ。

 そこから受けた血が四方に流れ出して、その血が床で集まって神像に流れていく。

 そのための仕掛けなのは明らかだった。

「この神様は生贄を求めたんだね」

「そうともいえませんよ」

 可彦の言葉にネフリティスは異を唱えた。

「勝手に捧げられることもありますし、もっと別の理由で捧げることだってあります」

「そうか……そうだね」

「……余計なことを言いました」

「ううん。大丈夫」

 可彦はその『別の理由』で捧げられる生贄となった身だ。政治という名の神に捧げられる生贄。

「で、ここが目的の祠なの?」

「たぶん」

「たぶんって」

 可彦はその言葉に笑う。ネフリティスは肩をすくめた。

「祠自体よりも、そこを探すという過程が修行だったんです」

「それで成果は?」

「どうでしょう?」

 もう一度肩をすくめるネフリティス。

「修行に成果は求めませんから」

「そっか」

「はい」

 可彦は台に腰を下ろしてネフリティスを見上げる。ネフリティスは笑みを返した。

「……あのさ」

「なんでしょう?」

「試してみない?」

 それは可彦の口から出た唐突な提案だった。それゆえにネフリティスは何を言っているのか理解出来なかった。

 首をかしげるネフリティス。

「……はい?」

「だからさ」

 可彦は台の上に寝転がる。ここにきてネフリティスの顔色が変わった。

「僕を生贄に」

「馬鹿なことはやめてください!」

 ネフリティスは声を張り上げた。

「言っていることの意味がわかっているんですか?!」

「だってほら、僕死なないし」

「単に殺されるのと神に捧げられるのとでは意味が違います!」

 ネフリティスはいつもの雰囲気からは想像も出来ないような激しい剣幕で叫ぶ。叫んでからひとつ深呼吸をし、それからいつもの穏やかな声で、しかし強い力をこめて諭すように話し始めた。

「捧げられれば神のものです。神のものとなれば還ってこれらるとは限らない。いえ、還ってはこれないでしょう」

「でも必ず神のものになるとも限らないんでしょ?」

「それはそうですが」

「僕はここで生贄になる。それが必然のような気がするんだ」

「……ベクヒト……しっかりしてください」

 ネフリティスは可彦を抱き起こすと両手でその顔をつかみ、顔を寄せて正面からその目を見る。手を離した杖が床に転がる音が広間に響く。

 可彦もネフリティスの目を正面から見据えていた。

 その視線はネフリティスの危惧に反してしっかりしたものだった。

「試してみたいんだよ」

 もう一度可彦はネフリティスに言った。正面から見据えたままで。

 それからすこし相好を崩す。

「ネフリティスだって興味あるでしょ?」

「な……」

 ネフリティスは手を離して立ち上がる。可彦を上から見据えてから、少し視線をそらした。

「興味がないといえば嘘になります……でも」

「それなら試してみようよ」

 可彦は再び台の上に寝転ぶ。

「もっともネフリティスがやってくれないなら、自分でやるだけだけどね」

 そういうと可彦は腰の短剣を抜くと自分の左胸にあてがう。

「まって! まって! わかった! わかりました!」

 ネフリティスは手を伸ばすと可彦の手を止める。

「やります。いえ、やらせてください」

「本当? そういって実は止めるための嘘って言うのはなしだよ」

「わたしはシャーマンです。いたずらにこんなことを『やる』などと口に出来るものではありません。たとえそれが方便だとしてもです。『やる』といった以上、きちんと『やり』ます」

「うん」

「そもそもこの生贄台を見るに、ただ心臓を貫けばいいというものではないんですよ?」

「え、そうなの?」

「そうです」

 ネフリティスはあきれたように言葉を続けた。

「確かにそのくぼみに心臓からの血を受けるのでしょうが、そのためには上から骨を避けて真っ直ぐ心臓を貫き、そのまま背中に突き通さなくてはなりません。それを正確に手早く、苦しませずに行うことがどれほど技術のいることかお解かりですか?」

「うん、全然解らなかった」

「……そうですよね。そもそも心臓の場所、正しく解ってます?」

「ここじゃないの?」

 可彦は左胸をつついてみせる。

「そんなところ刺しても苦しむだけです。死ねるかもしれませんけど」

 ネフリティスは杖を拾うとゆっくりと息を吐く。

「シャツは脱いでください。また縫うのは面倒ですし、血が流れるのを妨げるので」

「わかった」

 可彦は上半身をおこすとシャツを脱ぎネフリティスに手渡す。ネフリティスはそのシャツをたたむと袋に入れ、肩から提げたそれを床におろした。そして杖を両手に持つと軽くひねる。

 杖は剣の鞘を抜くように二つに別れ、分かれた頭のほうには長い刃が付いていた。刃というよりも杭に近い。その杭の表面には四方に溝が彫られている。

 ネフリティスはその切っ先を再び寝転んだ可彦の鳩尾のすこし左側にあてがう。

「もうすこし上に……そこでいいです」

 足を動かし身体をずらした可彦の動きが止まる。ネフリティスの唇が小さく細かく動く。

 次の瞬間、可彦は衝撃とともに意識を喪失した。

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