第4話
たどり着いたのは腰を下ろした岩陰から、そびえる岩伝いに歩いて二十歩程のところ、巨岩が崩れたように折り重なったその隙間。積もっていた石を退けると、そこに空洞が姿を現した。
深く暗く、先まで見通すことは出来ないが、確かに湿り気のある涼しい風が流れ出していた。
「ここなの?」
「わかりませんが……」
ネフリティスは手に持った杖の先に付けられた水晶に軽く触れる。水晶は淡く光り始め、次第に眩くなっていく。
「とにかく入ってみましょう。それからこれを」
袋から取り出して可彦に渡したのは一振りの短剣だった。特に意匠に凝ったところもないどちらかと言えば無骨な印象の大きめの短剣。
「とりあえず渡しておきますね」
「何か出るの?」
「わかりませんけど、出てからじゃ渡せないですからね」
ネフリティスは微笑む。微妙な表情を浮かべる可彦に対し、もう一度大きく微笑んで見せる。
それからネフリティスは先頭に立って洞穴の中へと足を踏み入れた。
可彦も渡された短剣を腰のベルトに挿すと、あとについて踏み入れる。
杖の光で照らしだされた洞穴の岩肌は水が染み出ているのか、荒野の乾き切った空気からは想像も出来ないほど水気を含んで輝いていた。
始めはネフリティスの体格では何とか屈まずに通れるぐらいの洞穴が、緩やかに下に向かって進むにつれて次第に大きくなっていく。
「でもこれって本当に祠?」
すでに入り口部分の三倍は広がり、天井もかなり高くなっているが、可彦の目には人の手によるものには見えなかった。
「ただの洞穴なんじゃ……」
「いえ……ここを見てください」
ネフリティスは岩肌に近づくとそこを照らし出し、一箇所を指で指し示す。
「くぼみ?」
そこには確かにくぼみがある。ただ人工的につけられたものかどうかは正直可彦にはわからなかった。
「自然にできたんじゃないの?」
「こっちにもあります」
ネフリティスはそういって反対側の岩肌に歩いていく。
「本当だ」
確かに先ほどのくぼみの対面に同じようなくぼみがある。
「このくぼみが等間隔に並んでいました」
来た道を照らすネフリティス。言われてみればそんなくぼみがあったような気もする。ただ漫然とネフリティスのあとに付いてくるだけだったことを、可彦は心の中で少し反省する。
「何のくぼみだろう?」
「おそらく照明のためかと。松明のようなものを直接挿したのか、灯明を下げる金具が付いていたのか、そこまではわかりませんが……」
返事をしようとした可彦の口をネフリティスが押さえる。可彦はネフリティスの目を見る。ネフリティスも可彦の目を見る。その視線が可彦を離れ、洞穴の奥の暗闇へと移る。自然と可彦の視線もそちらに注がれる。
何も見えない。何も見えないが微かな空気の振動が、耳の奥に伝わり始める。
何かがいる。それが近づいてくる。可彦にもそれだけは理解できた。
ネフリティスは可彦の前に立ち、ゆっくりと杖を構える。可彦も短剣を抜いて脇に立つ。
「ベクヒコは後ろに」
「そんな……女のひと一人になんか任せるわけにはいかないよ」
「あら」
ネフリティスは大きな目をさらに大きく見開いて可彦を見る。
「そんなに変なこと言ったかな?」
「いいえ」
大きく見開いていた目が、今度は細まる。大きな口のその口元が大きくほころぶ。
「でもそんなこと、言われたのは久しぶりです」
確かにネフリティスは体格も良く腕や脚も太い。可彦よりずっと頑強そうに見える。
それにネフリティスは人間ではなくオークだ。
オークにしてみれば人間の可彦のほうがずっとひ弱に見えるのかもしれない。
それでも可彦にしてみればネフリティスは女性であり、可彦は男性であり、守るなどと大それたことは言えないまでも、その背中に隠れているというのは考えられなかった。
「それよりも前! 前! 何か来るよ!」
頬を緩めたまま可彦を見つめていたネフリティスに可彦が声を上げる。
「そうでした」
杖を構え直して前を向くネフリティス。
杖の光と洞穴の闇の狭間から、その正体が這い出してくる。
まず見えたのは大きなはさみ。
そして平たい身体と左右に伸びる複数の脚。
さらに身体の上に反りあがった尾とその先の曲がった針。
サソリ。
可彦の頭が出した結論はそれだった。
しかもかなり大きい。
尻尾を伸ばせば1メートルにはなろうかという巨大なサソリが、何匹も迫ってくるのが今やはっきりと見えた。
ネフリティスは手にした杖を地面に突き立てるとその先の水晶に手をかざす。
水晶の光が強くなり、ネフリティスの手を閃光が蛇の舌のように舐める。
ネフリティスはその閃光を手繰るように手を動かす。
その手に閃光が絡みつく。
閃光の絡みついた手をネフリティスは勢いよく前に伸ばした。
その手から幾本もの閃光が解き放たれ、様々なクランクを描きながら突き進んでいく。
サソリの群れの周りを飛び交う閃光。荒れ狂う雷鳴。漂う異臭。
何匹もの巨大サソリが裏返り、力なくその脚をうごめかせる。
「やった!」
「まだです」
サソリの屍骸を乗り越えて、さらに迫るサソリの群れ。再び放たれる閃光。積み上げられるサソリの屍骸を更なるサソリが踏み越えてくる。三発目の閃光。それも踏み越え迫るサソリ。
四発目の閃光が放たれるよりも先に、最前列のサソリが飛び上がった。
ネフリティスは突き立てた杖をその手に取ると横に薙ぐ。弾き飛ばされたサソリが岩肌に青い体液が飛び散らせながら崩れ落ちる。
「大丈夫ですか!」
飛び込んでくるサソリを杖の石突きで突き刺し、振り払いながらネフリティスは叫ぶ。叫びながら足元に這い寄ってきたサソリを踏みつける。
「なんとか!」
可彦はサソリのはさみを巧みに避ける。避けながらも姿勢は崩さず、その視線はサソリの動きを慎重に追い続ける。剣道の体さばきが思わぬところで役に立っていた。
避ける可彦に突き出されるサソリの尾。可彦はその側面に滑り込むように踏み込むと短剣でその尾を横に切り落とした。
「やった!」
そこに可彦の油断が生まれる。
尾を切り落とされたサソリはその程度で即死するはずもなく、はさみを振り上げると可彦に襲い掛かる。
「あぶない!」
そのサソリをネフリティスの杖が横から突き飛ばす。突き飛ばされたサソリは他のサソリを巻き込みながら転がっていく。
「油断は禁物ですよ」
「ごめん。助かった」
どうにか体勢を立て直し、迫るサソリに向き直す可彦。とはいえやはり避けるのがやっとで、それでも何とかネフリティスの足は引っ張るまいと必死だ。
それにしてもきりがない。次々と湧いてくるサソリの群れ。
「わたしの後ろへ!」
ネフリティスの掛け声に可彦は素早くネフリティスの背後に回り込む。
悔しいがそうするのが一番迷惑がかからないと判断した結果だった。
「進みます!」
ネフリティスは杖を振り上げると今までの優しげな口調からは想像もつかない荒く猛々しい咆哮をあげる。
咆哮が反響して洞穴が震え上がる。
ネフリティスは踏み出した足でまずは一匹を踏み潰すと杖を振り下ろしさらにもう一匹を叩き潰す。
振り下ろした杖を斜め上に振り上げながらさらに二匹を巻き上げる。
そのまま杖の石突きを突き出し、飛び跳ねてきた一匹を突き刺す。
突き刺したサソリを振り払いながらさらに歩みを進める。
手に持つ杖が光の筋を描きながら振り回される。サソリの群れは手当たり次第に蹴散らされていく。
その姿に圧倒されながらも、とにかく足元に転がるサソリの屍骸に躓かないように注意しながら、可彦は後に続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます