第8話

 決戦の地『ユラティオ』

 荒涼とした大地にいくつもの篝火がたかれ、王国軍の陣が敷かれる。

 そのはるか遠くに赤く輝く光の帯。

 それはおそらく帝国軍の陣。

 フォル卿の言った通り、二つの軍は対峙する形で陣を張った。

「夜分失礼いたします」

 王国軍の陣営の中心。一際大きな天幕の中にフォル卿は騎士二人と共に訪れた。

 その中央に設えられた大きなベッド。その中に可彦は横たわっていた。その両脇に女性を伴って。

「なに?」

 可彦は特に驚いた風もなく、ゆっくりと身を起こすと応える。両脇に横たわっていた女性二人も身を起こすとベッドから出る。

 一糸まとわぬ裸。しかしあわてることもなくフォル卿に一礼すると、手早く身支度を整え、もう一度、一礼してから天幕の外へと歩み去った。

「しばしお話を宜しいですかな?」

「うん。ちょっと待ってて」

 可彦は掛けてあった服に手を伸ばすと身に付け始める。流石に寝間着ではなく、謁見の間で着ていた服でもなく、いつも鎧の下に着ている動きやすい戦闘用の服だ。これも可彦のためにあつらえられた品である。

「ずいぶんと女性の扱いにも慣れてきた御様子」

「そんなんじゃないよ」

 可彦はズボンをはくとシャツに手を通しながら照れた様に笑う。

「いよいよ明日だと思うと寝付けなくて」

「如何なる時も女を抱く余裕があるのは良いことです。お若いというのは実に良い」

「そんな茶化さないでよ」

「いやいや」

「さて……おまたせ」

 可彦は脇に置かれたテーブルにフォル卿を促す。フォル卿は一礼すると椅子に座る。可彦も続いて向かいの椅子に座った。フォル卿の背後に控えていた二人の騎士は一礼すると天幕の外に去る。天幕の中には可彦とフォル卿のふたりだけになった。

「重要な話?」

「さようです」

 フォル卿は可彦の目を見つめながら頷く。天幕の中を照らす燭台の光が揺らめくと、フォル卿の顔にできた影が深く動く。

「明日の決戦、ベクヒコ殿は帝国皇帝と相対峙する事となりましょう」

「帝国は皇帝自らが出てくるの?」

 可彦の言葉にフォル卿は頷く。可彦は息をのむ。

「僕で勝てるかな」

「それは大丈夫。心配には及びません」

 フォル卿は笑みを浮かべ大きく頷く。その表情は穏やかで、気を使っての言葉ではなく、本心からそう思っていることを伺わせた。

「そう?」

「そうですとも」

 フォル卿はもう一度頷く。可彦は安堵の溜息をつく。しかし次の言葉がその溜息を詰まらせた。

「勝つ必要はないのですから」

「……え?」

 言葉が染み込んでこない。

「勝つ必要が無いって……どういうこと?」

「簡単です」

 フォル卿は可彦を見つめる。

「皇帝に討たれることこそベクヒコ殿、貴公の務め」

 討たれる? まだ言葉が染み込んでこない。板を流れる水の様に可彦の表面を滑り落ちていく。ただそれでもその言葉は、少しずつ可彦を濡らしていく。

「討たれるって……皇帝に殺されろってこと?」

「端的に言えばそうなりますな」

 フォル卿の表情は穏やかだ。あくまで穏やかだ。ただ揺れる影が穏やかな表情をかき壊す。

「なぜ!」

 可彦は勢いよく立上る。座っていた椅子が倒れ、乱れた空気が燭台の火を大きく揺らめかせる。影によりかき崩れるフォル卿の穏やかな顔。

「言ったはずですぞ、ベクヒコ殿」

 フォル卿は静かに話す。

「どのような結果になろうとも、受け入れるしかないと」

 静かな声。それが逆に可彦を苛立たせる。

「だからって!」

 声を荒げる可彦。しかしフォル卿は眉一つ動かさない。

「まぁ予想通りの反応ではありますな。過去幾人もの勇者をこの地にお連れしたが、いつも最後はこうなるのです。もう慣れ申した」

「それって……」

「そして結局はこうすることになる」

 息が詰まる。可彦はゆっくりと顔を下げる。

 鳩尾から生えた剣。

 その柄を持つのは目の前に立つフォル卿。

 自分の服が赤く染まっていく。

 可彦を貫いた剣が抜かれると、糸を切られた操り人形の様に可彦はその場に崩れ落ちる。

 フォル卿は剣を収めると踵を返し天幕を出る。天幕の入り口にはそこを守るように連れてきた騎士が立っていた。

「帝国に使者を。いつも通りと伝えよ」

 騎士の一人は一礼すると歩み去る。

「勇者殿は皇帝を討つべく単身帝国軍の陣営に向かわれた。ここにはおらぬ。もはやここにはおらぬ。後は任せる。いつも通りにせよ」

 もう一人の騎士も頷く。そして控えていた兵士を連れて天幕に入っていく。

「これで王国は安泰」

 フォル卿は満足そうに頷くと、主を失った天幕を後にした。

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