第1話 接触 Bパート

 希来達を観ていたその怪物は、ゆらりと茂みから表した。

 その姿はまさしく悪魔、骸骨の顔面に日本のツノ。人間じゃありえないほど細く、肋骨がむき出しになったかのようなガチガチの黒い皮膚。折り畳まれているが、それでも背中一面にある巨大な翼。異形の魔物、というのがふさわしかった。


「な、なんだ、アレ……!?」


 作り物にしてはあまりにも迫力がありすぎる、そしてそれから放たれているプレッシャーが彼の意識を混乱させた。

 怪物は口を大きく開き、威嚇をするかのようにかす切れた甲高い声で吠える。


「ヒッ!?」


 それは怪物にとっては些細な行動だったのだが、希来に尻もちをつかせるほど驚かすには十分すぎるものだった。


「クククキキキキ……」


 希来にとっては気色の悪い笑い方をしながら、その怪物はゆっくり迫ってくる。それに釣られるように希来も後ろに下がっていくが、上手く手足が動かない。


(まずい。このままだと、僕ら二人共……!)


 小人は立ち上がって怪物に対抗しようとするが、足の傷が槍を突き刺されたかのように痛み、声を上げて傷を抑えた。


「おまっ……!?」


 大丈夫かと希来が問いたその時、怪物が奇声と翼を広げ彼らに飛びかかっていく。


「うわああああぁぁぁぁ――――!?」


 希来の絶叫が木々にこだまする。怪物の爪先が希来にぶつかろうとしたその時、ドーム上の何かが怪物を遮るように展開し、弾き飛ばした。


「グゥ――――ッ!! 速く、立ってっ……!」


 小人が両手を斜め上に突き出して、怪物から自分達を守ったのだと希来は直感で理解した。だがそんな非日常的な光景は、彼の頭の回転を余計遅くするだけだった。


「え、えぇ……?」

「走って! 速くっ!!」


 小人が希来を叱責した。それでようやく頭が回った希来は、戸惑いながらも立ち上がり怪物に背を向けて逃げていった。


(なんだよ……! なんなんだよ、あれ!?)


 希来はあの怪物に対する疑問が、いくつも思い浮かんできた。あれは一体何者なのか、あれはどこからやってきたのか、そもそもこの世に存在していたのか……。

 しかし、一つだけはっきりと確信出来たことが彼の中にはあった。


(逃げなきゃ。あいつから逃げないと、俺たちここで死んじまう……!)


 そう、死への恐怖。そこに繋がってしまうという確信だった。その心のままに、希来は公園を抜けようと必死で走っていった。

 この公園自体はそんなに広い面積でないため、走ってしまえば割とすぐに出ることができてしまう。眼の前に、出口を示す道路が見えてきた。希来は、とにかくこの公園を抜ければ流石に怪物も追いかけるのをやめるだろうと浅はかにも思ってしまった。

 後もう少しで公園を抜ける、とその時だった。彼らの眼の前にあの怪物が、翼を広げ降ってきたのである。

 希来は絶句した。そんな彼を気に留めず、怪物は迫りくる。自分の人生もこれで終わりか、なんて思っていた希来。しかし、怪物はそこで歩みをやめた。


「……おい、小僧」

「えっ」


 喋った。その怪物は、確かに人間の言葉で希来に語りかけたのだ。思いもよらないことに驚く希来だが、怪物は話を続ける。


「その妖精を渡せ。そうすれば、お前の命だけは助けてやる。お前も、まだ生き足りないだろう?」

「は?」


 希来は不意に手のひらに乗せていた小人、妖精を見た。その妖精は一瞬こっちを見合って、歯を食いしばって動向が開いていた。

希来は、自分がどんな顔をしていたのかがわからなかった。しかしその妖精は、自分の表情を見て確かに恐怖していたのだ。だが妖精の表情が恐怖から苦悶へ、苦悶から覚悟を決めたという表情に変えると希来にとっては、驚くべきことを口にしたのだ。


「……僕が命を差し出せば、この子は見逃すんだな?」

「ハァ……!?」

「僕がお前に喰われれば、この子は喰わないんだな!?」


 声を張り上げて言う妖精。だが、希来にはその声が震えているように聞こえた。怪物は了承の意を込めた唸りを見せた。


「お前っ、何言って……!!」

「ああ、考えてやらんでもない」


 希来の言葉を遮るように、双方の交渉が進んでいく。妖精がつばを飲んだ。


「なら、僕を喰らうがいい。それでこの子の命が助かるなら、魔導戦士として悔いは無いッ!!」


 震える身体を押さえつけるように胸に手を当て、声高らかに叫んだ。


(こいつ、そんなに震えてるのに)

「ほぅ」


 口角を上げ、せせり笑いをする怪物。希来はこの怪物の思うことが、わかってしまった。


(すごく怖いはずなのに、嫌なはずなのに、どうして自分の命を……!)


 希来の心にフツフツと煮えたぎる物があった。その感情の正体を彼は知っていた。


(アイツ、考えてやるとか言ってたけどそんなわけないだろ!)


 これは誰に対するものか、怪物、妖精。いや、何よりも自分に対する物だ。


「おい、聞いていたかぁ? 小僧。その妖精は、お前の為に自分の命を俺様に捧げるとよォ?」


 何もできない、しようともしない自分自身に対する怒りだ。怪物に対する明らかな反抗心が、彼の中で芽生えていく。


「……僕をアイツに。そうすれば君は――――」

「――――嫌だ」

「え?」

「……あァ?」


 希来の発したことに妖精は驚きを、怪物は苛立ちを覚えた。しかし希来にとって、そんな二人の思うことなぞどうでもよかったのだ。彼の心は、もう既に決まっていたのだから。


「アイツに、あんな奴にお前を引き渡すなんて……! そんな怖がっている顔してんのを見たら、できるわけないだろ!!」


 希来は自分の思いの丈を、妖精にぶつけた。気が狂った、と言えばそうなのかもしれない。だがこの状況を見過ごして、おめおめと家に逃げ帰ってしまうほど四葉希来という少年は、素直ではなかった。

 希来は、怪物を睨みつけて言い放った。


「お前には絶対に渡さない、絶対に」


 低い声で言った彼の足は、この一触即発の状況を前にして後に引けないという引け目で刻みに震えていた。


「ほぉう……。威勢が良いなァ、小僧?」


 怪物は、その額に青筋を少しずつ増やしていく。


「あまりこの俺を」


 そして、ジリジリと距離を詰めていく。希来も、妖精を護るように身を寄せ足を引く。


「怒らせるなよォ!!」


 怒り心頭で、喉を締め付けたような奇声と共に火玉を吐いた。その火玉が希来たちの足元近くに付くと、爆発。かろうじて妖精の張ったバリアでやけどは負わなかったものの、爆風で五メートルほど吹き飛んでしまう。

 妖精を守るように受け身を取った希来。距離が少しでも離れたのを認識すると、直ぐ様立ち上がり先程とは反対方向、つまり公園の中心に向かって走っていった。当然怪物も翼を広げ、希来たちを追いかけていく。

 打ち付けた左足の痛みに耐えながらも、希来は懸命に走り続けた。森林公園の深く、奥深くに入っていく。


(この公園って、こんなに広かったっけ……?)


 ここに来て、希来あることに気づいた。さっきから同じ道を何周も、まるで円を描くように周っていることにだ。その異常性に、彼は思わず立ち止まってしまった。


「どうなってんだ、この公園こんなに広かったっけ……?」


 ぜえぜえ息を切らしながら言う希来。その答えを知っている人物は、彼の側に一人いた。


「結界だよ。あの怪物『魔獣』が、この公園一体に閉鎖空間を作って、まるでメビウスの輪みたいに道と道をつなげてるんだ」

「は? なんだよそれ!」


 そんなの反則だろ。そう叫びたい希来であったが、目の前に降りてきた魔獣がそれをさせてくれなかった。


「そうだともッ! 小僧、そんなチビを助けたばかりに命を無駄にしたなァ?」


 その魔獣は、まるで漫画のボスのようなセリフを言い述べた。希来は、また反対方向へ逃げ去っていく。


「フン、まぁ遊んでやるのも悪くないか……」


 どうせ、こちらが連中を喰らうのは確実なのだから。魔獣は恐ろしくも、心身ともに痛ぶり尽くしてから彼等を喰い殺そうと策を立てた。

 翼を閉じて、木の上に登る。天敵が迫り来る恐怖を与えて、希来達の気力を削ぐつもりだった。しかし、当の希来達も追われているばかりではなかった。


「なぁ、お前! アレの事知ってるんだろ!?」

「えっ、う、うん!」

「なら、アイツを追っ払う方法とか何も思いつかないのかよッ!」

「追い払う方法…………」


 妖精は深く考え込んだ。その中身は希来の知る余地はないが、一瞬時が止まっているかのように感じた。


「どこに行ったァァァァ――――!?」

「ヤッバ……!」


 いつまでも立ってるままでは流石にまずい、希来はどこか身を隠せそうな場所を探して、小木陰に身を隠した。


「ねぇ」

「ん?」


 妖精が顔を上げた。希来は、その問いかけに少し緊張が湧いてくる。周囲を気にかけながらも、妖精の話に集中する。


「方法はあるけど……、とても危険だ。命の保証はできないよ?」

「……このままだと保証もクソも、生き残ることすらできないだろ」


 こんな状況だ、生きるためならなんだってやってやる。希来にそんな覚悟が芽生えてくる。しかし、この後それは簡単に覆りかけることになる。


「…………そうだね。ならもう一度確認させて。君、あの魔獣と戦う覚悟はある?」

「……はい?」


 希来は思わず耳を疑った。今この妖精は何と言ったのだ? 自分が、あの怪物と戦う?


「じょ、冗談だろ?」


 希来は大いに動揺してそう言わざるを得なかった。妖精は、しっかり彼と向かい合って強く否定した。


「ううん、冗談なんかじゃない。君が、いや正確には君と僕が力を合わせて、あの魔獣を倒すんだ。もし倒せなくても、追い払うことはできると思う」


 その妖精の顔は真剣そのものだ、冗談を言ってるようには見えない。だが希来は妖精の意図がわからなかった。もっとも、そんな力なんか持ち合わせていないと思っている彼にとっては、当然のことであった


「ちょちょちょ、ちょっとまって! 追い払うたってどうやって? お前と俺が力を合わせて、一体何ができるんだよ!?」


 そんな悠長な話をしてる場合ではない、一刻も速く逃げなくてはならない。そう焦る気持ちが、さらに彼を不安に駆り立てる。

 しかし妖精は、次に行うことを声を低くして言い放った。


「フュージョンするんだ」

「はぁ? フュージョン?」


 間抜けな声を出してしまった希来。その言葉の意味自体は知っていたが、突拍子も無いことだったのでそんな返しをしてしまったのである。


「ええと、フュージョンって言うのはその通り僕と君とが融合するってことで……」

「いやそんなことはなんとなくわかるよ」


 そんな希来の反応を見て理解できていないと見て解説をし始めた妖精だったが、希来はニュアンスでなんとなく理解していたため、少し冷たくツッコミを入れる。

 だが一つ疑問もあった。


「融合ってのは、こうどんな感じなんだ? 具体的に言って、アニメみたいに二人が混ざり合って……とか」

「そこ? あ、いや、なんというか僕が君の中に入ってそこで色々サポートする感じかな? この足だから、身体を動かしたりとかできないけどそれ以外なら、なんとか」


 希来は頭におぼろけだがどんなイメージなのかがきちんと想像できた。つまるところ自分が巨大ロボで妖精がそのパイロットといったところか。


「…………それって、融合じゃなくて合体じゃね?」


 希来は自分の中で想像している融合とは違うことに疑問を抱いた。しかし、返答はかなり無情だった。


「どう違うの、それ」


 そう返されると、さすがに言葉の意味すら把握してなかった希来はたじろいでしまう。


「えっと、それはだなぁ……。んんんん、もう! とにかく、それをすればアイツを追っ払えるかもしれないんだな?」


 結局説明できなかったがために、誤魔化しつつ確認をとる希来。妖精は、少し驚いたような拍子抜けしたような表情で頷いた。


「んで、それはどうやってするんだ?」

「それは……」

「お祈りは済んだか?」


 それまで聞こえてこなかった第三者の声、頭上から聞こえたため上を向いてみると、そこには猿のように木に座っている魔獣がいた。思考が止まったが、希来の危機管理能力が直ぐ様足を動かした。

 希来は後ろに下がりつつも、魔獣を見やすい位置に移動した。それを見計らって、魔獣は木の実のようにボトっと落ちる。

 どうにかなりそうな気分でありながらも、希来は魔獣をにらみ続ける。


「お? オオ? お前、まだやるつもりなのか? 随分威勢が良いなァ」


 わざとらしく足音を立てて迫る魔獣。それに合わせて引き下がりながら、希来は妖精に耳打ちする。


「…………さっきの方法ってどうすんの?」

「えっと、フュージョンするには詠唱が必要なんだ。僕が先に言うから――――」

「――――何をゴチャゴチャ話している?」


 苛立ちが募り怒気が籠る魔獣、しかし妖精はそれに構わず詠唱を言う。


「紡ぐは絆」

「……お、おい! このタイミングでっ………!」

「いい加減に、この遊びにも飽きてしまった」


 眼を細め、冷たく刺さる魔獣の言葉に希来は戦慄し決意した。


「……紡ぐは、絆」

「結ぶは躰」

「結ぶは。躰……!」

「一体何を言っている……?」


 魔獣は思わず立ち止まった。魔獣も何体か人を喰らってきたが、恐れおののくわけではなく、訳のわからない事を口走る者は誰一人居なかったのだ。ましてや、ただの邪心が熟れていない子供が。


「我は戦士と成って、今汝と一つに成らん」

「我は戦士と成って、……今汝と、一つに成らん」


 希来は詠唱を続ける傍ら、魔獣はそれに妙に思った。


(いや、待てよ……。コイツらが言っていること、どこかで聞いたことがあるぞ……? まさか!?)


 魔獣にとってその予感は最悪だった。もしその通りになるのなら、この状況が逆転されてしまう。それは由々しき事態だ。組での自分の立場がさらに低くなってしまう。もしも、子供ごときに深手を負わされてしまえば、笑いもの恥さらし間違いなしだ。これ以上仲間に舐められるどころか、組の追放もありうるかもしれない。それだけはなんとしても避けたかった。

 そしてその予感は、言わずとしても当たっていたのだ。


「繋ぎ合わすは、互いの魔導!」

「繋ぎ合わすは――――」

「貴様等ァァァァ――――!!!!」

「――――互いの、魔導ッ!!」


 希来の躰から光が溢れ出てくる。それを感じながらも、彼は気にせず詠唱を続けた。


「フュージョン!」

「ヤメロォォォォォ!!」


 魔獣の叫びが木々を揺らす、爪先がもうわずかに届いてしまう。


「フュゥゥ――ジョォォォォ――――――――ン!!」


 瞬間、希来の周辺にドーム状の光が広がる。その光は衝撃波にもなっており、魔獣を抵抗もなく弾き飛ばした。木に激突して気を失いかける魔獣、思わず舌打ちをしてしまう。


「クソがァ、遅かったか……!」


 頭を抱えながらその光を見た。その光の正体は、魔道力と呼ばれる生体エネルギーである。その魔道力は、魔獣にとっては猛毒、天敵も良いところであり、それを大量に浴びたら最期、身体が光となり魂ごと朽ちてしまう。その魔道を、ほんの一ミリ程度だが飛び火している。魔獣は、顔や身体の所々がチリチリと痛みだす感覚がたまらなく不愉快だった。

 光が収まっていく。そこに立っていたのは、間違いなく希来だった。しかし先程と違っているのは、彼が手に抱えていた妖精と似たような服を着ているということだ。これは融合魔導が成功した証、フュージョンできたという証明なのだ。

 希来は我に帰ると、さっそく自身の状態を確認し始めた。


「っわー! なにこれ、すっげぇ痛い……」

<それは僕の魔導衣を君なりに構築した格好だよ、それが成功したっていう証になる>

「へー、なんか女みたいな男みたいな、なんとも言えない格好だなぁ……」


 今の彼の格好をより深く説明すると、全体的に黄色の主張が激しい長袖のジャケットと長ズボン。頭には妖精と同じキャスケット帽、腕や膝には申し訳程度のプロテクター、ところどころにフリルがあしらわれているなんとも漫画チックなデザインだ。


「つか、お前どこいんの? 声は聞こえたけど……」

<君の中だよ。フュージョンすると、こうなるんだ>

「ええぇーい! ゴチャゴチャゴチャゴチャとッ!! フュージョンしたからなんだと言うんだ、ガキに俺が倒せるわけないだろッッ!!!」


 魔獣は怒り心頭で希来に飛びかかる、対する希来は驚きの声を上げて攻撃をかわした。


「っぶねー、言ってること滅茶苦茶だぞアイツ」

<そんなこと言ってる場合じゃないよ、今の君は魔獣を倒せるだけの力があるんだ>

「そんなこと言われても……」


 希来自身、なぜだかそういう手応えを感じてはいるのだ。身体の内から湧き上がってくる力、これが魔獣を倒せる力だというのか、その実感がまるでなかった。そのため、不安で仕方がなかったのだ。


「いつまでもそうやって逃げれると思うなァ!!」

「っ!?」


 そんな甘い考えを切り裂く様に魔獣の叫び声が響く。

 ハッとその方向を見た時、魔獣はまたも希来に向かって突進をかけてくる。今度の速さはこれまでと違って本気、捕まえに行く気だ。希来は、またもかわしてやり過ごそうと足を動かした、が――――。


<――――逃げないで!!>

「えっ?」

<逃げたらさっきと一緒だ! これだとこっちが消耗しちゃうよ、だから立ち向かってっ!>

「そんな事言ったって――――!?」


 あんな怪物と戦うのは恐い、そう言おうとして注意がそれてしまったのが失敗だった。魔獣は希来の眼の前に迫り、彼の肩を捕まえる。しまったと思う間もなく、押し倒されてしまったのだ。


「もう逃さんぞォ!!」

 骸骨に皮がついたような顔が口を大きく開く。その様は悲鳴を上げているようにも見え、生きるものを心の底から震え上がらせるような生理的嫌悪感を湧き上がらせる見た目だ。

 希来はたまらなく怖くなった。


(このままだと喰われる………!?)


 そう観念しかけたその時。


<なんでもいいから攻撃をしてっ!!>


 希来は自分の内にいる妖精の声を聞いた。その声のとおりに、希来は思いつく限りの攻撃を行った。


「ウォォアアアア――――!!」

「ンン? どうした、そんなパンチではビクともしないぞ?」


 思いつく限りの攻撃、希来はパンチをただひたすら繰り返して抵抗の意思を見せた。しかし、魔獣の言う通り全くと言っていいほど通用しなかった。


「ウゥゥゥ――――!!」

「おい? いい加減にしたらどうだ、ん?」


 魔獣はさすがに哀れに思ったのか、そう説得をかけてみるが希来は直も攻撃をしかける。


「俺様の話を聞いているのか、貴様……!」


 悲しくも無駄な抵抗、それはハエ虫が頭上を飛び回るがごとくの鬱陶しさ。魔獣はだんだんと苛つきが溜まっていく。それがピークに達しようとしていた。


「このガ……!?」


 その時だった。希来の拳に熱のような何かを魔獣は感じたのである。チリチリと、チリチリと身体を蝕んでいくこの感じは間違いない。


(コイツ、魔導が使えるように……! 今までのは、フェイント!?)


 あてが外れていた、このままでは自分が死んでしまう。希来は攻撃が通じていないと思い、未だに殴り続けている。この状況で、魔獣が焦るのも無理はなかった。


「やめろと言っているだッ」

「ォォォオオリヤァァァァ――――!!」


 希来は半ばヤケクソで拳を強く魔獣にぶつけた。すると、魔獣は驚きの声を上げ天高く舞い上がった。


「アッ、や、やった……?」


 魔獣のひるんだ声を聞いて、目を開き確認する希来。魔獣は高く飛び上がっていたが、直ぐに翼で身を翻し、態勢を整えた。


「あんのォクソガキィ……!」


 悪態をつく魔獣、しかしすぐ様反撃の態勢に移ったと希来が判別した時、身体が勝手に動いた。魔獣は上空から急降下し、突進を仕掛ける。しかし、希来はそれを後ろにジャンプし攻撃をかわしたのだ。


「なぁ、なんか必殺技みたいのないの!? このままじゃ倒せる気しないよ!」


 希来はこの戦いをしていて思っていたことを、自分の中にいる妖精にぶつける。パンチでダメージを与えられたのなら、もっと他にも技があるはずと推測した結果であった。それにこのままだと完全に押し切られてしまいそうだと感じたため、決め手が欲しかったのだ。


<ひ、必殺技っ? えーっと、無いことはないけど……>

「もう許さんぞ貴様ら……! 肉片残らず喰らいつくしてやる覚悟しろ…………!」


 魔獣は小さく、そして振り絞ったような声でそうつぶやいた。

 その様子を見れば、魔導戦士として活動して日が浅いリオでも、一刻を争うことであると判断することができる。しかし、リオは迷っていた。自分の持つ決め技を希来にさせても良いのだが、一番問題にしていたのは彼の身体が持つかどうかだった。

 怪物と戦わせているのに何を今さらと考える者も少なくないだろうが、妖精が重要視しているのは如何にして、希来のダメージを最小限に抑えて、あの魔獣を撃退するのかだったのだ。

 だが確かに彼の言う通り、このままだと持久戦に持ち込まれ彼が言うようにこちらが早めにダウンしてしまうのかもしれない。いや、そもそも彼自身がこのままだと持たないと言っているのだから早急に事を決めるべきだと、妖精は思った。


<……次の攻撃のタイミングまでに、右手に力を溜めて手から何かを撃つイメージを作っておいて! タイミングが来たら、僕が合図する。そこからは任せて!>

「任せるったって……」


 意外にも妖精の決断は早かった。それに若干戸惑ってしまったが、それよりも今の妖精の状態で任せろと言われたことの不安が大きかった。

なので、妖精はその不安を吹き飛ばすように言い放つ。


<タイミングが来るまでで良いから!>

「おしゃべりはそこまでだァ!」


 今度は火を放つ魔獣。指先から放たれる火炎は、まるでビームの様に希来の下へ飛んでいく。とっさに避けたため無事ではあったが、その火炎で木の枝や葉が瞬く間もなく、鮮やかな色を点けて消えていくのを希来たちは見た。

 こうはなりたくない。そう思って青ざめた希来は、意を決して返事をする。


「わかった! それまでなんとかやってみるっ!」

「何をダァ!!」


 またまた突進を仕掛ける魔獣、相当頭に来ているが希来はそれに気づかず、自分のできる範囲でかわしていく。そして逃げて距離を取り、またも仕掛けてきたところをかわす。

 逃げる、かわす、逃げる、かわす……。防戦どころか、逃げてばかりの希来に魔獣の苛立ちはもはやピークを通りこして、臨界点を越えていた。


「ええい、ちょこまかちょこまかと!! お邪魔虫がッ!!」


 指のビームを左から右へ、横薙ぎに放つ魔獣。それを高くジャンプしてかわしたが、その行動を読んでいた魔獣はすばやく希来に追い抜き、真上から殴りつけて地面に叩き落とした。


「ぐぁっ!! …………いってぇ」


 融合によって跳ね上がった身体能力と、傷をなるべく抑えるように造られている魔導衣があったからこそ無事でいられたが、衝撃までは抑えられなかったようで背中がビリビリと電気でも通したかのような痛みに、気が遠くなりそうだった。


「フッ。よく頑張ったがここまでのようだな、小僧」


 魔獣はそう言いながら、希来に近寄っていく。そして胸ぐらをつかんで持ち上げた。もちろん希来は抵抗するが、単純な力の差は魔獣のほうが上回っている。そのためビクリともしなかった。


「俺をここまで追い詰めたことは褒めてやろう……。だが残念だったな」


 魔獣は、いつでも相手を仕留められるという風な感じで希来に語りかけてくる。しかしそれも長くはないだろう。希来は徐々に焦りを感じる。


<もうちょっとだけ待ってて……!>


 希来の中にいる妖精は念じながらそう言った。

 希来はそこで気がついた。自分の右手が徐々に熱くなっていくのに、汗ばんでいるからではなく本当に熱を持っているんじゃないかというくらいには暖かく感じた。

 これを魔獣に悟られまいと、なおも希来は魔獣を睨み続ける。そのせいで希来は気づかなかったが、彼の右手はわずかに発光し始めていた。


「うグッ……!」

「よく言うだろう? 勇気と無謀は違うと……」

<準備、できたよ!>

(よし……!)


 希来は安堵した。これが上手くいけば形勢逆転できる、あいつを追い払うことができれば自分たちは無事に助かることができる。


「ヘヘッ……」


 そう思うとふいに笑いが出てしまう。それに魔獣は疑問を抱いた。


「何を笑っているんだ?」


 ドスが利いた声で魔獣はそう言う。そのせいで、希来の有頂天になっていたボルテージは一気に冷え込んでいく。蛇に睨まれた蛙のような気分とは、こういうことなのか。鳥肌がたって、筋肉が強張ってくる。


「……まあいい。お前は、これでぇ!」


 爪を尖らせ、手を大きく振りかぶった。その手が行く先は、希来の顔面。深く突き刺さるように、脳髄を顔面の肉や血液、頭蓋骨すらも引きずり出し、喰らいつくそうと魔獣は考えているのだ。人の恐怖心が最高潮に達した脳、それが一番のデザートとなるのだと魔獣は信じている。

 ついにそれを突き立てようとした時、それは起きた。


「終わり……ッ!?」

「へえっ……!?」


 魔獣の胸が、人間で言う心臓の部分が希来の放った光によって撃ち貫かれていたのである。

 希来は、一瞬何が起こったのかが理解できなかった。なぜなら、突如として自分の右腕が動いていて、かつその右手から光が出ているのだから。


(な、なんだよ。これ……!?)

「ゴホッ……!」


 驚きを隠せない希来から目をそらし、苦痛のあまり魔獣は希来を締め上げていた手を緩めた。希来は重力にそって落ちていく。四、五回の嗚咽と咳をして、正常な呼吸に整えた。その最中で希来の手から放たれていた光は消え去ってしまい、魔獣の胸に空いた穴が露出してしまう。その穴からは、赤く丸い何かの断片が見え隠れしていた。


「えっ、えぇ……?」

「こンの、ガキィ……! ゴフッ」


 魔獣はその穴を手で抑えながらそう言う。その行為は、感情あるものが持つ防衛本能のようなものだが、今の状態の魔獣からすれば気休めでしかない。その理由はすぐわかることだった。


<今すぐそいつから離れてッ!!>

「はあ?」


 突如、希来の中にいる妖精が叫んだ。それは鬼気迫る迫力であったため、希来はなぜそこまで焦っているのかがわからなかった。


「ぐぁァっ……!」

<早くそいつから離れて! コアに魔道が通ってる、そいつはもうすぐで爆発する!!>

「えぇ!?」


 あまりに唐突なことに驚愕を隠せない希来、直ぐに意識を戻しその場か立ち去った。


「お、おいっ、待てッ! ハ、アア、ウォアアアア――――!?」


 瞬間、魔獣は断末魔と共に轟音を上げて爆散した。さほど距離が離れていなかった希来は、爆風によって吹き飛ばされてしまった。


「グッ……、やった……のか?」


 地面に打ち付けられる希来。軽くうめき声を上げるが偶然にも受け身を取ることができたため、幸いにも痛みでその場から動けなくなるということはなかった。

 しかしわからなかった。何故、先程自分の手が意思とは無関係に動いたのか。おおよその予想は付くが、そうだとしても認めがたいものだった。


「さっきの、お前がやったのか?」


 希来は自分の中にいる妖精に聞く。


<うん……。僕が、君の身体をっ………。動かして、ね>


 妖精は息遣いを荒くしてそう答えた。その様子は、明らかに瀕死の状態のそれだった。

 希来は気づいた。妖精の様子が明らかにおかしいことに。


(そういえば会ったときには、だいぶ弱っていたっけ。ならかなりヤバイんじゃ……!?)


 そう思っていた矢先、希来の身体が途端に光りだした。

何事だと思って身体を見下ろしてみると、光っていたのは身体ではなく服だということに気がついた。やがて弾けるように光っていた服が消え、元の制服に戻ると希来の胸からソフトボールほどの大きさをした光の玉が出てくる。中には妖精がいたのだが、光がなくなりその姿が露わになった途端に妖精は落ちてしまう。


「危ねっ!!」


 とっさに妖精を受け止める希来。妖精は汗を垂れ流し、かなり衰弱しているのか今に息絶えてしまいそうな表情だった。


「おい! しっかりしろっ、おい!!」


 希来は必死に呼びかけるが反応する様子もなく、妖精は静かに目を開けた。希来の顔を見て、安堵するかのように口を緩ませた。

 夕焼け空を映した森林公園に、希来の叫びがこだまする。それに応えるはずの者は、すでに眠りの中だった。

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