佐倉ゆかりについて Side:Y

 閉店間際のショッピングモール、隣接された立体駐車場。その非常階段を、ゆかりは駆けあがっていた。息を切らし、何度も転びそうになりながら、ひらすらに走り続ける。足や心臓が、悲鳴をあげるように痛みを与えてきても、ゆかりは立ち止まらない。立ち止まれない。自分の足音に続く、もうひとつの足音を聞く度に、背筋が凍りつきそうだった。どうして、どうして、なんで――頭の中が、そんな言葉でいっぱいになる。


 そもそも、ずっとずっとおかしいのだ。ゆかりのいる守童町に「彼」がいることも、言葉を交わせることも、息をしていることも、すべてがおかしいのだ。けれど、だとするのなら、今この身に降りかかっている現実はなんとするのか。


 まるで、亡霊のようだ。と、そう思う。閉じられることを知らない物語が、終わることのできない物語が、無念のあまりに姿を得て、自分につきまとっているかのようで。でも、だからこそ、ゆかりはあの日に決意をしたのだ。だのに、その終わりへと導くための手段が、今のゆかりにはない――


 ゆかりは、非常階段の外へと続く扉を開け放ち、すぐさまそれを閉ざした。正直にいうのなら、非常階段をのぼってしまったのは失敗だった。なぜなら、これ以上先には逃げ場がない。全体重をかけ、ゆかりはめいっぱいの力で扉を押さえこんだ。


 扉の向こう。鳴り響いていた足音がやんだ。内側から、扉を押し開けようとする力がかかる。思いの外、強い力だった。手に、額に、背に、汗がにじむ。


「あなたは、誰ですか!」


 必死の力で押さえこみながら、ゆかりは扉向こうへと叫んだ。


「私は、あなたを、知らない! なのに――」


 刹那、扉を隔てた向こうの力が、強くなる。気づけば、ゆかりは屋上の床に転がっていた。

 蝶番の引きちぎれた扉が弾け飛び、フェンスをへし折って見えなくなる。その異常なまでの力に、全身が粟立った。


 這うようにして立ちあがり、ゆかりは屋上まで追ってきた「それ」を睨む。日もすっかり暮れた宵闇の中に、白いキツネの面が、不気味に浮かびあがっていた。


「……あなたは、誰ですか」


 もう一度、問いかける。けれども、「それ」は――仮面の少女は、答えない。一歩、また一歩と、ゆかりを追いつめるかのように近づいてくる。じりじりと、ゆかりは後じさった。


「どうして、そんな格好をしてるんですか。どうして、その仮面を」


 それ以上の言葉は、続けられなかった。


 軽やかに床を蹴った少女の両腕が、ゆかりをとらえる。古い紙と、インクの匂いがした。同じ背格好が、同じ制服を着て、同じ――変声機に歪められた声でささやく。


『つかまえた』


 身体が、よろめく。体勢を整えようとして後ろに引いた足は、しかし、支えとなるものを見つけられなかった。


 しまった、と。そう思ったときには、もう遅い。ゆかりの身体は大きく後ろへと傾き、そして宙へと投げ出されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る