第15話「黒崎」峯村信行(六月)前編

 正門が、灰色にけぶって見えた。

 六月最終週の木曜日、朝七時。今週はずっと雨が続いている。視界は薄暗く、元々鮮やかとはいえない正門は、古びたモノクロ写真のようにみえた。

 霧雨が降っている。傘を差したままくぐり抜けるのが憚られて、腕を降ろして大きく息を吸った。俺には雨粒なんて見えなかったのに、気付くとバッグもシャツもべっとりと濡れていた。



「唐沢ぁ、写真ちょうだい? データでもいいから」

「ご、ごめん。約束があって、原さんでも」

「唐沢ぁ、約束ってなに?」

「え、えっと」

 タカが困惑の表情で俺を見た。

 松高祭が近付いている。梅雨空の下のぼんやりとした校庭とは別世界みたいに、校内は日増しにハレの日の鮮やかな彩りを増していた。

 写真班の展示予定作品にD組の黒崎とB組の峯村が写っている。撮ったのはB組の唐沢だ。昨日の芸術鑑賞会の後、そんな噂話が流れ始めて、少なくとも一年の間では少しばかり話題になっていた。

 俺の前の席ではタカが、原と青柳に詰め寄られていた。丸山は雨をいいことに朝練をサボり、ギリギリまで登校しないつもりだろう。俺は堀田ほったとの会話を止めて、タカのフォローに回る。

「原、それは俺達とタカの約束だ。本人の許可なく見せんのと、勝手に配んのは認めてねえ」

「じゃぁ、とりあえず見せて?」

 タカはコクコク頷いてから、俺の方を向いた。原や青柳につい甘くしてしまうのは、俺もタカもどうやら同じらしい。

 俺はタカから貰ったL判の写真を原に手渡す。俺のしかないけど、黒崎や丸山や堀田ほったも一緒に写っているはずだ。

「ノブありがとぉ!」

「ミツヨー、わたしにも見してー」

「うわ、この写真めっちゃ良くない?」

「んー? ユージ……とかショータとか写ってんの少なくなーい?」

 お前の分は見せねえの? 堀田ほったに視線を送ると、小さく首を振る。丸山と堀田ほったにはとっくに撮影を承知させている。隠したがりの堀田ほったから、デート中に渡したい、と言われているから黙っているだけだ。

「何枚展示すんのぉ?」

「に、二枚」

「こん中のどれぇ?」

「そ、それはちょっと」

「俺も展示作品は知らねえよ。来週なんだから楽しみにしてようぜ?」

「えー待てなーい」

「ん、じゃあ、ノブ一緒に観に行こぉ?」

「ああ、来週な」

 後ろのドアから、白井が入ってくるのが視界の端に見えた。七分丈のデニムのパンツ、白いニットの下に黄色いタンクトップがちらちらと見える。俺がいつものように片手を上げると、指をヒラヒラさせて笑顔を返してきた。ただ、以前より憂鬱そうな陰が増している。俺は教室を見渡してアズサの不在を確認した。一昨日からずっと、アズサと白井達が会話をしていないことが気になっていた。

「ちょっと便所」

 俺は自分の席の周りにできた輪から抜けた。白井さえいれば、タカがひどく弄られることもないだろう。

 教室を出て廊下の先を眺めた。突き当たり近く、E組の前にアズサらしき人影が見える。白いブラウス、トレードマークみたいな長いキュロットは濃いオレンジ色。たまたま、なんかじゃない。昨日もきっと同じ時間に、そこにいたんだろう。

 俺が歩き出して程なく、アズサもこっちを向いて歩き出した。D組の前で鉢合わせする。

「おはよー、ノブ!」

「うす」

 アズサはいつも通り明るい調子だった。上機嫌と言ってもいいくらいだ。

「なんか用事? もうすぐHRだよ?」

「いや、用事はねえ。アズサは?」

 俺はさらっと聞いた。いや、特に意識すらしていなかった。

「今? ナオと喋ってた」

「ナオ?」

「あー、えっと、彼氏」

「誰の?」

「私の」

 え? アズサが言っていることが分からなかった。少なくとも物心ついてから、こんな思いをしたのは今日が初めてだ。一族との会話は、主語や述語だけで会話が成り立つこともある。信行が、だけで通じる話題も多いし、戸惑った。だけで通じる話題も多い。けれども今は、アズサの彼氏、という組み合わせを認識できない。

「言ってなかったねー。先週末、土曜から付き合い始めたんだよ?」

 今、俺はどんな顔をしているだろう。憮然としているだろうか。毅然としていたいところだけれど、それはできそうにない。まずは、言葉通り受け入れてみるしかなさそうだ。俺は腹をくくった。

「そうか。アズサはナオと、先週末の土曜から付き合い始めたんだな?」

 ぶっ、アズサが吹き出した。ようやく乾いた俺のシャツに、アズサのツバの小さな飛沫が一滴、飛んでくるのが見えた。

「こんな不自然な受け答え、今どき初等科の英会話でもしないよ?」

 アズサは再び歩き出した。横顔から笑顔が消えるのが見えた。チャイムが鳴り始める。このタイミングで俺が着席していないなんて、今までには一度もなかった。急ぎ足のアズサが少しずつ遠ざかっていく。俺はなんとか一言だけ絞り出して、アズサに訊いた。

「ナオって、誰だ?」

「立石ナオ。直会なおらいの直」

 振り返ってアズサは言った。笑顔を浮かべる余裕がなかったのか、真顔のままだった。



 出会い頭に呼び捨てにされて以来、俺はアズサのことをよく見ていた。誰のことよりもよく見ていたし、誰よりも長い時間、見ていたと思っている。ただしそれは、B組の教室の中だけの話だ。アズサにも俺にも、学校以外の社会と生活がある。俺の知らないアズサが、図書館や塾や、あるいは街のどこかで、俺の知り得ない人間関係を結んで育てているのは当然のことだ。

 ただ、腑に落ちないことが二つある。アズサの恋愛について、少なくとも先週まで何の気配もなかったことと、立石直という奴は俺と同学年なのに、少なくとも俺にとっては存在感のまるで無い奴だったということだ。

 俺の買い被りかも知れないけれど、アズサは仲間に隠し事をするような人間じゃないと思っている。男と付き合う気配があれば俺の耳にも届いていただろう。立石直だってそうだ。いくらアズサが分け隔てなく人と接する女の子だとはいっても、アズサを彼女にできる男なら、そこそこ存在感のある人間であるはずだ。

 落ち着かない。なんだか悔しい。いささか腹も立っている。アズサが選んだ男なら悪い奴じゃないだろう、そんな風に考える余裕が少しもない。アズサは立石直に騙されてるんじゃねえか? それとも、バーッと押し切られた勢いで承知しちまっただけじゃねえのか? アズサはそんなにも流されやすい人間なのか? そもそも、立石直ってどんな奴なんだ? 悪い奴だったら許せねえ!

 ——俺は何を考えてるんだ? 卑屈で、人を責めようとするばかりで、不毛な思いが次々と浮かんでくる。もしかしたらこれが、嫉妬ってやつなのか? だったら俺はなんて情けねえ男なんだ? 俺はそもそも、アズサに対する自分の気持ちだってハッキリ分かってなかったじゃねえか。

 ふと我に返って、授業を聞いていなかったことに気付く。本分を尽くすべき時間に、逸れてしまったのは今日が初めてだった。

 俺はしばし目を瞑る。大きく息を吸って、吐いた。心の中で、霧雨の正門をくぐり直す。敢えて強がりを言おうと思う。これはラッキーだ。千載一遇と言ってもいい。俺は失恋して初めて自分の気持ちに気付くような愚鈍な奴で、十六歳にもなって初めて恋愛絡みの嫉妬を覚えるような幼稚な奴だった。悔し過ぎて、腹立たし過ぎて、情けなさ過ぎて、いっそワクワクしてくる。俺の嫉妬は一体、どこに果てがあるのか見極めてやろう。立石直と会って、立石直を知って、俺は何を感じ、何をしでかすのか見極めてやろう。



 二限目前の放課から、さっそく俺は行動を始めた。

「丸山、堀田ほった。立石直って奴、知ってるか?」

 奥村と喋っていたアズサが俺の方を向く。俺は聞かれても構わないと思っていた。アズサは、お気に召すままどうぞ、とでも言いたげな澄ました顔をしていた。

「知らねーなぁ。ユージは知ってる?」

「名前は誰かから聞いたことあるぜ? ……あ、オノケン!」

「オノケンの連れ? そりゃ知らねーわ」

「いやいや最近のオノケン侮れねーぞ? 女子と二人でよく一緒にいるみたいだぜ?」

「マジかよユージ? その女、どんだけ男見る目が無いんだよ?」

 なあ丸山、ケンを見る目が無いのはお前の方だぜ?

「で、そいつがどーしたの、ノブ?」

「何でもねえ。サンキュー! あと丸山、ケンのことあんま馬鹿にすんな」

 E組へ行こうか? 少し時間が足りない。でも、じっとしていられない気分だ。教室を見回すと白井と目が合って、すぐに逸らされた。何かあるようだけど、アズサとの仲違いとも関係がありそうで、色々聞くのが憚られる。

 次のチャンスを待とう。俺は席に戻ると、何の気なしにタカにも聞いてみた。

「タカ、立石直って奴、知ってるか?」

 タカは、音でも出そうな勢いで振り向いた。丸山達との会話を、気にしてくれていたようだった。

「知ってるよ」

「どんな奴?」

「大人しくてちゃんと話を聞いてくれる、いい人だった」

「中学が一緒なのか?」

「違うよ。黒崎君に紹介してもらった」

 あの時紹介するって言っていた奴が立石直だったのか。俺は黒崎の顔の広さに改めて感心する。

「写真も撮ってるのか?」

「撮ってるよ。日曜は、藤井さんと一緒の写真も」

 アズサと一緒の写真。鼓動のペースが乱れるのが分かる。悔しさと腹立たしさと情けなさが即座にぶり返した。感情に流されて、俺は約束を破りそうになった。

「タカぁ、写真持ってるか!?」

「あ、あるよ。でも、ノブ君」

 ためらったタカに、俺は救われた。本人の許可なく見せない約束。それを、タカは俺に対しても守ろうとしてくれた。

「わりぃ! 今のはナシだ。俺が間違ってた。本当にわりぃ」



 三限目前の放課、今度こそ俺はE組を訪ねようと思っていた。廊下を少し歩くと背後から、ノブ! と呼び止められた。原が、階段の踊り場に上るよう指を差す。

「さっき聞こえちゃった。立石君のことでしょぉ?」

「ああ」

「アズサが付き合い始めたせいで、リナと険悪になってるから動いてくれてんの?」

 わりぃ。俺が動いているのは、もっと身勝手で、もっと卑屈な理由だ。

「月曜に初めて知ったんだけど、立石君、リナの黒歴史だったみたいでさぁ。教室では話せなくって」

 原は笑顔だった。楽しんでいるのか心配しているのか分からない。

「四中の子から聞いたんだけど、中学の時に少し付き合ったんだけどひどい奴で、悪い噂も広まっちゃって辛い目にあったんだって」

 白井と立石直が付き合ってたって? 白井は、贔屓目を差し引いても高嶺の花だ。俺も丸山達も知らないような存在感で、大人しくていい人だけどひどい奴、そんなわけの分からない男が、白井と付き合って、しかも辛い目に合わせたという。俺はまた、悔しさと腹立たしさと情けなさを募らせる。

「どんな風にひどい奴なんだ?」

 刺々しい声になった。原の笑顔に戸惑いが混ざる。

「分かんない。私は顔しか知らないけど、ちょー可愛いよぉ? あと、黒崎君と仲がいみたい」

 黒崎の名前を聞いて、俺は落ち着きを取り戻した。

「黒崎と?」

「そぉ。二中で黒崎君を名前で呼び捨てにできる人、そんなにいないってケーコが言ってたけど」

 タカの話と繋がった。それなら黒崎から、立石直の話を聞いておきたいと思う。

 原がまた口を開く。真顔になって声をひそめた。

「たださぁ、ストーカーだったかも知れないんだよねぇ。立石君」

「ストーカー?」

 つい、興味をそそられてしまった。俺はつくづくゲスな野郎だ。その話は面白え、と、どこかで思っている俺がいる。

「リナって、ウチら以外とはほとんど遊ばないみたいなんだけど。ウチら、リナの親から内緒で頼まれてんだよねぇ」

「何を頼まれてるんだ?」

「遊んだ帰りとか、車で迎えに来るまで一緒に居て欲しいんだって。私も、塩田しおだまで送ってもらえるから楽なんだけどねぇ」

「立石直が白井をつけ回してるってことか?」

「立石君とは言ってないけど。女の子みたいな男がリナに近付こうとしたら、ウチらも気を付けてって言われてて」

「原も、そいつに気を付けろってことか?」

「そぉ。一年以上前らしいけど、リナが外出るのすごく怖がってる時期があって、ちょうどその頃しつこいくらいに家に訪ねて来た男の子がいたんだってぇ。大人しくて冷静だったから、余計怖かったって」

「それが、立石直なのか?」

「分かんないけどぉ、リナの話と合わせて考えると立石君っぽくない?」

「白井に聞けば、すぐに分かるんじゃねえか?」

「リナには絶対会わせなかったんだって。だから内緒なんじゃん」

 ますます分からなくなった。目立たなくて大人しくて冷静でひどい奴でストーカー。白井と付き合っていたことがあるアズサの彼氏。

 やっぱり、黒崎には話を聞いておこう。何も知らないで会って下手な話をしたら、白井やアズサを逆恨みするような奴かも知れない。

 じっくり話ができる班活後を待とう。それから立石直と会っても遅くはないはずだ。

「俺になんとかできるかどうか分からねえけど、立石直って奴とは会って話をするつもりだ」

「ありがとぉ、ノブ」

 わりぃ。お礼を言われるような立派な理由じゃねえんだ。俺の嫉妬でしかない。

 俺は気になっていたことを聞いた。

「原は、アズサと白井を心配してるのか?」

「当ったり前じゃん!」

「いや、最初、笑って話してたからどうかと思ってな」

「そりゃまぁねぇ。複雑な想いはあるけど」

 原は真顔のままで、俺の目を見上げて口を尖らせた。塩田しおだ中ナンバーワンの看板は伊達じゃない。タカに撮ってもらいたくなるような絵になる顔だ。俺がまじまじと見ていると、気まずそうに目を逸らした。

「暗い顔してないといけないとか、百パー心配だけしてるとか、そっちのが嘘っぽくない? リナにムカつくこととか、アズサ何やってんのぉって思うこととか、しょっちゅうあるし」

 原はまた、俺をチラと見る。

「だいたいさぁ、ストーカーかも、って話したとき、ノブもワクワクした顔してたよ?」

 わりぃ。俺が間違ってた。原の言う通りだ。仲間の悩みだって百パーセント理解できるわけじゃないし、嫌いな奴の醜聞だって百パーセント溜飲を下げていられるわけじゃない。

 同じ相手にだって、好きも嫌いも入り混じってるのが人間だ。俺は自分を恥じた。恥じても変われない自分をまた恥じて、思わず頭を掻いた。

「わりぃ。正直言うとちょっとワクワクしたわ。俺は小せえ奴だなぁ」

 原はハッとしたような顔をする。

「……そういうところがさぁ」

 なんだ? 悪いところなら言ってくれ。

 原の顔を見据えると、羞じらうような顔をして目をそらす。醜態を晒してるのは俺の方なんだぜ?

「なんでもなぁい」

 原はいきなり笑顔になって、じゃぁノブよろしく、と俺の左腕を叩いて階段を下っていった。



 班活は室内トレーニングだった。夏至を過ぎたばかりで、辺りにはまだ十分な明るさが残っていた。今日に限って、俺は誰よりも早くメンバーと別れて、体育館のソトの通路まで黒崎を訪ねた。

 黒崎は二人で話をしていた。相手はE組の矢沢だった。ほとんど喋ったことはないけれど、顔と名前は知っている。バスケ班一年生の有力メンバーの一人。

 矢沢と目が合って、お互いに会釈をする。うす。話は終わったようで、矢沢は立ち去ろうとする。リック、よろしく。黒崎の声が聞こえた。

 黒崎はゆっくり歩いて俺の前に来た。落ち着いた様子で訊いてくる。

「ナオが、また何かやらかした?」

 また、って何なんだ? 黒崎の元に集まる問題には、みんな立石直が関わっているんだろうか。いくらなんでもそれはないだろう。

「やらかしたわけじゃねえ。二つ問題があって、まずは黒崎から話を聞きたいと思ってる」

 黒崎の前で見栄を張る気はない。俺の想いは全部話すつもりだ。

「藤井アズサって知ってるか?」

「うん。顔と名前は、お互いに知ってる」

「一つ目は俺個人の、多分、嫉妬心の問題で、二つ目はアズサと女友達の問題だ」

「そっか」

 長い話になりそうだと思ったのか、黒崎はザラ板に腰を下ろして、バッグを脇に置いた。

 大人っぽいと思っていた黒崎も、よくよく眺めると少年らしいあどけなさが残っていて、なぜだか俺はホッとしていた。

「一つ目なんだが、アズサが突然、俺が知らない同級生と付き合い始めたことが、納得できていない」

「僕から見ても、ナオとアズサは突然だった」

「そうなのか?」

「ああ。ただ、ナオが次に付き合うならアズサかな、とは思ってた」

 次に付き合うなら。彼女をコロコロ替えるような軽薄な野郎が思い浮かぶ。悔しさと腹立たしさが、またも沸き上がってくる。

「俺は、立石直が悪い奴だったら、ひとこと言ってやりたいと思ってる」

「そうか。言っても聞かない場合はどうする?」

「分からねえ。……殴っちまうかも知れねえ」

「殴っても効かない場合は? ノブ、自分が惨めになるよ?」

 黒崎はまるで、経験があるかのような口振りだった。

「実際に殴ったりはしねえよ。誰の得にもならねえ。でも、惨めになるのは、俺にとってはラッキーかも知れない」

「ラッキー?」

「そうだ。俺は恋愛絡みの嫉妬をするのは初めてなんだ。どう感じて、どうしたくなるのか、見極められるかも知れない」

「本当に、そう思えるのか?」

「分からねえ。まだ、惨めになってねえからな」

「この感情は厄介だよ? あと、ナオはしつこいからな。何年経ってもいじめてくる」

「いじめる? 立石直が、誰を?」

「僕をだよ」

 いつも涼しげな黒崎の切れ長の目が、少し険しくなった。そもそも俺は、黒崎にも厄介な感情があるなんてことを、想像できてさえいなかった。少し考えてみれば当たり前のことだ。黒崎だって十五、六歳の、青二才の少年に過ぎない。

「なあ、黒崎」

「ん?」

「黒崎の話、聞かせてくれねえか? 俺も、必ず報告するから」

 我ながら、厚かましいにも程がある頼みだと思う。

「いいよ。ナオだけに気付かれてるのが、弱みを握られてるみたいで嫌だったからな」

 意外な返事だった。あの黒崎が忌々しそうな顔で、吐き捨てるような口振りで喋っている。

 すぐには話は始まらなくて、俺達は霧雨に包まれたソトの景色を眺めた。何もかもが灰色に煙って、輪郭が曖昧になっている。俺が誇りを感じてきた様々なものが、今日は不確かな存在に思える。そういえば、いつもと違う出来事ばかりだった。沈んで見えた正門、遅刻したHR、耳に届かなかった授業、厄介な感情に苦しむ黒崎。

 こんな日もある。俺は綺麗事で自分を励まして、黒崎に向き合った。

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