第6話「白粉花」立石直(五月)

「おかえりナオ。今日もよろしく」

「よろしくお願いします、ジュンさん」

「cafe 4 o’clock」、ものごころつく前からお世話になってるカフェだけど、周りからはよく喫茶店と言われる。濃色系のレトロな内装で、常連客はおじさんやおじいさんがほとんど。メニューにもカフェっぽくないものが入ってるって言われることがある。レモンスカッシュとか、ナポリタンスパゲッティーとか。

 マスターは笠原潤一かさはらじゅんいち、三十五歳独身のジュンさんだ。ツーブロックミディアムの髪に、あご髭なんか生やしてる。

 ぼくは中学を卒業した春休みから、このお店でバイトもさせてもらってる。大学進学に向けて、できるかぎりお金を貯めておきたい。一ヶ月に六万円、三年で二百万円。国公立なら受験から一年間の下宿代くらいは賄えると思う。



 ゴールデンウィーク空けの初日、四時半頃にいつものように学校からカフェに帰ると、カウンターの奥に見慣れない女の子が座ってた。ショートのスウィングボブの髪が、灯りの加減か濃藍色こいあいいろくらいに青みがかって見える。横顔から、かなり整った顔立ちなのがわかる。顎が細くて幼い感じ。中学生くらいかな。

 新しいお客さんは春に訪れることが多い。中学や高校に上がって街で寄り道してみたり、独り暮らしを始めた信大や長大の新入生だったり。ちょっと目についた原因は、コーヒーを脇に避けて問題集らしきものに取り組んでること。ファミレスやファーストフードなら聞いたことあるけど、このお店のカウンターでは珍しい光景だった。

 女の子がぼくを見た。ちょっと大きめの目、小さく筋の通った鼻、薄めの唇。目が合った。ためらいなくぼくの眼を深く、覗き込んでくる。

 ぼくは店員スマイルをつくって会釈して、バックヤードに入った。



「立石ナオ?」

 カウンターに入るといきなり、青髪中学生にぼくの名前を呼ばれた。ぼくは、知らない人に声をかけられることには慣れてる。上田みたいな小ぢんまりした町では、知り合いの知り合いみたいな関係が多くて、まちなかを歩けば歩くほど声をかけられる機会が増える。ただ、いきなりフルネームを呼び捨てにしてくる中学生なんて初めてだった。

「はい」

 ぼくは青髪中学生に興味を覚えた。コーヒーサーバーを手に持って近寄ってみる。

「やっぱり。……同じクラスのケーコに教えてもらったんだよ?」

 ケーコと言われても何人かいる。たぶん同じ高校に行った、諏訪部すわべに住んでるケーコだろう。ということは、青髪中学生は高校生? ぼくはカウンターから出る。

「ぼくと同じ高校なんですか?」

 二、三歩近づいて、コーヒーカップをぬすみ見る。

「そう。ナオは……賛否両論だったから印象深くて」

 ぼくという人間に興味を持ってくれてるみたい。馴れ馴れしいけど、こういう感じは嫌いじゃない。

「そうですか」

「賛否両論、気にならない?」

「興味ないです」

 淡々とこたえたら、瞳が陰ったような気がした。今までの態度は、青髪高校生なりの人との出会い方、距離の詰め方なのかな。大胆なようで、すごく勇気を出してるようにも見える。

 ぼくはあと一歩のところで立ち止まって、こころから微笑んでみた。

「それより、お客様のお名前が気になります」

「あははっ、よかったぁ。藤井アズサ、梓弓の梓。嫌われたかと思った」

 笑ってなければ冷淡に見えるくらい整った顔が、見違えて明るくなった。ますます幼く見える。屈託のない笑顔とは、こんな笑顔のことだと思う。

「お代わり、お注ぎしましょうか?」

 コーヒーサーバーを持ち上げて、今度は店員スマイルで訊いてみた。

「お願いします」

 アズサはちょっと不服そうな顔をつくって、カップを渡してくれた。ぼくはコーヒーを注いで、アズサの真似をして距離を詰めてみる。

「アズサは、いつもいきなり名前で呼び捨てしてるの?」

「え?」

 ちょっとキョトンとした。

「えーと、今年初挑戦だよ。高等科デビュー」

 高校デビューなら知ってる。意味はちょっと違うと思うけど。

「今まではみんな、さん付けだった」

「そうでしたか。アズサさん」

「え? あー、からかってるでしょ!」



 連休明けのせいか、今日は客足が鈍いみたい。お客さんが捌けると、アズサが話しかけてきた。

「二中出身なんだって? 高校すごく近いよね?」

「うん。アズサは遠いの?」

「近いよ。すぐそこのマンション」

「ここ二中の校区だけど、引っ越してきたの?」

「そう。中等科まで東京。ずっと女子校だった」

「十日まで東京?」

「ちゅうとうか!」

 ははぁ、ムキになってる。小学生みたい。

「こっち来て、ずいぶん環境が変わったんじゃない?」

「変わった。寮に入るのが嫌だったから、お父さんに無理言ってついて来たんだけど」

 お父さんって大変だな。ちょっとうらやましい。アズサじゃなくて、お父さんのことが。

 ぼくの夢は父親になることだ。

 父親の存在すら知らずに育ったから、かえって理想の父親像があるのかも、とか、分析めいたことを言われたこともあるけど、ぼく自身はまったく立派なことを考えたつもりはない。野良猫も人間もさほど変わんないといつも思ってて、機会があるなら子孫を残すことが、生まれてきたことの本質的な目的だと思ってる。野良猫との違いを強いて挙げれば、オスなのに子供の世話をすることと、自分が学んできたことや自分が受け取ってきたものを伝えることができる、そのくらいだと思う。

 小学四年のとき、将来の夢、という作文でぼくはそんな内容を書いて発表した。その夢は、今も少しも変わってない。



「どう、上田は?」

「お店が少なくてびっくりした」

「必要なものは、揃うよ」

「まあそうだね。この喫茶店も気に入ったし」

「カフェですよ?」

 カウンターの中のジュンさんが口を挟んだ。アズサはジュンさんのほうを向いて笑う。

 ジュンさんがアンプに繋いだウォークマンをごそごそ弄ると、女の人が歌ってたローリング・ストーンズのバラードが突然止まった。アコースフィアが流れ出して、なんだかカフェっぽい雰囲気になる。

 しばらくして二人のお客さんが入って来た。袋町ふくろまちのお店が開くまでの時間潰し、といった雰囲気の男性。ぼくはフロアの仕事に戻ろうとすると、アズサが小声で訊いてきた。

「ここ、何時までやってるの?」

「遅いときは、朝の四時頃まで」

「おそっ!」

「ぼくは九時までで上がり。そのあとはここで勉強してる」

「ここ、ナオの家なの?」

「違うよ」

 アズサは好奇心旺盛なのかな。まだいろいろおしゃべりがしたいみたい。

「夕食作ってきたら、また来る!」

 かばんに荷物を放り込んだアズサは、子供っぽいだけなのか、足でも庇っているのか、両腕に体重をかけて身体を浮かせて、鉄棒から降りるときみたいにチェアから離れた。紺色こんいろのロングキュロットが、女学生の袴みたい。お勘定は四百円。見るつもりなんてなかったけど、財布の中に茶色いお札が何枚も見えた。

「ありがとうございます。ごきげんよう、アズサさん」

 アズサは振り返って、ぼくに舌を出した。



 九時少し前にお店の電話が鳴った。ジュンさんが受話器を取って短い話をして切る。いつも通り、母さんからだった。

 ぼくの母さんはジュンさんと同級生で今年三十五歳になる。見た目もそうだけどずいぶん子供っぽい。だいたいいつも女の子みたいにきゃいきゃい笑ってて、ちょっとしたことで拗ねたり、泣いたりもする。ただ、ぼくを怒ったことは覚えてる限りはなくて、いいじゃない? いつもその一言と笑顔で、色々うやむやにしてしまう。

「カオリさんから。ヒコさんが仲間を連れて来てくれたみたいで、ちょーいそがしーって笑ってた」

 ヒコさんは房山ぼうやまだか馬場町ばばんちょうだか、ぼくは知らないけど近所に住んでるらしい。スナックはこの辺りでは珍しく日曜休みじゃなくて年中無休。いつもわりと繁盛してて、とりわけヒコさんの貢献は計り知れない。お客さんを連れて来てくれたり、紹介してくれたり。

 ぼくは個人的にもヒコさんに色々お世話になってて、本や文房具をもらったり、お祭りにも何度か連れて行ってもらったことがある。ヒコさんとお祭りに行くといつも、夜店の楽しみ方の変化とか、なにかしら含蓄のありそうな話をしてくれる。上田祇園祭ぎおんさいに行ったときはこんな話だった。チビはお神輿に憧れて、ガキは真似して子供神輿を担いで、本当のお神輿を担いだら大人になる。担ぐのをやめたら留守番役になって、そうなると若いやつらの担ぎ方が気になって仕方がない。

 ジュンさんと母さんの関わりを教えてくれたのもヒコさんだ。

 ジュンさんと母さんは中学までの同級生だった。

 ぼくの母さんは、十九歳のとき独りでぼくを産んで、それから袋町ふくろまちのスナックで働き始めた。そのときジュンさんは、松高から東京の大学に進学して一年目。父親でもないのに、自由な大学生活も、希望に満ちた将来も捨てて上田に帰ってきてしまった。

 とはいえ実家には戻れなかったらしく、常田ときだの大学生向けのアパートを借りたあと、どこかでお金を工面してここ海野町うんのまちの空き店舗にカフェを開いた。始めからぼくの託児も考えてくれていて、このお店のバックヤードは、かつてはぼく専用のキッズルームだった。

 それからぼくが小学校に上がった頃、スナックも居抜きで借りて、母さんをママとして雇った。今の源氏名は、そのお店が開いて以来使ってる。

 ヒコさんもジュンさんも、別に母さんと付き合ってるわけじゃない。そんなことならぼくでも気が付くし、むしろ喜んでる。ぼくは特にジュンさんに恩義を感じているけど、負い目もすごく感じてる。ぼくがいなければ、ジュンさんと母さんは結ばれてるような気がするからだ。

 どうしてジュンさんとけっこんしないの? 小学校低学年の頃には母さんに何度か訊いたことがある。んー? まってんの。陽気であっけらかんとしてる母さんは、いつもそうこたえてた気がする。何を待ってるんだろう。それはこの歳になって考えてみてもわからない。ジュンさんの告白なのか、ぼくの自立なのか、何かに許されることなのか。



 九時過ぎ、バータイムになってバイトを上がった。今日は担当のカナさんは来てなくて、なによりお客さんがすっかり引けてしまっていた。

 アズサは約束通りカウンターの端に戻ってきてて、コーヒーを飲みながら写真集を眺めてる。ぼくはアズサのことは気にもしないで、ジュンさんへの報告を急いだ。

「ジュンさん、彼女、できたよ」

「ははっ、ナオは懲りないなぁ……それとも、ついにモデルちゃんと?」

「ちがうよ。キミコにはとっくにふられてる。付き合い始めたの先月からだから……十月で半年。覚悟しててね?」

「ははっ、続いたら連れておいで。僕は別に、いつ連れて来てくれても構わないんだけど」

 そう。神様を信じないぼくは、ぼく自身に願を掛ける。半年経つまでカホを連れて来ないでおこうなんて、ぼくが勝手に決めたことだった。中二と中三のときの彼女はこのお店で出会ってるから、今度こそちゃんと約束を果たしてからジュンさんに紹介したいと思ってる。カホとなら大丈夫。なんとなくそんな気がする。

「そういえばジュンさん、うれしい偶然ってほんとにあるんだね」

 ぼくは人の苗字は覚えられないけど、大切なことは忘れない。付き合ってるとしゃべった内容とか、そのとき流れてた音楽とか、電話番号とか。

 カホとのデートはお花見から数えて十一回になる。お散歩はもちろん、晴れてる土曜日は電車で遠出することもあったし、ぼくの住むアパートに来てくれるようにもなった。

 今までのぼくは都合の良い偶然なんて信じてなかったけど、カホと一緒にいると、些細な偶然でも奇跡のような気がして、すごくうれしい気分になれることがわかった。

「ん? ナオがそんなこと言うなんて。何かあった?」

「ぼくの持ってる絵本や童話、ぜんぶ知ってて、ぜんぶお気に入りだったんだって」

 ぼくは本を買ったことがほとんどない。絵本や童話や図鑑はぜんぶヒコさんからのもらいもので、以前はこのお店のバックヤード、ぼく専用のキッズルームに置いてあった。小二くらいからは独りで図書館に行くようになったし、辞書や参考書はタケちゃんがかき集めてくれて、中学に上がる前にキミコと一緒に持って来てくれた。

 つい先週、初めてアパートに来たカホを思い出す。部屋中をゆっくり見回して、すぅすぅと鼻を鳴らしたあと、ナオのにおい、と小さくつぶやいて優しく笑った。

 おじいちゃん家より広いよー、なんて言いながら、本棚代わりの押し入れの片隅から「ぼくは王さま」を何冊か引っ張り出したあと、その後ろにあった絵本の表紙を眺めて言う。すごーい、わたしも好きだったやつばっか! うそ? ぜんぶだよ! なんてちょっと興奮して、偶然を喜んでた。

 本はぼくが自分で選んだわけじゃなかったけど、やっぱりうれしい気持ちになる。ぼくらは指を並べてゆっくり文字をなぞりながら、「はるになったら」と「こんとあき」を読んだ。



「覚悟って……彼女をネタに賭けでもしてるの?」

 ちょっとした好奇心、くらいの声色で、アズサが話しかけてくる。笹船を浮かべるときみたいな滑らかな割り込み方で、最初から三人でしゃべってたみたいだった。

「賭けじゃないよ。約束」

「どんな?」

「詳しくは言えない。でも、ジュンさんの幸せが懸かってるから……やっぱりかけかな?」

「ん? 僕はもう、幸せなんだけど?」

 今度はジュンさんが口を挟んだ。流れてたビージーズの歌声がふいに消えて、思い出したように古いジャズに替わった。知らない歌だったから耳をそばだてたけど、「ユゥマスリメンバディス」までしか聴き取れなかった。



 ジュンさんとは約束があった。小学五年以来、ぼくはこの約束を果たすことを最優先してきた。十歳、小さな恋くらいなら覚え始めた頃、ぼくはジュンさんに訊いた。

「なんで母さんとけっこんしないの?」

「そもそも付き合ってないからなあ」

「すきじゃないの?」

「好きだよ? ……ところで、ナオの言う『すき』ってどんな感じ?」

「けっこんするって決めてる感じ」

「ははっ、堂々巡りだな。じゃあ、ナオにとって『けっこん』ってなんだ?」

「……一緒に暮らして、子供をつくって、家族をつくって、えーと、しぬまで一緒に暮らす」

「そうか。ナオはそう考えるんだ」

 ジュンさんは笑顔だったけど、気持ちはまったくわからなくて、寂しそうにも見えたし、楽しそうにも見えた。ぼくはこのとき初めて、すきとか、けっこんとか、家族とか、しぬとかいったことについて、人それぞれに抱いてる想いが違うのかもしれないことに気が付いた。ぼくはこころの中にある大切なことばのリストに、いくつかを書き加えた。

「じゃあ、ナオも彼女と付き合うくらいの大人になって……そうだな、最低半年? 半年経っても彼女との未来をちゃんと考えていられたら、僕も告白するよ。ふられるかもしれないけど」

 そう言ってジュンさんはぼくの頭を撫でた。子供扱いされてるようで、ちょっと悔しかったことも覚えてる。

 ぼくはこの約束を果たすまで、母さんにも彼女を会わせないようにしようと決めてる。ジュンさんにいろいろしゃべっちゃいそうだし、ぼく以上に彼女にべたべたしちゃいそうだし、一番はまぁ、なんとなく気恥ずかしいからだ。母さんはいつも昼頃まで眠ってて、お店の子に任せてお休みしてる水曜、木曜以外は五時にはアパートを出てしまうから、別に難しいことでもなかった。



「ナオって、半年も彼女と続かないんだ?」

「今まではそうだったかも」

 カホとなら大丈夫。なんとなくそんな気がする。

「じゃあさナオ、いっそ、半年契約で付き合うのってどう? お互いわかり合うところから、半年ずつ」

「期限を決めるの? 考えたこともなかった」

「かえって大切にするかもよ? 相手のこととか、一緒にいる時間とか」

「ははっ、それ面白いかも! 中等科ちゃん」

 ジュンさんが笑って言った。

「へんなあだ名付けないで!」

 ははぁ、またムキになってる。小学生みたい。

「そういえば、モデルちゃんってのもすごいあだ名だよね? 呼ばれるの恥ずかしそう」

「ジュンさんも、さすがに本人には言ってないよ。滅多に来ないし」

「そんなにモデルっぽいの?」

「うん」

「……あー、もしかして」

「なに?」

「いつも制服着てる、せいの高い人?」

「知ってるの?」

「見かけただけ。えっと三回。二回は市役所の近くで、あと、原町はらまちってところだっけ? なるほど、モデルかー」

「たぶんその人。キミコ」

「目立ちすぎだよね? 彼女なら、原宿とか歩いたら絶対スカウトされるよ? 服の好みは微妙だけど」

「制服のこと? 三着あれば着回せるから楽なんだって」

「意外! 趣味で着てるんだと思ってた」

 実はあんまりこだわりないんだよねー、キミコの口癖を思い出す。キミコならなんでも似合うのに、きっとなんでも手に入るのに、ファッションにさえもこだわらない。

「ナオさっき、そのモデルちゃんにふられたって言ってたよね?」

「うん。小学五、六年のとき」

「はやっ! 私なんて歯の矯正とかしてた頃だよ?」

 キミコのことをすきになった時期や理由ははっきりしないけど、気になり始めたきっかけは覚えてる。小四で同じクラスになって、母親になるのが夢、という将来の夢の発表を聴いたときだ。本心はわからないけど、ぼくにはそれが立場とか役割でいう「母親」になりたいんじゃなくて、もっと野性的な意味で、ハハオヤになりたい、そう言い切ったように聴こえて、どきどきしながらキミコを眺めた。キミコは当時から大柄で活発で強気で、そして飛び切りうつくしかったけど、そんなキミコが五人くらいの我が子を引き連れて、街を闊歩してる姿が簡単に想像できた。



 ぼくが考え事をしているように、梓もいろいろ考えながら好奇心を満たしていってるみたいだった。ふと気付いた様子で、急にしんみりして言った。

「それにしてもさー」

「なに?」

「たまたま見かけた人のことをナオがよく知ってたとか、歩いてすぐん所に家も学校もバイト先も、お城まであるとか。完結しちゃってる感じがハンパないよね? えーと、悪い意味じゃなくって、コタツから手が届くところにぜんぶある、みたいな」

 たまたまじゃないよ? そもそも街ってそういうものだと思う。人生の最初から最後までに必要なものがひと通りそろってて、暮らす人はみんな、大なり小なりどこかで繋がってる。そして誰にだってもれなく人生の物語があって、それが絡まって積み重なって、街の歴史が創られていくんだと思う。

 ぼくはアズサを、街中を案内して回りたくなった。ゆっくりくまなく歩いて、街角ごとにある歴史や物語を聴かせたい。

「今度、一緒にお散歩行く? 街中を案内したい」

「楽しそうだけど、彼女やキミコさんに見つかっても大丈夫?」

「なんで?」

 アズサは呆れた顔をした。

「えっと、だからぁ」

 ぼくは首もかしげてみせた。

「ヤキモチ妬かせちゃうかもしれないじゃん!」

 ははぁ、ばつが悪そう。小学生みたい。

「アズサ、ヤキモチやきなんだ?」

「私は妬かないよ!」

 そのあと、しばらく無視されたけど、アズサは元通りおしゃべりをしてくれた。

 十時過ぎ、明日も来まーす! と明るく言い残してアズサは帰った。どうやらカフェを、気に入ってくれたみたいだった。

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