第7話「チビリ!」小野健一(五月)

「なあテツ、リック。モテたくねー?」

「はあ?」

 テツがいつも通りの無気力な声を返す。リックは無言のままオレに視線を向けた。

「オレ、すっげーことに気がついちゃったんだけど!」

 五月半ばの朝。入学してから一ヶ月半も経っちゃったせいか、教室中にみなぎってたお祭りみたいな雰囲気はすっかり落ち着いちゃってた。繊細で敏感なオレは、もしかしたらこのまんま惰性で三年間が過ぎちゃうかもしれない、なんて不安をしばしば、一週間のうち三十分くらいは感じるようになってきてた。

 そんなパッとしない状況を打ち破りたくて、バスケ班の朝練を終えて教室に戻ってきたパッとしない二人組に向かって、昨晩ふと閃いた最高のアイデアを聞かせてやろうと切り出した。

 オレには天性の閃きがあるみたいで、だいたいの悩みについてはその日のうちに、夜寝る前の哲学的な思索で解決しちゃってる。もちろん先月、ナオごときに彼女ができたと聞いてショックを受けた日も、やっぱし同じ方法で立ち直ってた。

 やり方は意外と簡単だ。必要なものは天性の閃きと好きな音楽だけ。あとは、枕に頭を乗せて目を閉じればいい。運が良ければ閃いた内容を翌朝も覚えてるし、もっと運が良ければ悩んでたことも含めてスッキリ忘れてる。

 欠点は翌日、朝練に行くのが面倒になっちゃうこと。だけどオレの場合、うっかりリビングの床で寝ちゃった日の翌朝でも朝練に行くのは面倒だったから、そこはあんまり気にしてなかった。

 ナオがしたたかに、オレのアイデアを盗み聞きしようと近寄ってくる。オレ様のオーディエンスが集まった。

「ねえ、ねえ、モテるようになる方法なんだけど聞いてみたくない? っていうか聞いてくんない?」

「しつこいなケン。どうせまたくだらないことだろ?」

「ぼく聞いてみたい」

 ナオ最高! こんな友達がいてよかった。

 三人に向かってオレはもったいぶって言い放った。ドヤ顔になんないように気をつけながら。

「芸人とかバンドとかでモテてる人たちって、オレたちくらいの年頃んときは、イケてないけどモテたくって仕方なかったヤツらなんだよ」

 オレは言葉を切って、三人を見回す。

「だから、コンビ組むか、バンドやろーぜ!」

 どうだ!

 テツは言葉を失って、まるで感動してるみたい。リックはいつも通り黙ってるから、かなり感動してるみたい。ナオはニッコリ笑ったあと、口を開けた。

「そうなんだ」

 なんでだろう。ナオのリアクションになぜだかムカつく。テツが追い討ちをかけてくる。

「ケンお前、失礼なヤツだな? 芸人でもバンドでも元からイケてる人いっぱいいんじゃん」

「そんなことねーよ! 全員とは言わないけど、絶対、かなり、ちょっとはいるはず!」

「そりゃ、絶対数ならイケてねーヤツのが多いだろ」

「いいじゃない。ケンは芸人やるの? 音楽やるの?」

 ナオ最低! お前、友達いねーだろ? ちょっと彼女がいるからって上から目線の物言いがムカつく。彼女がいれば勝ちで、いなけりゃ負け、そんな世の中をオレは認めない。オレに彼女ができるまでは。



 絶対に忘れない。

 中二の冬がオレの人生のターニングポイントだった。異次元が交差する特異点に遭遇した、と言い換えてもいい。三次元に踏みとどまってリア充を目指すか、三次元に三行半を突きつけて二次元の住人になるかの瀬戸際、親父が本体無料につられて買ってきちゃったiPadがキーアイテムだった。その時、オレ史が変わった。

 中二の夏休み明け頃からオレはサッカー部をサボりがちになってた。怒られるのが超怖いからサボれなかった先輩たちが引退したのと、中学に入ったばっかしの後輩たちにまでこっそりオノケン呼ばわりされてることを知っちゃったからだ。だからってグレることもできなかったオレは、サッカーをサボってる間は学業に打ち込んだ。この生活はたまたま結果的に、いや戦略的に、二つの成果を生み出した。主要五科目の成績がワンランクアップして、しかもiPadの独占使用が許されたんだ。まあ、親父が使いこなせずに飽きちゃっただけだけど。

 最初は二次元コンテンツが目的だった。オレはニコニコ動画ニコどうやピクシブを手当たり次第に研究した。そう、あくまでもクール・ジャパンの研究。北条まどかを眺めて、愛とか恋とかについて妄想したかったわけじゃない。でも、そこにはオレに優しい世界があった。ここにいれば現在への不満や焦りも、将来への不安や諦めもあんまし感じない。どんくさくってもモテる。むしろモテすぎると困るんだってことを教えてくれる。後輩にまでナメられてるサッカー部なんて辛いから辞めちゃって、原さんとの妄想……バーチャル恋愛の会話もワンパターンになってきたから止めちゃって、いっそのこと、世界にはZ軸なんて存在しなかったことにしようかとまで思いかけてた。

 寒くなってオリオン座が見え始めたころ、女子向けだと思って避けてたタイガー・アンド・バニータイバニに遅ればせながら手を出して、オープニングソングを聞いちゃったのが運の尽き、いやこの場合は運のツキだった。「ココデオワルハズガナイノニ」そんなつぶやきが聞こえた。何回もリピートする。そうだよ、オレの三次元は、リア充の青春はまだ終わってない、っていうか、始めてすらいなかった!

 カッコいい歌を次々と探した。YouTubeようつべ、PVなんかがどんどん出てくる。その向こうへ、その向こうへ、そんな声に背中を押されて聞きまくった。見つけたぞ、何を? ずいぶん昔のPVだったけど、超なじみ深い上田城の東虎口櫓門前の広場で、怖そうなお兄さんが叫んでる。カッコいい! 超カッコいい!!

 弱い人間やから解るんじゃあ!

 何回言うたら解るんじゃあ!

 その時オレはちょっとだけ開き直ったんだ。どんくさくても、ナメられてても、馬鹿なんて誤解をされてても、オレは三次元に居残り続けてみよう。ちょっとサボることはあるけど、ハイテンションで生き続けてみよう、オレに彼女ができるまでは。



「オレ、バンドやりたいんだけど」

 帰りのHR前、オレがなんの気なしに言ったひとことに、武井さんは意外な反応を返した。ちょっとその話じっくり聞かせてよ。もちろんオレは二つ返事で、トイレにこもって班活へ行くみんなをやり過ごしてから教室に戻った。

 隣の席の武井さんとは、前より一段と話がはずむようになってた。オレとしゃべるとよく笑ってくれる。それは、ウケ狙いなんかしたつもりのない会話でも、オレの高尚な哲学を語ってるときも、オレの膨大な知識を披露したときでもおんなじだった。

 オレのことをどう思ってるのかは知んないけど、オレにとっては話をしてくれる唯一の女友達だった。しかも最近は、オレをケンと呼んでくれてる。だからオレも最近は、武井さんのことをマリーって呼ぶことにしてた。心の中で。

「ケン、バンドやりたいって本気?」

「うん」

「楽器できるんだ?」

「うん。エアー系ならなんでも!」

「エアーって、げーせんじょうのありあとか?」

 えっ? ゲーセン場って太鼓とか初音ミクじゃね? オレ、二次元とかぜんぜん興味ねーし。もっと言うと、鏡音レンには消えて欲しい。ナオに似てるから。ナオが神聖な音楽を、モテたいためだけにやってるみたいでムカついて仕方ない。まあいっか。オレたちのステージはクラブとかライブハウスとかだから。

「あー、うん、それ系? エアギターとか、エアベースとか、エアドラムとか?」

「ケンなら、エアヴォーカルやエアコーラスも才能ありそうじゃない?」

「才能!? マジで!? じゃーそれも!」

 思ってもなかったくらいに話はどんどん弾んだ。オレの直感的な閃きが、マリーとのコラボレーションでどんどん具現化してく。それはエキサイティングなエクスペリメンスだった。

「エアーバンドやりたいんだ? ケンジって呼んであげよっか?」

「それは勘弁! ガチでマジなバンドやりたいんだよ!」

「どんな音楽?」

「ガチでマジなやつ」

「わかんない。ケンは、どんな音楽がやりたいの?」

 マリーはちょっと真面目な顔になった。どんな音楽がやりたいかって? そんなことは考えてもなかった。いや、あえて考えてなかったんだよ? 既成の枠にとらわれたくないっていうか。強いて言えば、いや、ぶっちゃけて言えば、ガチでマジにモテる音楽ならなんでもいい。モテるなら、音楽じゃなくてもいいかもしんない。さすがにそれは、ちょっと言いづらい。

 オレは答えを先送りして話をそらした。

「それよりさー武井さん楽器できるよね? 元吹奏楽だし、ということはラッパだし、つまりラッパー?」

「うーん、私はげんばすだったから、ヴィオラーとか、チェラーならなんとか」

 へ? げんばすって何よマリー。チェロとかビオラとかコントラバスなら聞いたことあるけど。まあいっか。

「あー、うん。それ系? ギターやベースはどーなの?」

「ベースなら私、向いてるかも」

「え! じゃあ、バンドやっちゃう?」

「ケンが本当に本気なら、私も考えるけど」

 マリーはもっと真面目な顔になった。オレはふと、日頃思ってたことを聞いてしまった。

「武井さん、なんで吹奏楽続けなかったの? こんなに音楽好きなのに」

 武井さんは表情を変えなかった。聞かなきゃ良かったかな? 少し後悔しそうになったけど、聞く前にそんなこと思い付きっこない。だから大人なオレはこんな時、相手の立場に置き換えてレーションすることにしてる。つまり今、オレはサッカー班を惜しまれながら辞めちゃってて、学園一の美少女から「なんで辞めたの?」って聞かれてる状況。もちろん上目遣いで。

「音楽性の違い、ってやつ?」

 レーションが始まる前に回答されちゃった。しかもなんだか妙にカッコいいセリフ。吹奏楽にもそんな脱退理由があるんだ。ごまかされてる気がしないでもないけど、まあいっか。

「じゃあ、音楽性も合わせるから、バンドやんない?」

「考えなくもないこともないけど、それでケンは、どんな音楽が好きなの?」

 どんな音楽が好きなのか。それなら答えられる。人に言うのは初めてでちょっと恥ずかしいけど。

 オレは思い出す。その向こうへ、その向こうへ、オレをアツくしてくれた音楽。オレをリア充ルートに引きずり戻してくれた音楽。

「ロ、ロック。最近あんま流行んないけど、俺的にはメロコア系が好きで。特に10-FEETとか」

「いいじゃない!」

 ナオの口ぐせみたいなところだけが気になったけど、マリーの顔がいっぺんに明るくなった。よかった! なぜだかホッとする。オレの好きな音楽、マリーもまんざらでもないみたい。

「でも、こないだ教えてもらったバンドはメロコアじゃなかったけど? 荒川ケンタウロス」

 なんだっけ? それ。あー仁美さんとしゃべってて知ったかぶり、いや、リスペクトしたやつだ。

「あれも良かったよー!」

「そうだよねっ!」

 テキトウに同意しちゃった。

「メロコア好きならさ、こういうのどう?」

 マリーはバッグからiPhoneを取り出した。今までたくさん話をしてきたつもりだったのに、こんなに前のめりになってくれたのは初めてだ。

 なんとなく思ってた。マリーは今まできっと、オレのすげー薄っぺらでハンパな話に呆れながら付き合ってくれてたんだ。地味に見える武井さん、ってのは世を忍ぶ仮の姿で、素顔と心の中にはキラキラ輝くものやアツくなるものがあって、それはオレみたいにニワカで知ったかぶり野郎には軽々しく話すようなことじゃなくて、一人でもっと真剣に、大切に向き合ってきたんだ。

 気付くと、イヤホンの片っぽを差し出されてた。オレなんかの耳あかが付いちゃうよ? それさえも言い出せなくて、受け取ったまま顔を見た。

 早くっ、マリーは笑顔のままそう言いながら、もう片方を自分の右耳に挿す。すいません! 理由もないけどオレは謝って、思い切って左耳に突っ込んだ。

 オレは目を閉じた。

 ドラムの音がパッとしなかった気分を軽く蹴散らすと、ギターがいきなりオレの肩をつかんで引き起こす。前向けよケン。ベースとドラムが全速力でリズムを刻み出して、そこに思いっきし元気な女子の声が弾ける。青空の下で水しぶきを浴びたみたいで、思わず首をすくめた。男子の声のラップがかぶる。荒削りだけど、じっと座って聴いていらんない。すげースピード感、すげー生命感!

 流れゆく時はいつでも 儚く切なさをのせて

 ただ先を行くまっすぐに 振り返ることは一度もなく

 オレは黙って最後まで聴いた。鳥肌も立ってたかもしんない。演奏が終わるとマリーはオレを見てた。眼鏡の奥の瞳がキラキラしてる。

「どう? 四国の大学生がやってんだって!」

 オレは少しボンヤリしてた。本当に感動すると、テキトウな同意なんてできないんだ。

「うん、これ。……これがやりたい」

 マジでガチでモテたいとか、今はどうでもいいような気がした。オレも、エアーじゃないギターを全速力でかき鳴らして、そんでもって叫びたい。今の、オレの望みや喜びを!

「今日、さっそく行ってみない?」

 オレはうろたえた。マリー、意気投合したからってちょっと早すぎません? そもそもオレ、デートもしたことない。

「楽器屋さん。ギター見に行こうよ。エアーじゃやっぱり無理でしょ?」

 そうだよね。前のめりに考えすぎちゃった。

「班活あんだけど……もしかして、待てたりする?」

「うん。教室で待ってる」

 オレにはいきなり夢ができた。まずは目の前にちゃんと見える、小さな夢だ。それは、とにかくマリーと一緒にこの歌を演奏して、唄うことだった。



 古くっさい校門から海野町うんのまちまで、オレは初めて女子とツーショットで歩いた。もっといちゃラブした雰囲気とか、いっそガチガチに緊張するものだと思ってたけど、小さな夢を抱いちゃったアンビシャスなオレは、そんなことすら忘れて夢中になってしゃべってた。

「オレ、ギター兼ボーカルでいいよね?」

「じゃあ私はベース兼ヴォーカル。ツインヴォーカルだね」

「うん。ところでさー、バンドの名前、どうする?」

「もしかして、ずっと考えてたんだ?」

 マリーはなぜだかオレの目じゃなくて鼻のあたりを見て言う。オレのワクワクした気分はバレバレだったみたい。ぶっちゃけ、班活中にずっと考えてた。むしろそれしか覚えてない。

 オレは得意げに言った。

「6-Feet。オレの身長」

「パクりすぎ。身長もサバ読みすぎ。十七センチも!」

 パクりじゃなくてリスペクトだよ? ところでなんでオレの身長そんなに詳しく知ってんの? オレはすげー小っちゃいマリーを見下ろす。

「じゃあ、オノバンド!」「却下」

 なんで却下? 同じ名前のバンドでもあんの?

「じゃあ、じゃあ、ケンバ……」「それも却下!」

 はやっ。オレの話を聞けよ、マリー。

 実はもう、ストックがなくなっちゃてった。ずっと真剣に考えてはいたんだけど、週刊上田や東信ジャーナルの記者に囲まれてインタビューに答えるところのレーションに時間を割きすぎちゃったみたい。

「じゃあさー、オレの尊敬する人をリスペクトして、ノーブー、ってどう?」

「おぶりげーしょん? おぶりーじゅ? ところでケン、呼び捨てにできるの?」

 それ何語? 英語とかフランス語ならオレ、ペラペラなのに。っていうか確かにマリーの言う通り、ノブ! なんておそれ多くて叫びづらい。

 どうしよう。考えなきゃ。女子にこういうの任せちゃうと、放課後っぽいバンド名になりそうでヤバい。二次元とかぜんぜん興味ねーし。オレはちょっと投げやりな気分になってきた。

「じゃあもう、オレのムカつくヤツをディスって、チビリ! でいーよ」

「ん? いいじゃない?」

 えっ本気? っていうか大丈夫? ナオ怒っちゃってブチ切れたりしないよね? オレに。

 チビリ武勇伝ってやつもすっかり聞き忘れてたことを今さら思い出した。けど、小さな夢を抱いちゃったオレにとっては、もうあんまし興味もなかった。

「じゃあバンド名はそれで。ドラマーに連絡するね」

 マリーは、オレの天性の閃きでもこれっぽっちも思い付かなかったドラムパートの必要性に気付いてたみたいで、メンバーまでいつの間にか見つけてくれてた。

 ポカンとするオレの目の前で、マリーはLINEでトークを送る。その人が男子だったらすげーだなー、なんてブルーになりかけてたら、オレに画面を見せてくれた。

『バンド名決まったよー。なんと、チビリ!』

 すのみー

『いいじゃない!』

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