第4話「ナンデモテルノ」小野謙一(四月)

「ねー武井さんって二中だったよね? ナオってなんでモテるの?」

「ナオ? ああ立石君ね。ナンデモテルノって何? イタリア語?」

 始業前、先生が来るまでのわずかなざわめきの中、オレは小声で聞いてみた。

 隣の席の武井茉里まりさんはとっても真面目でとっても地味。いかにも元吹奏楽部です、といった感じのすげー小っちゃい文化系眼鏡女子。でも話してみると気さくで感じがいい人だ。入学以来毎日しゃべってる。

 ド近眼です! と主張してる分厚いレンズの眼鏡、白いブラウスをベージュのチノパンにイン。ポニーテールはきれいにとかされてるけど、いかんせん真っ黒で中途半端な長さ。カットしてないからちょっと眠そうな眉毛、素っぴんに少し浮いたそばかす。

 でもよく見ると顔の作りはけっこう、いや相当に整ってる。小さな卵みたいな輪郭に、形のいい鼻と口と耳がバランス良く並んでる。皮膚が薄そうな白くてキレイな肌。さらに、眼鏡を外すと目が一段と大きくなることにもオレは気付ている。

 この発見はオレだけの秘密だ。オレだけが美少女だって知ってる。オレだけに心を開いて話をしてくれる。こういうのって、男のロマンだと思う。

 とはいえ残念ながら、E組のトップグループを率いるオレの恋愛対象としては、あか抜けない点がネックになっちゃう。先週末に会ったキミさんはちょっと別格だけど、一緒にいた仁美さんとか、同じ中学ならB組の原さんとか、やっぱ理想は腕組んで歩いてて周りの男達がオレをうらやましがる、けどケンカは売ってこない、ってレベルじゃないと自慢できない。

「いや、ナオって、どうして女子にモテんのかな? と思って」

「小学校で高学年のときクラス一緒だったけど、立石君ってモテたっけ?」

「え? モテないの?」

「聞いたことないなあ。土屋さんが鉄壁ガードしてて近付き難かったし。あ、わからないよね? 土屋さんって言われても」

「もしかして、キミさん?」

 ちょっと声が大きくなってしまった。

「土屋さん知ってるの!? すごくキレイな人じゃなかった? それにしても、キミさん、なんて、やけに親しげだね?」

「いやー先週ナオとつるんでたらたまたま出会って結構しゃべって仲良くなっちゃって」

 まあ、オレはあんまりしゃべってない気もするけど。あれ? 話しかけられもしなかったっけ? オレは必死に思い出す。そうだ! アイスを豪快におごったときにしゃべった気がする。

「ふーん。まだ仲いいんだあの二人」

 武井さんはなぜだかちょっとうれしそう。でもオレ的にはキミさんがナオとだけ仲いいなんて、そんなの認めらんない。

「キミさん、D組のケージ君のが仲いいみたいだったけど」

「ケージ君? ああ黒崎君ね。小野君一緒だったんだ? 顔広いねえ」

「いやーナオが呼んじゃったから結構しゃべって仲良くなっちゃって」

 まあ、オレはあんまりしゃべってない気もするけど。ケンって呼んでくれてたし。

「そういえばナオって、小学校んときイジメられてたの?」

「立石君、いじめられてたっけ?」

「え? 違うの? お漏らししてチビリって呼ばれてたとか」

「お! チビリ武勇伝、聞いたんだ!?」

 武井さんは思いっきし笑顔になった。オレが思ってた以上に武井さんはナオとつながってる、そう思うとなぜだか焦る気持ちになっちゃう。ついでにテンションもだだ下がりだ。

「武勇伝って何それ」

 リックみたいな小声で、テツみたいに無気力なしゃべり方になっちゃう。

「詳しく聞いてないんだ? イジメじゃなかったと思うけどなあ、あれは」

 オレの凹んだ顔を見て、武井さんは言葉を切った。



 いざ授業が始まると、やっぱしナオの話がめっちゃ気になってきた。イジメっ子と傍観者はいつだって、あれはイジメじゃなかった、なんて言うんだ。

 オレはナオほどじゃないけどちょっとだけ小柄で、昔のことだけどちょっとだけどんくさくて、あとオレの高尚な哲学を理解できるヤツがいなくって、あーあオノケン、とか、オノケンかよ! とか、オノケンのくせに! とか言われてずっとイジられてきた。しゃべったこともない目立ってる系の女子や、サッカー部の後輩にまでオノケンって呼び捨てにされてたこともある。しかも、上から目線で。

 中学んときは、B組のノブ君みたいなすげー人がいて、次にそこそこ目立つヤツがいて、それから普通のヤツがいて、それからオレがイジられ役、笑われ役だった。

 でも、オレの潜在能力はきっと高いはず。やればできる子のはずだ。

 だってオレは文武両道。上位二十人くらいしか受からないと言われてた松高に、こうして余裕で合格してる。担任も「奇跡だ!」なんて感激してくれたから、オレが選ばれし奇跡の存在だってことをわかってたみたい。何度も辞めようと思っては踏みとどまったサッカーでも、中三最後の超大事な試合だってのにフォワードとして起用されてる。後半残り十分間とロスタイムを駆け回ったオレ。

 ここは進学校だから、きっとガリ勉ばっかしで、オレよりどんくさいヤツばっかしのはず。ノブ君やケージ君は別だけど。この際、高校では一段とイケてるヤツになって、イケてる証拠にまずはサクッと彼女でもつくろうと思ってる。そう、まずは彼女が欲しい。とにかく彼女が欲しい。めっちゃ彼女が欲しくてたまらない。



 ナオとは同じクラスになって二週間くらいの付き合い。オレよりもずっと背が低い。三センチくらいは。LINEとかツイッターとかもまったく使えなくて、そもそもスマホどころかガラケーも持ってない。まるで二十世紀のリテラシーレベル。

 音楽とかドラマとかもぜんぜん知らない。服ももらいものばっかしで、自分の主張ってやつを持ってない。髪型だけはちょっとだけ似合ってて、生意気なことに美容室なんかに行ってるらしいけど、カットモデルだからタダだしお任せだって言ってた。

 オレたちみたいな目立つグループといつもツルんでるわけじゃなくて、自分が絡みたいときだけしれっと絡んでくる。いつの間にか隣にいて、オレの深い語りを盗み聞きしてることも多い。時々、地味なヤツらとしゃべってたりするのも見かける。あとはだいたいぼっち。大人しくって目立たない。

 先週誘ったのだって、テツがそう言ったからだった。ナオならケージ君を呼べるかもしんないし、見た目可愛いからウケもいいかもしんない。で、連れてった結果はムカつくことばかりだ。イジメられっ子のくせにモデル級の美女に気に入られてて、ケージ君より偉そうにしてて、しまいには女子をひとり連れ去ってった。その相手が仁美さんだったらオレ、ナオをシメてたかもしんない。匿名裏サイトとかで。

 だから理由を知りたい。ナオなんかでも女子と仲良くできちゃう理由はなんだろう。もしかして、単に顔が可愛いからかな? もしもナオが女子だったら、オレ、本気出してたかもしんないし。



「ナオ、土曜日やらかしやがったな? この野郎!」

「うん。テツ、それほんとに痛い」

 昼休み、テツがナオをイジってた。身長差を生かしてヘッドロックまで極めてる。

 ナオは女子を連れ出しただけじゃなかったの? オレは不安にかられて聞いてみる。

「ナオ、あのあとなんかあったの?」

「はあ? ケージ君から聞いてねーの? ま、そらそーか」

 続けて、テツはオレに死刑宣告を突きつけた。被告はナオだってのに。

「ナオ、飯島さんと付き合い始めたって」

「ええっ? いくらなんでも早くね? 飯島さん、もしかしてチョロイン?」

 束縛からとかれたナオは、とぼけた顔のまま黙ってる。むしろテツがなぜだかムッとした。オレ、ヤバそう。

「チョロイン? なんだよそれ?」

「で、出会ってすぐに付き合っちゃうとか」

「馬っ鹿だなケン。まだゲームやアニメの話してんのか? なかなか付き合わねーのは最終回まで引っ張るためだろ? 大人の事情で」

「馬鹿にすんなテツ! 付き合うまでのプロセスが大事なんだよ!」

 実はテツもゲームやアニメに意外と詳しいんじゃねーか? そう思ったけど怖くて言えなかった。

「はあ? プロセス? いい感じになって告るだけじゃねーか」

「いいじゃない? ぼくはチャラくてカホはチョロかったってことで」

 ナオが笑って割り込んできた。空気が読めないヤツで助かった! テツの矛先がナオに戻る。

「ナオお前、自分の彼女をけなしてんじゃねーよ?」

「すぐ付き合ったのはほんとだから。それよりテツ、付き合ってからのが大切だし、長いし、難しいと思わない?」

 ナオは真顔になってテツの目を見て言った。女子と付き合ったことがあるオレ、そんな雰囲気を醸しだしまくってるのが許せない。

「んー? まーそーかもなー」

 テツが遠い目になった。興味なかったからまったく覚えてないけど、バスケ引退するとき後輩から告られて二ヶ月くらいで自然消滅した彼女のことを思い出してるのかな? オレは、テツの苛立ちが治まったことにホッとしちゃってた。



「立石君、こないだ柳町やなぎまちに入ってくの見たよ。お母さん相変わらず若いねー。カップルみたいだった」

「そういえばマリん家、木町きまちだったね。付け届けを買いに岡崎酒造おかざきさんに行った時かな?」

「おつかいなんて偉いね。亀齢きれいだっけ。あそこの娘さん、漫画家なんだよねえ」

「うん。紺屋町こんやまち和田龍酒造わだりゅうとかもいくよ」

「だったら、北大手きたおおてのすのみーんの前も通るんだ」

「うん」

 小学校の頃のナオ話をやっぱし聞きたくて、武井さんと二人で話せるチャンスをうかがってたら、結局、放課後になっちゃった。しかもオレ様に帰りのあいさつをしに来たナオに、なんと武井さんから声をかけて、そのまま盛り上がっちゃってる。

 オレは班活に行かなきゃなんないのに。なんでだろう、このまま二人を残して教室を出るわけにはいかない気分。

 ナオには飯島さんとかキミさんとかいるじゃんか? 武井さんはオレだけが知ってる宝の原石。オレとおんなじで、能ある鷹は爪を隠してる系なのに。武井さんはオレといる時と同じくらい気さくにしゃべって、楽しそうに笑ってる。オレはまた、なぜだかすげー焦る気持ちになる。

「おいオノケン、班活行くぞっ!」

 F組の高梨君がオレを見つけて呼んだ。高梨君にはさからえない。時間切れだ。どうかこれ以上、二人で盛り上がりませんように!

「あ、うん。じゃ……武井さん、ナオ」

 急いでバッグをひっつかんで教室を走り出る。

「小野君、またね!」

「ケン、ばいばい」

 武井さんとナオの声が背中に聞こえた。オレはもう、理由のわかんない焦りが募って仕方がなかった。



 ぶっちゃけ、進学校に来たってオレがどんくさいことには変わりがなかった。文武両道の松高の中でも、サッカー班のレベルは想像以上に高くて全県トップレベル。入学前から参加してるノブ君は別格として、ほかの同級生十人の中でもオレのポジションはちょっと危うい、っていうか明らかに最下位。オレはノブ君と同じ中学出身で、よく知っててよく声をかけてくれるから、ぎりぎりなんとかイジられずに済んでるような気さえする。

 声を出そう。技術がいらない場面では気合いを見せよう。班活を始めて二週間、サッカーでももう焦りを感じ始めてる。



「立石ナオって知ってる? 今、おんなじクラスなんだけど」

 グラウンドにトンボをかけ終わって着替えに戻る道すがら、二中出身の窪田にナオについて聞いてみた。

「ああ。中一んとき一緒のクラスだった」

「あいつモテんの?」

「え? アイツモテンって何? 麻雀用語?」

「すいません。……ナオは、女子にモテたの?」

「ナオがモテる? 知らないなぁ。確かに、いっつも女子と遊んでたけど」

「部活は?」

「やってないか、どっかの幽霊部員だと思うけど。……ん、そういえば入学早々、同じクラスの女子と付き合ってるとか噂になったわ。一瞬」

「マジすかっ!?」

 興味なかったからまったく覚えてないけど、告白されたことなんて一度もないんじゃなかったの? ナオに騙された! すげームカつく。

「わかんない。一瞬で消えた噂だし、ナオが遊んでたのは他のクラスの女子グループだったし。そいつらちょっと怖くて、うちの教室に乗り込んでくるとクラスの女子が大人しくなってた」

 怖いって、もしかして。

「キミさん?」

「えっ、すごいな小野。土屋さんと知りあいなんだ? すごく美人だろ?」

 そーだっけ? まーオレはヤツのこと、キミさんって呼んでるけどな。窪田ぁ、なんなら紹介してやろっか?

「うん。オレもそう思う。すげー美人」

「だよな? あのレベルはマジいない! でも、しゃべったことないわ。ちょっと怖いし」

「オーラってやつ?」

「え? まあ、そんなようなもんか」

 テツ、やっぱオレには見えてたんだよ、オーラ。

 窪田はキミさんの話になると少しだけテンションが上がった。好きとかじゃないだろうけど、窪田にとっても仰ぎ見るような存在だったんだ。キミさんは何もかも天から与えられてて、欲しいものはなんでも手に入る感じがする。ノブ君やケージ君もそうだ。世の中はなんて不公平なんだろう。オレなんて朝六時に起きて朝練行って、授業はさっそくわかんない話とか出てきてて、暗くなるまで班活やって、家帰ったらヘトヘトなのにモテ系の話題をキープするために音楽とドラマとアニメとファッションをチェックして、それでも相変わらずどんくさいオノケンのまんま。将来もしもサラリーマンになれたとしても、やっぱし朝から夜中まで働いて、ヘトヘトなのにニュースとかチェックして、それでも結局オノケンとか言われて馬鹿にされてそうな気がする。オレよりヘタレっぽいヤツいないかな? あーそうそう、おしっこチビリのナオがいた。

「ねえ窪田、チビリの話、知ってる?」

「チビリ? ああ、ナオのこと?」

「やっぱそう呼ばれてたんだ」

「ん? 呼ばれてないよ。土屋さんがそう呼んでただけで」

「え? ナオ、おしっこチビったんじゃないの?」

「わかんない。ナオにそんなに興味もないし」

 そっか、わかんないんだ。なんだか気分が凹んできたし、めんどくさくなってきちゃった。

「さっきから何? ナオのこと嫌ってんの?」

「いや、別に嫌いじゃねーけど。……なんか地味でぼっち系のヤツなのに、人間関係がすごくて不思議だなって思って。ケージ君より偉そうにしてたりもするし」

 本当はケージ君のことまでは、人に話すつもりなんてなかった。だって口に出しちゃったら、オレはケージ君より格下の人間だ、と宣言しちゃうみたいで。でもぶっちゃけ今日はナオにムカついてたんだと思う。ナオのくせに、彼女がいるくせに、武井さんのことをマリ、とか呼び捨てにして楽しそうにしゃべってた!

「ケージ君って言った? ケン」

 オレはチクッと胸が痛んだ。

「E組の黒崎慶次郎、君」

「ああ、あの人はすごいよ! いつも成績トップで、バスケでも特待とくたい来てたし」

「なんかノブ君みたいだね」

「峯村もすごいよな。入学したときにはレギュラー確定。俺たちのこともよく見てくれてるし」

 えっ? 今、峯村って言った? 峯村君とかノブ君とか、君、付けねーの?

 あと、俺たちって言った? ノブ君はオレと同じ中学で仲良しだから、オレに特別に目をかけてくれてんじゃねーの?

 武井さんはオレと特別にノリが合うから、楽しくしゃべってくれてんじゃねーの?

 ナオはたまたま顔が可愛いから、それだけで世の中うまく渡ってんじゃねーの?

 また焦りが募ってくる。今度は立っていらんないくらいだ。自分の心の中だけに無理矢理張ってたペラペラの虚勢が、一瞬で吹き飛んでく。助けて、誰か! 彼女さえいれば救われるのに! とにかく誰かに認めてもらって、特別扱いされて、そうすればきっと、こんな薄っぺらな自分に腹も立てないで、こんな空っぽな自分を諦めそうになんないで、胸を張って前に進んで行ける気がするのに!

「ケン! 窪田! だらだらすんな!」

 ノブ君の声がした。オレたちは慌てて部室へ向かった。

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