第2話「千本桜」立石直(四月)前編

「ケン、ここなら出会えるつってたのに、この状況は何?」

「テツが声かけないからじゃん。さっきから女子、何組も通り過ぎてるし」

「はあ? ケンこそキョドってただけだろ? そもそも俺は、お城へ行こうって言ったんだぜ?」

「お城は今、人が多すぎるし、知ってる人に会っちゃうかもしんないじゃん」

「会っちゃうかもって……ケン、出会いが目的なのに何言ってんだ?」

「オレだけ責めんなよテツ! ナオだって誰にも声かけてねーし」

「ナオはケージ君を呼んでくれたからいいんだよ。ケージ君、早く来ねーかな」



 上田市の中心街、海野町うんのまち松尾町まつおちょうは昔すごい賑わいだったと聞いてるけど、十五歳のぼくにはその光景が想像できない。お年寄りや学校帰りの中高生、あとは行きつけのお店に足を運ぶ人くらいしか見かけない。

 でも、買い物客がいなくなっちゃったわけじゃない。最近はここ、城下町を下りた千曲川のほとりにある、大きなショッピングセンターに集まってくる。ぼくらみたいに、長野市とか軽井沢まで簡単には行けない高校生なら、なおさらだ。

 四月半ばの土曜日。ぼくらは二階のフードコートにいた。おととい、同じE組のテツとケンにナンパに誘われて、初めての経験だったから楽しみにしてきた。でも、二人にとっても初めてだったみたいで、今のところなんの成果も出ていない。

 午後五時過ぎ、傾いた太陽がガラス張りの壁を山吹色やまぶきいろに照らし始めてる。壁の左から右へ、雪どけの水をたっぷり飲み込んだ千曲川がいきおいよく流れていく。季節は春だけど土手の草っ原は枯草色かれくさいろのままで、もう目を覚ましちゃっていいのかどうか、戸惑ってるみたいだった。

 ぼくらは通路近く、四人がけのテーブルを陣取って、ついでに隣のテーブルも上着をかけてキープして、無料のおみずを飲み続けてた。ここに来てからもう二時間くらいは経ってる。テツは暇にあかせて、いつも持ち歩いてるらしい英単語帳をめくり始めてた。

「そもそもケンの場合、出会いがあったからってなんもできねーんじゃね?」

「できるよ! イベントを発生させて、フラグを立てまくって、嫁候補の中からルートを選ぶ!」

 よくわからない言葉ばかりだった。ケンはもの知りだ。はやりの恋愛用語なのかも知れない。好奇心をそそられてるぼくの横で、テツがとぼけた口調で訊いた。

「ケン、イベント発生ってどうやんの?」

「え? テツ、わかんないの?」

「言ってみろよ」

「ばったり再会するとか、海に行くとか、ピンチを救うとか?」

「なんで疑問形なんだよ」

 ケンはこたえなかった。

「ざけんなケン。だいたい今だって出会えてねーのに、どうやって再会すんだ?」

「お、オレはよくばったり会うよ! 小学校の同級生とか。地元で」

「そりゃ当たり前だろ。ケンのところ田舎だしな」

「バカにすんなよテツ! 塩田しおだだって店、一杯あるよっ」

 ケンは街から六、七キロ先の、塩田しおだという地区に住んでる。上田のまちなかとは、お祭りの種類や日程なんかも違う。北条まどかっていうアイドルも住んでるって自慢してるけど、さすがにぼくも知ってる。その人は、宣伝用のマンガのキャラクターだ。

「どーでもいい。どっちみちそんな都合よく偶然なんて起きねーよ」

「起きるよっ」

「いつ?」

「……いつか」

 人それぞれかもしれないけど、ぼくの場合はテツに同意する。都合のいい偶然なんて、今まで経験も期待もしたことがない。だからぼくは、また会いたいと思う人に出会ったら、そのとき精一杯がんばることにしてる。

 あと、地元で知り合いと会うのは、偶然とはまったく逆だと思う。いつも挨拶してるお菓子やのおばちゃんとか、客引きのおじちゃんとか、会えないほうがよっぽど落ち着かない。見慣れた風景のはずなのに、ピースが抜け落ちたジグソーパズルを眺めてるみたいな気分になる。

「じゃあさ、フラグを立てるってどういうことだよ?」

「いろいろあるけど……たとえば女子との会話で、選択肢を間違えないようにするとか」

「俺はしゃべってて、選択肢を考えてる余裕なんてねーけどなあ」

 ぼくも余裕なんてない。大切に思ってるいくつかのことばを、なるべく言わないようにしてるくらいだ。

「選択肢が正しけりゃ女子に惚れられんの? それマジで言ってる? 惚れる惚れないって、わりと初対面で決まっちゃってねーか?」

 テツの口調が少し、厳しくなった。

「こころの中まで見えないんだから、惚れられてたってわかんないじゃん! フラグが立って、女子の顔が赤くなってやっと気づくんだよ!」

「馬っ鹿だなケン。顔なんて現実じゃめったに赤くなんねーぞ? あそこでイチャついてるツーショット見てみ? ほら、あっちも」

 興奮気味のケンの顔が、なんとなく赤くなった気がした。これって、テツにフラグが立ってるってことになるのかな。

 テツは最初から、ケンに何かお説教をするために話を聞いてたみたい。でも、ぼくはケンの話の続きを聞きたくて、口を挟んでみた。

「ぼくは嫁候補のこと聞きたい」

 ケンは迷惑そうな顔でぼくを見た。テツがぼくを後押しする。

「それそれ。嫁候補の中から選ぶって、ケンお前すげーな。どんな候補いんの?」

「……い」

「はあ?」

「いもうと、幼なじみ、学園一の美少女、あと、生徒会長?」

 ぼくには、きょうだいも幼なじみもいない。付き合いが長い同級生はいるけど、上田の小学校は四年生になるときの一回しかクラス替えがないから、ごくありふれた話だ。美少女の順位なんて考えたこともなかったし、生徒会長はいつも男子だった。

「おいケン!」

「はいっ」

「ゲームやアニメに逃げんな! 現実じゃ役に立たねーぞ」

「逃げてねーよ! テツこそどうなんだよっ?」

「俺か? 一応、現実の経験もあるぜ? バスケ部引退するとき後輩から告られて。二ヶ月くらいで自然消滅したけどな……」

 ケンの表情がみるみる曇って、すがるようにぼくを見た。

「ナオは、どうなの?」

「ぼくは告白されたことなんて、一度もないよ」

 ケンは鼻の穴を広げて、うれしそうにぼくを励ましてくれた。

「やっぱそう? だよねー! まあ、お互いがんばろーぜっ!」

 そうだね、がんばろう。ぼくは早く彼女をつくりたいし、つくらなくちゃならないから。



「ねえっ、なんかすごいレベル高い四人組来たよ? 一人だけ制服着てるし! どこの高校だろ? 同い年かな?」

 ケンは元気一杯に言った。テツもケンの視線の先を見る。

 フードコートの端っこ、二十メートルくらい向こうに、ずいぶん目立つ女の子たちが歩いてきた。

「ケン、興奮すんな。……みんな四中じゃーねーな」

「興奮なんかしてねーよっ! 四中に可愛い子なんかいねーし!」

「はあ? 塩中と一緒にすんな。B組の白井とかF組の百瀬とか、わりといるぜ」

塩田しおだバカにすんなテツ! B組の原さんとか、丘高の北条まどかとかいるし!」

 ぼくはあの中の一人を知ってる。キミコ。威嚇するような目つきでフードコートを睥睨して、誰かを探してるみたい。ぼくはなんとなく気付いた。この出会いは、偶然なんかじゃないと思う。

「なーテツ、いくらなんでも無理っぽくね? 近寄りがたいオーラが出てない?」

「オーラなんて見えんの? そんな能力があんならナンパなんて楽勝だろ? はやく声かけろよ」

「いやいや。あの制服女子、マジでオーラ出てんだけど……ってか、オレらガン見されてて怖いんですけど」

 ぼくは観念した。

「キミコ!」

 テツとケンがぼくを見る。

「えっ?」

「ナオ知ってんの? あの子ら二中?」

 制服女子と呼ばれたキミコが大きな目を細めて、意地悪そうな笑顔を浮かべた。

 知らない女の子を連れてる。隣りに一人、後ろに二人。すごく好みのタイプの女の子がひとりいて、ぼくは目が離せなくなってしまった。

 香色こういろの長めのボブが、あったかなミルクティみたい。丸い大きな猫目。頬は桜色さくらいろがかってて、珊瑚色さんごいろの唇がツヤツヤ光ってる。ロングシフォンに鳥の子色とりのこいろの薄手のセーターを羽織って、ほっそりした足首の下のショートブーツも、髪とお揃いのミルクティ。あのキミコの後ろにいても、ちっとも色あせてない。ぼくにとってキミコが太陽か月だとしたら、ミルクティボブは満開の桜みたいな存在に見えた。

「チビリ!」

 キミコの第一声だ。こっちにずかずかと歩み寄ってくる。

「キミコって言うな。チビリ、こんなところでナンパしてんだって? 恥ずかしーやつ」

 これがキミコからの挨拶。声色はあんがい優しいけど、ひどい言われようだ。

 百七十センチを超えてる八頭身。ロングの茶髪をカールさせてて、まゆ毛がばっちり立ち上がってる。細く通った鼻筋、芯の強さを感じさせるハッキリした口。素色そしょくのカーディガンを羽織った場違いなナンチャッテ制服も、キミコが着ればそこがファッションショーの会場になる。

「へー、君がナオナオ?」

 キミコの隣にいた小柄な女の子がぼくに訊いた。ビーグルの仔犬みたい。小顔に大きな黒目がクルクルしている。うん、とこたえると、あはっ、と笑った。

 ビーグルの後ろの女の子は緊張した様子でお辞儀をした。はじめまして。キミコほどではないけど長身、切れ長の涼しい目。伸ばしかけの烏羽色からすばいろの髪が艶めいていて、浴衣がすごく似合いそう。

 その隣にミルクティボブ。興味津々、といった表情でぼくを見ている。目が合った。なんとなくお互い微笑んで、小さく会釈した。

「なあナオ」

 意外なところから怪訝そうな声がした。テツだ。思い切った様子で口を開く。

「ナオさー、お前がチビリなのか?」

「え、え? チビリってなに?」

 ケンはきょろきょろしてる。

「おしっこチビって付いたあだ名だよ。それよりキミコたち、ここ座って」

 ぼくはこたえながら席を立ってテーブルの片側を空ける。

 ちょっとかっこ悪いあだ名の由来だけど、さらっと話せばそのまま流せちゃうことも多い。女の子たちもきっと、キミコから聞いちゃってるだろう。ぼくは自分の話になんて興味はない。今はミルクティボブから目が離せないんだ。

「じゃー適当に」

 キミコの一声で、女の子は立ってる順番のまま座った。キミコ、ビーグル、浴衣さん、端っこにミルクティボブ。正面はぼく、ケン、テツだったから、ミルクティボブは一番遠くになってしまった。テツはひとつ空けて、ミルクティボブの前に座った。

 ぼくは立ったまま言ってみた。確認だ。

「キミコ、あとからケージも来るって」

「あー聞いてる」

 やっぱり。都合のいい偶然なんて起こらない。この出会いは、ケージの差し金だった。

「おみず、汲んでくる」

「いーよナオ。あたしら自分でなんか買ってくるから」

「オレオレオレが買ってきまっす! 何がいっすか?」

 突然、ケンが意を決した様子で立ち上がった。興奮気味なのか、顔がちょっと赤い。

「おごり? アイスがいいなー。私はバナナアンドストロベリーバナストをコーンで!」

 ビーグルはちゃっかりしてるみたい。キミコは苦笑しながら妥協する。

「じゃーロッキーロードロッキー頼むわー。おごらなくていーから」

「えっと、何があったっけ」

 浴衣さんはメニューがわからないみたいでちょっと困ってる。ぼくもぜんぜん知らない。

「ナナは抹茶、カホはジャモカコーヒージャモカでいーよね?」

 ぼくは少し戸惑った。キミコの仕切りがあざやかだったからじゃない。ミルクティボブの名前はカホっていうみたいだけど、ぼくの母さんも「かほちゃん」と呼ばれてるからだ。

「じゃあオレ、行ってきますっ」

 ケンはどたどた駆けてった。不在を気にする風もなく、テツはとぼけた声で自己紹介を始める。

「えーと宮澤徹也です。四中の頃からバスケやってまーす。で、あのパシリは小野謙一。塩中出身でサッカー班」

「宮澤くんバスケだって。知ってた?」

 ビーグルの質問に、浴衣さんは申し訳なさそうに首を振る。テツは苦笑いを浮かべた。

 次はぼくの番だった。

「ぼくは立……」「チビリ!」「ナオナオー」

 ぼくとキミコ、それからビーグルの声が重なった。ミルクティボブと浴衣さんが笑う。自己紹介は要らなかったみたい。

「この人がキミ。土屋キミ」

 ビーグルがテツに向かって言った。ぼくは誤りを正す。

「キミコ」 

「キミコって言うな、チビリ!」

 小六の社会で卑弥呼について習ったあと、クラスの何人かがキミコのことをこっそりヒミコと呼んでいた。それを知ったキミコが「ざけんな!」と一喝して、すぐにそんなあだ名はなくなった。だけどキミコはその時から、自分をキミ、と呼ばせるようになった。ぼくが知ってる中で貴美子のことをキミコと呼ぶ同級生は、ケージとぼくだけになってしまった。

「私はモチヅキヒトミ。カホと同じ三中出身。みんな丘高で同じクラスだよ」

「カナイナナミ、七つの海と書きます。一中でバスケやってました。宮澤君、知らなくってごめんなさい」

「黒崎くんのことは知ってるんだけどねー」

 ヒトミの突っ込みにテツはまた苦笑する。今度はさっきより苦みが強そうだ。ナナミにも効き目があったみたいで、びくんと身体を震わせてる。

 今だ。ぼくは声に出して言ってみた。

「ミルクティの番だよ」

「えっと、え? わたしのこと?」

 ミルクティボブはぽかんとして、自分を指差した。少し曲がったひとさし指がほっそりしてて、ぱくっ、とくわえてみたくなる。

「うん。その髪、すごく似合ってる!」

 ミルクティボブは、えっ、と小さく呟いたあと、ちょっと頬をゆるめた。キミコが呆れた眼差しでぼくを見た。

「チビリきもっ! うざっ!」

 恥ずかしいセリフだったかな? まぁいいじゃない。ミルクティボブが嫌がってなければそれでいい。

「この子は飯島カホ。夏の稲穂で夏穂かほ、だっけ?」

 ヒトミの声にカホが頷く。ぼくは名前を確かめながらあらためて挨拶をした。

「カホ、ヒトミ、ナナミ、よろしく」

「ナオナオー、いきなり名前で呼び捨て?」

 ぼくはすぐに人を名前で呼ぼうとする。そこには主義主張なんてなくて、苗字まで覚えられないだけだ。今だって土屋キミコはともかく、飯島カホしか覚えられなかった。

「……なあ、チビリって、本当にナオのことなのか?」

 しびれを切らしたみたいにテツがまた切り出した。テツは普段だいたいとぼけた感じでしゃべるから、こんな様子はちょっと珍しい。

「そーだけど、宮澤がなんで知ってんの?」

 ぼくの代わりにキミコが聞き返した。

「……中二んとき、タケちゃん先輩っていう怖くて有名な人が四中に来てさー。バカ騒ぎしながら、チビリの彼女ってどこよ? とか訊いて回る事件があって」

「ふーん」キミコの冷めた声。カホたちは顔を見合わせてる。

「結局、彼女ってかなり目立ってて人気がある子だったんだけど、その子にもやばい噂が立っちゃってさー。ヤンキーと付き合ってるとか、ヤリまくってるとか」

「あーあ。タケちゃん最悪だわー」

 キミコはうんざりした顔をした。カホたちも神妙な表情になった。みんな、タケちゃんのことも知ってるんだろう。テツは驚いた顔でキミコを見てる。

「そいつ、土屋たけしでしょ。あたしの兄貴。なんかチビリのこと超気に入ってて。悪気は絶対ないはずなんだけど……最悪だわー」

「じゃあやっぱり、ナオがチビリ?」

「そーだけど、宮澤がチビリ言うな」

 キミコはいらいらした声で言う。

「え? あ、悪い。……ナオは、噂の通りのやつなのか?」

「ヤンキーじゃないことくらい、見りゃわかるっしょ?」

 キミコ自身は説得力に欠けるファッションだけど、ぼくを庇ってくれてる。ぼくは話を受け取った。

「どっちもただの噂だよ。リナからぜんぜん連絡が来なくなったんだけど、それって十月くらい?」

「え? ……ああ、たしか秋ごろ」

 リナはひどい目に遭ってたんだ。胸がとくんとする。ぼくは話をしたくて何度も家を訪ねたけど、いつもリナのご両親に、けんもほろろに追い返された。ぼくらは、ちゃんと終わることさえできてなかった。

「ナオナオ、元カノも名前で呼び捨て?」

「うん。おかしいかな?」

 カホと目が合った。ぼくを見てくれてたみたいで、すっかりうれしい気持ちになってしまう。口だけで、カホ、と言ってみた。何か勘違いしたみたいで、口を尖らせる素振りをしたあと、小さく笑う。正面でふんぞり返って足を組んでるキミコが、ちらとぼくを見るのが横目で見えた。

「行ってまいりましたあっ!」

 ケンが元気一杯に帰ってきた。満面の笑顔で抱えてきた箱にはアイスが五つ入ってて、どう見てもテツとぼくの分はない。でも、よかった。こんなところでアイスを食べたら、ぼくは口も鼻もアイスまみれになっちゃって、キミコは自分のハンカチでそれを拭うだろう。カホの前で、そんな姿は見せられない。

 ケンはアイスを二つ取り出して一つをヒトミに渡すと、満足げな顔でそのまま座ってしまった。

「パシリくんありがとー!」

 ケンは爽やかな笑顔で頷くと、手に持ったアイスをかじり始めた。仕方なくぼくが箱を引き寄せる。アイスの種類はわからなかったけど、チョコが好物のキミコに、一番チョコっぽいのを渡す。残り二つも手に持って席を立って、抹茶色まっちゃいろのアイスをナナミに渡すと、ありがとう、と小さな声が聞こえた。

 最後の一個は、カホの髪の色と見比べながら差し出してみた。カホは自分の前髪を小さくつまんで持ち上げて、上目づかいに眺めながらちょっと苦笑した。

 席に戻ると、左手でスマホをいじっていたキミコが顔を上げる。

「ケージ、そろそろ着くっぽい」

 キミコの声に、ナナミがびくんと反応するのが見えた。



「ヒトミさんは音楽とか聴くの?」

「まあ、うん。通学中とか家とか」

「どんなん聴いてるの?」

「いろいろ聴くけど、最近はアラケン気に入ってるかな? 歌詞もいいし、声もいいんだよね」

 ケージが来て、二つのテーブルでばらばらなおしゃべりが始まる。ケンは物知りだ。音楽やドラマやファッションなんかに詳しい。朝夕と班活をやって、勉強もやって、そのうえいろいろ知ってるんだからたいしたものだ。かたやぼくは、音楽もドラマもまったく知らない。だから実は、ケンがどのくらい詳しいのかさえわからない。

 パソコンもスマホも持ってないし、テレビがついてても、ちゃんと見るのはCMくらいだ。ちょっとの時間で言いたいことを伝え切ろうとしてるところに興味を覚える。だから、続きはウェブで、と言われるとがっかりする。

 今みたいな会話の席で、自分が知らない話を聞くのはすごく楽しい。音楽とか食べ物とか、ぼく一人では知りようがなかった広くて深い世界を、ちょっとだけ垣間見ることができる。バイト先のカフェで流れているジャズや古い歌もそうだし、リナが聴かせてくれた歌もそうだ。——君と同じ未来をずっと一緒に見ていたい、そんな歌詞だった。リナは独りで苦しんだのかな? またぼくの胸がとくんとした。

「チビリ、高校楽し?」

 黙っていたぼくに、キミコが話しかけてきた。

「うん。楽しい。でも、キミコがいなくてちょっとさびしい」

 珍しくまじめくさったかわいい顔をしてたから、大切なことばをつい言ってしまう。キミコは一瞬、神妙な顔をしてくれたのに、「チビリきもっ! うざっ!」と言いながら笑い飛ばされた。

 ぼくは小学五年と六年のとき、完膚なきまでにキミコにふられてる。ありえないっしょ、チビリのくせに! とまで言い切られちゃってた。小五からずっとチビリと呼ばれてて、よくて弟、下手すると駄目息子か猫みたいに扱われてる。中学時代はクラスが違ったけど、キミコと話をしない日はほとんどなかった。廊下で声をかけられたり、昼休みや放課後に教室に乗り込んで来たり、そのまま遊びに出かけたり。

「キミコは?」

「まあ楽しーかな? この子らとも仲良くなれたし。真面目な子も悪くないね。性格が悪いやつもいるけど」

 キミコはいたずらっぽい顔で、ヒトミに視線を流しながら言った。

「中学の友達は? ユーカとかモエとかアオイとか」

「相変わらず仲いーよ。昼間っからLINE来る。ただあいつら、高校でもそっこーもめごと起こしてて」

「うん。想像つく」

「チビリ、また一緒に遊ぼーか?」

「うん」

 頷くと、キミコは穏やかに微笑んでくれる。だけどキミコとぼくは、ちゃんと約束して遊んだことなんて今まで一度もなかった。

「そういえばバレーは?」

「やってない。人間関係めんどいし」

「そっか」

 キミコはタケちゃん譲りの親分肌で、自分が仲間と決めた相手は徹底的に庇って、守って、許してしまう。ちょっと甘やかしすぎなんじゃないかと思うときもある。だから遊び仲間はもちろん、部活の同級生や後輩からも、なにかと頼りにされてきた。

 でも、嫌われることも一杯あって、先輩や同級生に足を引っ張られたり、裏切られたり、良くない噂を流されたりしたこともあった。

 ただ、キミコが辛そうにしてたり、悲しんだり、ましてや泣いてる姿なんて見たことがない。そんなことがあった日は、実はあんまり興味ないんだよねー、なんて言いながら、ぼくを猫みたいに捕まえて、ヘッドロックをかけて髪をグシャグシャにかき回して、そのあとカラオケで一緒に騒いで発散してた。

 もしもぼくと同じ高校だったら、キミコはバレーを続けてたんだろうか。

「実はあんまり興味ないんだよねー」

 今日も同じことを言って、キミコは笑う。強がってるような声じゃなかった。

「ならさ、モデル目指すのってどう? 夢はでっかくcancamとか。キミなら可能性あると思うよ? わりとマジで」

 ふいにヒトミが口をはさんだ。ずっと思ってたけど言うなら今だ、そんな感じの口ぶりだった。ケンは会話が途切れちゃってたみたいで、ぼくの隣りでこくこく頷いてる。

「あんなん若いうちだけっしょ」

「えーでも、みんなから注目されて、ちょーカワイイ服着れて、芸能人と仲良くなれたりするかもよ?」

「興味ない。ぜんぶ」

「もったいないよー。タケちゃんはバレー頑張ってるのになー」

 周りから見ればキミコは、この小さな街に収めておくのはもったいないくらいの才能で光り輝いてる。タケちゃん譲りの体躯と度胸を備えてて、バレーボールも二中では一番上手で、人それぞれの好みなんか関係ないくらいに整った顔かたちをしてる。大げさかもしれないけど、普遍的なうつくしさというか。

 でも、キミコ自身にはもう、自分が本当になりたい姿や、欲しいものなんかがはっきり見えてるのかもしれない。家族だったり、仲間だったり、ふるさとの上田の街だったり、もしかしたら、すきな人だったり。

「誰? 誰? タケちゃんって?」

 頷いてるだけだったケンが口を開いた。

「さっき話しなかったっけ、キミのお兄さんだよ? あー、ケンケンいなかったね」

「どんな話だったの?」

「キミ……のお兄さんが、どれだけナオナオを好きかって話」

 キミコがヒトミを睨んだ。ヒトミは首をすくめておどける。

「まーたしかにタケちゃん、ほんとにチビリのこと可愛がってんだよねー」

 キミコは遠い目をしたかと思いきや、ふっ、と笑いを漏らして話し始めた。

「タケちゃん、チビリが中学上がる前に自分の学ランとかジャージとかぜんぶ出してきて、あたし連れてチビリん家行ってさー」

「これやる。着ろ、ってその場でムリヤリ着替えさせたんだけど」

 思い出し笑いをこらえながら話を続ける。

「タケちゃん、ケージよりもせい高いんだよ? 体重も九十キロ超えてるし」

 ヒトミとケンの視線がぼくに注がれて、二人はもう笑い出した。

 ケージはたしか百八十五センチくらい、ぼくは百六十センチちょっと。ぼくはキミコより十センチ近くも低い。

「タケちゃんガチでバカだから、チビリに着せてから、あれ? なんで? 手はどこよ? とか言ってんの」

 キミコはうれしそうだった。笑い終えた頃、ヒトミがキミコを覗き込んで言った。

「そん時のナオナオ、可愛いかったー?」

 キミコがヒトミを睨む。ヒトミはまた、首をすくめる。

 そこにすかさずケンが割って入る。ケンはいつだってすごく頑張ってる。

「ナオも可愛いけど、ヒトミさんたち、みんなすげー可愛いよねっ!?」

 ヒトミがきょとんとしてる。キミコは興味なさそう。少し間ができてしまった。こんなときは、ぼくが頷けばいいのかな。

「……えーと、うん。私も自分でそう思ってた。ありがとーケンケン!」

「え? あ、うん」

 ケンはぽかんとしながらヒトミにこたえた。

「今日はみんな、キミに連れられてきたんだけどね。可愛いかどうかっていうよりも、ひがみっぽくない子が好きなんだって。自分なりにちゃんと自信持ってる子とか、いっそ天然系の子とか」

 ヒトミはにやりと笑う。

「ちなみに、私が天然可愛い系なんだけどね!」

「うっせー、腹黒ヒトミ」

「キミひどっ」

 ぼくには訊いてみたいことができた。

「カホは、ヒトミから見てどうなの?」

「意外。ナオナオが食いつくとは。カホは相当図太いよ? ふわふわして見えるけど、あれは人見知り。あとファザコンで、可愛いものに超弱い」

「ファザコンって?」

 ぼくが訊くと、ヒトミは声をひそめた。

「ナオナオ食い下がるね? 入学早々、うちのパパはこうなんだけど、みんなのとこはどう、とか超訊いてきて、それがのろけ話みたいでうざくって。あと、恋愛でも痛い目みてないのがムカつく」

「ヒトミが痛い目見すぎなんだっつーの」

 キミコが突っ込んで、ヒトミはそっぽを向いた。ケンのフラグが折れてやしないか、ぼくは心配になる。カホとはますます話がしたくなった。ぼくには父親がいないから、パパの話はできそうにないけど。

「ナナミはわりと自信家のはずなんだけど、今日は、ね。憧れの王子様の前で、てんぱってるっぽい」

 ヒトミは小声でそう付け加えた。



「ちょっとトイレ」

 ケージがおもむろに立ち上がってキミコに視線を送った。キミコは視線を巡らせてナナミの様子に気付くと、席を立ちながら言う。

「あたしも行ってくるわー」

 キミコの声に、わ、わたしも、と、ナナミが慌てて続いた。ヒトミもカホと顔を見合わせて、じゃちょっと、と立ち去る。

 憧れの王子様を前にして、ナナミは言い出しにくかったのかな。キミコとケージは息がぴったり合ってる。二人ともよく気が回るし、頼りがいもある。今まで何度も見てきた光景だ。

 テーブルには最初の三人だけになった。今だ。ぼくはテツとケンに伝えておきたいことがある。

「テツ、ケン!」

 二人がぼくを見た。ぼくは告げる。

「ぼくはこれから、カホと二人きりになる」

「え? なんだよナオ、唐突に」

 テツが戸惑ってる。

「最初から気になってて、そろそろいいかなって」

「ちょー待て。俺も飯島さん狙いだし、お前ぜんぜんしゃべってねーだろ? そもそもこんな状況で二人きりって、空気読めてっか?」

「それよかキミさん、ナオにフラグ立ってるかもだよ? 告られたこともないナオなんかじゃ気付かなくっても仕方ねーけど、オレには見えっから」

 テツとケンが、ばらばらにぼくを引き止める。

 ケージが戻ってきて、ぼくらを見回した。

「ナオが、また何かやらかした?」

 また、に引っかかったのか、ほんの一瞬の間ができる。

「ナオがさー、飯島さんとツーショットになるって宣言しちゃってんだけど」

「オレなんか、奇跡のキミさんルートがあるかもって教えてやってんのに!」

 ケージは二人には言葉を返さず、ぼくをまっすぐ見た。

「どうするつもり?」

「カホだけ連れてく。キミコを頼む」

 ケージは苦笑いを浮かべて、わかった、と頷いた。

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