1-1

 ピピピピピピ。自分の頭上で起きるためにかけたアラームが、鼓膜をつんざくような音でやかましく鳴っている。


 意識も朦朧としたまま、手探りで小うるさく鳴っているアラームを止める。


 アラームが鳴ったという事は、今は朝の七時四十五分か。起きて学校に行く仕度をしないといけない時間だ。分かってはいるんだが、どうも朝が苦手な俺はあと、十分とアラームを止めると布団を肩まで掛けなおして二度寝を始めてしまう。


「ん?」


 そこで布団の中に違和感を感じた。明らかに自分以外の誰かがもう一人布団の中に入っている感覚。閉じられた目を再度開けて、俺は慌てて布団をめくり上げた。


「唯我……寒いよぉ……」


「……」


 見慣れた制服を着た幼馴染が猫のように丸くなって気持ちよさそうに眠っていた。



















「起きろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


「ふぇぇ!? 何々? シューマイ? 私のシューマイ唯我が食べたの!!」


「寝ぼけてる場合か!? 何でお前は俺のベッドで寝てんだよ!?」


 言われて女々めめは寝起きではっきりしていない意識のまま、ぽけ~として、数秒後ハッと我に返って言った。


「そうだ! 唯我を起こしに来たつもりだったのに、唯我の寝顔見てたらちょっとだけ添い寝したくなっちゃって、布団潜り込んだら眠くなっちゃって、それで……えっと、寝ちゃった。てへ!」


「ちょいちょいちょい。待て待て待て。今の会話には色々ツッコミ処があるんだが……」


「ナンジャラホイ?」


「ナンジャラホイじゃない。何だよ寝顔見てたら添い寝したくなったって」


「えぇ~だってぇ唯我の寝顔すっごい可愛いんだよ?」


「そんな事聞いてない!」


 言って俺は目の前の女々の頭に手刀を振り下ろした。


「あいだ」


 潰れた声でそう言って痛そうに頭を押さえる女々。


 愛鳩女々あいはとめめ。俺の幼馴染一号で長年一緒にいる腐れ縁だ。茶髪のショートヘアにオレンジの瞳。自慢の八重歯に肉付きの良い健康体。明るく元気で、いるだけで場を盛り上げるムードメーカー。そんなちゃめっけの多さから異性、同姓関係なく、みんなに好かれる憎めないちゃんでもある。


「仕方なかったんだよ~目の前に唯我が寝てたら添い寝したくなるんだよ~」


「それはお前の問題だろう」


 涙目の女々に言い放って、俺はベッドから冷たいフローリングに足をつけた。


「あっ、でもでも、唯我の仕度は出来てるよ! あたし寝る前に準備しといたんだ!」


 一気にぱっと明るくなり、お手伝いをして褒めて欲しい子供の様に賞賛の眼差しで俺を見る。


「ふーん。寝る前に、ね」


 横目で女々を見て、からかう様に言って机の上に置いてある通学カバンを取りに行く。


「うにゃ~!! 準備してた事を褒めてよぉ!!」


 変な奇声を上げて悔しそうにそう言って、ベッドの上でゴロゴロと転げまわる。


「制服しわになるぞ」


 冷静に突っ込みを入れながら、カバンの中身を確認する。


「唯我冷たい~いつもみたいにハグとかキスとかしてよぉ!!」


「いつもしてねぇ! てか、一度もした事ねぇ!」


 背後でばたばた騒ぐ幼馴染に向きかえりしっかり訂正すると、カバンのファスナーを閉めて肩からかけて、部屋の扉に歩を進めた。


「じゃあ今して!!」


「ぶっ!!」


 突拍子もなく勢いとはいえ、突然言い出して口から飛沫が吹き出た。


「するわけないだろ!!」


「何で!!」


「何でじゃねぇ!」


 そこで女々はむくりと上体を起こして、目線を下に向け、ふて腐れるように頬を膨らませた。


「私は唯我の事が大好きなの。唯我の事なら何でも知ってるし、好きって気持ちも誰にも負けない。世界で一番好きなのに……唯我はあたしの事嫌いなの?」


 冗談ではなく、本気マジの奴だ。女々からそんな雰囲気を感じて、肩眉を吊り上げてはぁ、と一息ついて扉の前で女々の方に向き直って言った。


「嫌いなわけないだろ」


「本当?」


「本当だ」


「じゃあどうして何もしてくれないの? あたしはいつでもウェルカムなんだよ?」


「俺達は幼馴染だ。俺は女々や蒔杜まきととの今の関係が好きなんだよ。お前の事はもちろん好きだけどお前と関係持っちまったら、今の関係が壊れちまうから。俺は今の関係を大事にしたいんだ」


「……じゃああたし一生、唯我とキスできないの?」


 明らかに落ち込んだ様子でぽつりと言った。


「……」


「……」


 場を沈黙が支配し、妙に重たい空気が辺りに充満する。


「ぅぅぅうううう!! やっぱりやだぁぁぁぁぁぁ!!」


 その沈黙を一気に破壊して、女々はベッドから勢いよく立ち上がった。


「こんなに好きなのに、大好きなのに、一回もキスできないなんて絶対やだぁ!!」


「急に何を言い出すんだよ」


「だって唯我が私でも嫌でしょう?」


 何か、やけに興奮しているような……顔も赤いし鼻息も荒いし。


「こうなったら……思い出で一回……」


 小声でぶつぶつ言いながら、真っ赤な顔をしてドシンドシンと怪獣の様な足音と共にゆっくりこちらに近づいてくる。


「女々? ちょっと一旦落ち着こうか……」


「ふしゅー……何言ってるの唯我……あたしはいつでも冷静だよぉふしゅー」


 目が血走って冷静ではない事だけはわかるその狂気の形相を見て、俺は扉の前にいる事も忘れ、早くも追い詰められる。


「や、やめろ……」


 顔に似合わず、怯えた顔をして、ギラギラの三白眼で狂気を纏った幼馴染をしっかり見据えて畏怖する。


「やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 叫んだ刹那、目の前の狂気の幼馴染は、獲物を狩る獣の様に、一気にその場を飛び上がった。大きく広げた両手、飛び掛って跳躍する姿、それはまさにアフリカのライオン。この時自分の周りがアフリカに見えて、自分がジャッカルに思えた。


 もうダメだ。そう思った瞬間、昔鍛え上げた反射神経に突き動かされ、襲ってくるライオンもとい女々の両手をがしっと掴んで、臨戦体勢に持ち込んだ。


「グルルルル。キス……キスぅぅぅぅぅぅぅ!!」


 変なうめき声を上げながら、ライオンというか、もうただのキス魔は、その唇を昔のアニメの様にタコチューにして突き出してくる。


「ぐぐぐ……力つよっ……」


 火事場の馬鹿力というやつだろう。長年幼馴染をしていてこんなに力の強い女々は初めてだ。この力が己の欲望が活力と考えると何だかちょっと不憫だ。


 力の押し合いは続き、均衡を保った戦いが続く中、足元に落ちていた雑誌に足を取られて、その均衡は打ち砕かれ、力のバランス上、俺達は思い切り前方に向かって、身体をフローリングに叩きつけて、倒れた。


「痛った……」


 そう言った刹那、痛みで閉じていた目を開けると、女々がフローリングに倒れる俺のマウントを取って荒い息を立てて俯瞰していた。


「唇いただきやすぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


 そう時代劇風に叫んで、女々は身体を俺の方に倒してきた。


 とそのタイミングで部屋の扉がガチャと開いた。


 そのわずかの隙を見て俺は女々の頬に両手を押し当てて、キスを拒む。


「ゆいぎゃ(が)! だ(な)にず(す)るの!!」


「何って抵抗してんだよ!」


「だ(な)んで!!」


「何でじゃねぇ!!」



「唯我と女々は今日も仲がいいね」


 開かれた扉の前には、灰色の髪に黄色い目をしたさわやか少年がニコニコしながら立っていた。


蒔杜まきと!!」


「おはよう唯我。今日も二人が元気で俺は嬉しいよ」


 女々に抵抗したまま、蒔杜を見る。蒔杜もこの状況が見慣れたかのように顔色一つ変えずにいつものように会話を始める。


「ところであと十五分で一限アウトだけど、いいの?」


「親友よ……いいわけないだろぉ……一限は道徳。落とせない単位だ……」


「だよね~。道徳ってそもそも年間授業数が少ないから、一回落とすだけでも結構な痛手だし」


「だったら見てないで助けろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 宗像蒔杜むなかたまきと。俺の幼馴染二号。三人とも昔から一緒だが、同姓という事で親友という位置ポジションはコイツが保持している。男子同士でしか出来ない話とかあるだろ?

 整った顔の二枚目で情に熱く、真っ直ぐな奴。さわやかで物凄くモテるが、俺達と一緒に居たいという意志で彼女は作らないらしい。俺との間に隠し事はない。最強の同士だ。もちろん蒔杜が年上好きなのをしているのも俺だけだ。頭はいいが、運動はからっきし。灰色の髪に黄色い瞳で俺より少しだけ背が高い。


「えぇ~二人のこういうの見てて面白いから好きなんだけど、仕方ないか。道徳は俺も女々も落としたくはないし」


 小言をぶつぶつ挟みながら、蒔杜は俺に詰め寄る女々の両頬を後ろから笑顔を絶やさないままぴたっと触った。


「女々。続きはまた後でね。急がないと遅刻しちゃうよ? 女々は遅刻しないように唯我を起こしに来たんでしょ? これで遅刻しちゃったら意味なくなっちゃうよね」


 人間慣れしていない警戒する動物に言い寄る様に、手馴れた様子でそういうと、女々の仰々しい狂気はいずこへ飛んでいって俺の知っている幼馴染に戻った。


「はっ! あっ蒔杜。おはよう」


「おはよう。女々」


 女々は俺のマウントから降りると、背後に立つ蒔杜を見た。蒔杜はにこっと笑って元に戻った女々に優しく挨拶をした。


「唯我、立てる?」


 その笑顔を今度はこちらに向けて、自分の体温ですっかり温もりを感じるフローリングに横たわる俺に手を差し伸べた。


「助かった」


 その差し出された手をがしっと掴んで、一気に立ち上がる。


「さぁ、ここからは持久走の時間だよ!!」


 蒔杜がそう高らかに言い放って、缶詰を食べ終えた猫のように満足そうな顔をした。

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