一週間ゲーマーズ

水無月二十日

プロローグ

 ゲーム。


 それは一度は誰もが遊んだ事のあるインドア界では代表的な娯楽。

ジャンケンや指スマのような気軽にどこでも誰とでも出来る手遊びゲームから始まって、オセロや将棋にチェス等のボードゲーム。トランプや

トレーディングカードゲームと呼ばれるカードを使ったカードゲーム。

そして、専用のゲーム機をテレビに繋いで遊ぶゲームの主流、テレビゲーム。今の流行でいえば自分のデバイスから簡単に遊べるスマホゲームなんてのもある。


 ゲームと言ってもこの通り様々なものが存在し、広く見ればスポーツでさえゲームなのだ。このように世界にはゲームがありふれている。


 数多くのゲームがある中、誰にでもその当時の思い出のゲームがあるんじゃないだろうか?


 ハードでゲームをしていたなら、それこそ施された塗装が剥げて、懐かしさに浸って見返せば、それなりにいい味を出しているコントローラーやあとになって何で? と疑問符が頭から離れないハード本体に何故か貼った昔のアニメのシール。


ゲームを起動させても開始されず、何度も息をフゥーフゥー吹きかけた思い出のカセット。


 セーブがない時代に必死こいてクリアを目指した激むずゲーム。セーブが出来てからも物によってはカセットの故障でゲームデータが全部吹っ飛んで涙した懐かしいあの日。懐かしい思い出のゲームの話ならお茶碗三杯どころか軽く百は超える楽しい話に花を咲かせる自信だってあるだろう。


 ゲームとは基本的には楽しい物なのだ。しかし、勝負というものは、ゲームには付き物で、それは同時に笑顔だけではなく、泣きっ面にもしかめっ面にもしてしまう。とはいえ、やはりゲームの根底前提にあるのは紛れもなく楽しさなのだ。


 誰だってそうだ。楽しいからゲームをする。この単純な理屈は間違いではない。


 そう。楽しいからゲームをしていた、かくゆう俺もそうだった。みんなで集まって流行はやりのゲームをしていた。ただそれだけだったのに……




 話は変わるが、俺は生まれてこの方ゲームで負けたことがない。アナログだろうがデジタルだろうが、色んなゲームをやってきたが、対戦してきた人が単純に少なかったとか、相手は自分と同じ子供だったとか理由は様々あるが、幼馴染にはプロになれるよと言われて、プロ棋士やプロのスポーツ選手になった自分を想像して素直に嬉しくなった自分もいたが、よく考えたらプロとは戦った事がないんだから流石に負けるだろうという考えに至り、その夢も儚く散った。意外と現実を見ていたのかもしれない。そしてその記録は無敗伝説とも言い換えられるが、その名誉ある伝説も今となっては何の意味もない。


 何故意味がないって?


 理由は単純明快。


 今の俺はーーゲームが嫌いだからーーだ。

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