第3話 二つの旅立ち

◇◇◆◇◇◇◇◇◆◇◇


肌を焼く日照りの1日があった。太陽のささぬ薄闇の1日があった。船を沈めんとする豪雨の1日があった。

10歳に満たぬ少年2人の体力は、とうに限界であった。励ましあい、小さな体をすり寄せあい、船底に溜まった雨水を啜りか細い命の糸を繋いでいた。

幾日が経った頃か、小舟は陸地に辿り着いた。


2人は最初、船が打ち上げられた事に気付かず、横たわったままだった。

先に起き上がったのは黒髪の少年だった。彼は吹き寄せる風が、生まれ故郷のものとは異なるものだと感じた。

それまで感じていた、大きな何かに包まれている感覚は消え、ただただ知らぬ土地に迷い込んだ寂寥があるのみだった。


背に荷を負う老婆が舟を見つけた。老婆は痩せ衰えた2人の少年を見つけると、慌てて家へと連れ帰った。

老婆の懸命な介抱により、2人は命を繋ぎとめた。

老婆は2人にこう語った。あの日海から光が差した、何かに呼ばれるように海岸へ向かい2人を見つけた。

何かの啓示を受けたと老婆は思った。


それから2日が経った。2人をどこへ送り届ければ良いのか、老婆は懸命に探していた。

だが、彼女は字も読めず、また村の外にも出た事が無く満足な知識を有していなかった。

長い漂流生活の末、黒髪の少年は声を出せなくなっていた。困り果てた老婆は、随分昔に村を出て行った息子を頼る事にした。


赤髪の少年と黒髪の少年はそれぞれ自分の生まれと名前、舟で流された事を拙い文字で書き綴り、町と村を行き来する幌馬車に託した。

町に届きさえすれば、文字の読める人がきっと2人を導いてくれる。老婆はそう考え待つ事にした。

さらに2日が過ぎた。村にやって来たのは物々しい騎士団だった。


黒甲冑に身を包んだ騎士達は老婆の家の扉を乱暴に開き、威圧的に声を上げた。この家に匿っている少年2人を引き渡せ、と。老婆はただ困惑した。

黒甲冑の騎士が2人の少年を引きずり出した。乱暴はやめて、と割り込もうとした老婆を、騎士は躊躇いなく殴り飛ばした。

老婆は倒れ、動かなくなった。


泣きながら必死に老婆の名を呼ぶ2人の少年だったが、甲冑騎士は無慈悲に彼らを連行した。2人が老婆を見たのはそれが最後だった。

2人は馬車に押し込められ、村から連れ出された。

馬車の窓から覗く空は分厚い雲に覆われ、やがて雪が降り始めた。再び身を刺す冷気に、2人は体を寄せ震えるのだった。


◇◇◆◇◇◇◇◇◆◇◇



荷袋の口がきゅっと締められる。必要な物は最低限この中に詰め込んだ。

ブラッドは自室をぐるりと見渡した。蝋燭の灯りに照らされた室内は、酷くがらんどうである。

「もう直ぐこの部屋ともお別れだな……」

10年以上過ごした部屋である、愛着が無いわけでは無い、だが……


ブラッドの手が腰に帯びた剣に触れる。

あの夜の記憶が鮮明に蘇る。指先からあの夜の憎悪が湧き上がってくる。

ブラッドは半ば反射的に壁を殴りつけていた。騎士舎の壁が歪む程、ブラッドは強く殴りつけていた。

だが隣室から抗議の声は聞こえてこない。隣室にいるべき騎士は、あの夜から戻らない。


気持ちを落ち着かせ、ブラッドは聖王から託された割符を取り出した。

聖国は鎖国体制を敷く国家ではあるが、実際には僅かに外国との交易が存在する。

交易船は聖国唯一の輸出港ニルベアの一画に来泊する事を許されている。

一般の聖国民はその区画には入れず、割符を持つ者だけが交易業を行えるのだ。


ニルベアから出る交易船に乗り、北の蛮国を滅ぼした災厄の魔女を討つ。それがブラッドに与えられた託宣であった。

だが、託宣が有ろうと無かろうと、彼は仮面の魔女に復讐をする為、旅立っていただろう。

普段は肌に合わぬ神の託宣も、お膳立てをしてくれる分には都合がいい、とブラッドは思った。


ブラッドは窓の外を見る。夜明けにはまだ遠い。

だがブラッドは待つつもりは無かった。復讐の旅は、あの日聖王に託宣を下された時に既に始まっているのだから。

ブラッドが荷袋に手を伸ばしたその時、部屋の戸を叩くノックが聞こえた。

「ブラッド、いるんだろう」

その声は、エノクであった。


ブラッドの手が止まる。もう一度、エノクの声が聞こえた。

「いるんだろう、ブラッド。開けてくれ」

「エノク……悪いんだけど、今日はもう休むんだ。明日にしてくれないか?」

ブラッドは扉越しに応えた。

「ブラッド、開けるんだ」

エノクの声は有無を言わさぬ調子だ。


「エノク……本当に悪い、でも」

「託宣の間で、父上はなんと?」

ブラッドは言葉に詰まった。

「エノク、しつこいぞ」

「ブラッド……いや、止めにしよう。僕はあの時託宣の間の前に居た」

ブラッドの顔が凍りつく。

「ブラッド……君は、一人で旅立つつもりだったんだね?誰にも言わず」


「ああ、そうだ」

ブラッドは扉から目を背け、絞り出すように呟いた。

「……この僕にも、何も言わずに行くつもりだったのかい?」

「ああ、そうだ」

部屋の扉がガタリと鳴った。エノクが殴りつけたのだ。

「ブラッド……君は、僕との約束を忘れたのか?」

「忘れちゃいない」

「嘘だ!」


エノクの声には怒気がこもっている。

「君は僕と約束したはずだ。2人でこの国を変えると」

「何も忘れちゃいない、何を言ってるんだ」

「君は今約束を破ろうとしている。君はこの国を棄てるつもりなんだ!この旅を終えた後、君は聖国には帰らない、だから僕とも会おうとしない、違うかい!」


ブラッドは押し黙る。全てエノクの言う通りであったからだ。

「君はこの国を、僕を見捨てて旅立つんだね」

「ち、違う!エノク、俺は……」

「何も違わない!ブラッド、僕は君とこの国を変えたいんだ!君のいない国なら何も意味はない!」

2人しかいない騎士舎にエノクの声が響く。


「エノク……俺は……」

「だが君はこの国を出て行くだろう。嫌っていた託宣に従ってまでアンジール達の仇を取りたいがために」

エノクは顔を近づけた。

「君は止まらないだろうね……それは僕にも分かる」

「エノク……」

「だが、君が国に帰らない。そんな事は許せない」


「エノク……退いてくれ、俺は行かなくちゃならない」

「ブラッド……僕は今回の一件で分かったんだ。人の命よりも託宣に従い生きる、それこそがこの国の民に染み付いた生き方なんだ。もうこれは変えられない。疑いを持つものは社会に居場所がなくなる」


エノクの言葉には、深い嘆きが含まれている。

「ブラッド、駄目なんだ。この国は僕達2人だけでは変えられない。僕達だけでは力が足りないんだ。その上君がこの国を棄てるなら、僕はこの夢の墓場に取り残されるんだ」

「エノク……分かってくれ。俺の居場所は、やるべき事はもう、この国には無い」


「そんなもの、僕にだって無い!」

「あるだろ!お前は王子だ!」

「それなら君だって騎士だ!」

「立場が違うだろ!俺とお前じゃ!俺は別にこの国には必要無い人間だ!でもお前は違う!」

「違わない!例え僕が居なくなっても、託宣の一つでもあればすぐに日常に戻るだろうさ!母上の時のように!」


ブラッドは言葉に詰まる。エノクの口から彼の母、故聖王妃の話が出たのは何年ぶりだろうか。

「ブラッド……君がいない国には、僕の居場所も無い。それなら……」

エノクが扉を開ける。ブラッドの目を見据えて彼は言った。

「僕も君の復讐の旅に連れて行ってくれ、ブラッド」


「エノク……お前……」

エノクは真っ直ぐブラッドを見据える。その眼に迷いは無い。

「今しか無い、誰にも咎められずこの国を出られるチャンスは今しか無いんだ」

「バカな事を」

「君が復讐の為に託宣を利用する様に、僕も僕の自由の為に君の旅を利用する」

「危険すぎるだろ!」


「僕だって聖王家の1人として、アンジールの手ほどきは受けた」

エノクの意思は固い。

「……エノク、本気なのか?」

「僕の言葉を疑うのか」

沈黙。部屋の蝋燭はもう直ぐ尽きようとしている。旅立たねばならぬ時が近づいていた。

「君は剣で、僕は鞘だ。君という復讐の剣は余りにも危うい」


ブラッドとエノクはしばらく無言で互いを見つめ合った。

そして、首を動かしたのはブラッドだった。

「俺について来れば、後には退けないぞ」

「くどいさ、ブラッド」

エノクは廊下へ出ると扉の影に隠してあった自分の荷物を肩に担いだ。

「さぁ、いこう。王子が人目につくわけにはいかない」


「……まったく、お前は本当に勝手なやつだよ」

ブラッドも荷物を手に取ると、振り返らず部屋を出た。

「決まったなら、行動あるのみだ」

ブラッドはエノクを追い越し、宿舎の闇の中へ足を踏み出していく。エノクは笑みを浮かべ彼の後を追った。

主をなくした部屋の蝋燭はそれから間も無く消えた。


――――――――――――


通商船ゴングロンは一度に大樽200個を運搬する事の出来る大型船だ。その船体は長年の航海によって傷み、その度丁寧に修理され今日に至っている。

乗組員は積み込み作業を終え、出航準備を進めている。

本来ならば繁華街で酒盛りをする所だが、あいにくこのニルベアでは望むべくも無い。


「確認は終わったか!?」

「完了です!」

威勢の良い船員の声を聞きながら、2人の青年……ブラッドとエノクは海の向こうを見ていた。

「簡単に乗り込めたな」

「聖王の許可証があったからね」

ブラッドは慌ただしい船員達の遠巻きな視線を感じた。

「ったく、じろじろ見やがって」


「許可証を持っているとはいえ、鎖国状態のこの国から他国へ赴く者など何年も居ない。実際僕達は興味の的だろうね」

エノクは長い黒髪を潮風に靡かせながらそう呟いた。

メインマストの帆が広げられ、止まっていたウミネコ達が飛び立った。いよいよ船が出る。14年ぶりの船旅だ。


「あの時とは違う……僕達は、自分達の意思でこの国から出る事が出来る」

エノクは水平線から目を逸らさずにいる。

「……理由なんて何でも良い。俺は必ずあの仮面の魔女を探し出してやる」

ブラッドは首から下げた十字架を握りしめた。これが魔女の正体に近づく鍵になる、ブラッドは確信していた。


ブラッドは横目でエノクを見た。

彼はただひたすらに海の向こうを見ている。ただひたすらに、聖国の大地に背を向けている。

果たしてこの旅にエノクを連れて来たのは正解か間違いか。

「エノク……ありがとう」

「どうしたんだい、ブラッド」

エノクはようやくブラッドをの方に向き直った。


「お前がいなかったら多分俺は復讐に取り憑かれて生き急いでいた気がする。お前のおもりをしなきゃいけない分、落ち着いて考える時間もできた」

「感謝されてるのか貶されてるのか、よく分からない物言いだね。それで、考えた結果を聞かせてもらおうか?」


ブラッドは首の十字架を取り出した。

「この十字架の正体を探る。あの魔女はこの十字架が何なのか知っている風だった。この十字架の出自がわかれば、自ずとあの仮面野郎の居場所もわかるはずだ」

ブラッドは十字架を握る拳を固くした。

「なるほど、なら目標は決まったね」


エノクの言葉に頷くブラッド。

14年前と同じように、2人で赴く。奇妙な符号だ。これは偶然か、それとも運命なのだろうか。

2人の行動そのものがあの忌々しい託宣に詠まれた行為に過ぎないのか。

「ああ、目指すは北の蛮国……いや、ヴァルハラ王国」

ブラッドは迷いを絶つように力強く言った。


――――――――――――


「クソッ!あの野郎何処へ消えた!」

「お頭!ダメだ行き止まりだぜ!」

「じゃあ、何だってか!この馬鹿高え塀を越えてったとでも言うのか!」

複数の男達の怒声。

背後の塀越しにそれを聞いていた女はほくそ笑み、何事も無かったかのように歩き出した。路地を抜け、人ごみに混じる。


女は人の流れをすり抜けながら、胸元にしまい込んだ今回の戦利品を確認した。

「んふふ、まあまあのモノ溜め込んでたのね。素敵な宝石……でも、今回も違った」

女は胸を閉じ髪を束ね直した。

「でも、必ず見つけてみせる。あの"十字架"を……!」

女はそう呟くと、人ごみの中に消えていった。


――――――――――――


「聖国にアレが現れたというのは正確な情報だった様ですな」

種々の花木に溢れた庭園の中心、茶と呼ばれる嗜好品を注いでいた眼鏡の老人が呟いた。

老人は眼前の2人の男女に茶を差し出す。振り返り立っている男にも勧めたが、彼は首をふり辞退した。


茶を受け取った男は優雅な所作で茶を飲み干し、ニヤリと顔を歪めた。

「すべては動き出した、お前にも近く働いてもらわねばならんな、老よ」

眼鏡の老人は恭しく頭を下げた。

「お前もだ」

呼ばれた女は茶器を静かに置き、目を閉じた。

「ええ、解っていますわ、お父様」


――――――――――――


ブラッドとエノクの2人は甲板にて潮風を受けながらどれ程話し込んでいただろうか。

通商船ゴングロンは順調に航海を進めていた。

「ん……ようやく纏わりつくような視線が無くなったね。やっと僕らから興味をなくしたらしい」

エノクはそういうと両手を上げ大きく伸びをした。


「ははは、そうだな」

ブラッドはつられて伸びをし、辺りを見回した。甲板掃除をしながらこちらを見つめていた船員と目が合ったが、慌てて逸らされてしまった。

「……?」

ブラッドは違和感を覚えた。相変わらず船員達はこっそりとこちらの様子を伺っていた。


「よし、船室に戻ろう、体が冷えた」

エノクはそういうと歩き出した。ブラッドはもう一度周囲を見渡した。

確かに、出航した時ほど視線を感じない、気がした。

だが船員達の視線が変わった訳ではない。

彼は気をとりなおし船室に向かおうとした。


聖国の大地は、既に見えなくなっていた。


つづく

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ORACLE-s じょう @jou-jou

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