ヲトナになれない。


春眠暁を覚えず。

4月になり、桜が散った。三年でも授業は殆ど毎日あって、赤羽に驚かれた。受講日が重なったので一緒にご飯に行こうと約束した。

同じ学科の撫子と、同じ階の講義室で授業を受けていた黒岩と仙斎も誘った。

ラウンジで一角のテーブルに座っていると、赤羽が女子と並んで入って来るのが見えた。隣に座っていた黒岩もそれに気付いて、同じ方向を向く。

わたしたちを見つけて、その女子と別れる。


「大所帯になってる」

「皆で行った方が楽しいかなって。今の彼女?」

「そう、経済学部の。可愛いでしょ」


にこにこと赤羽が答える。頷いて肯定する。

同じ天文同好会に所属している子とは友達となったらしい。赤羽のその行動力をわたしと白峯に少しで良いから分けてもらいたい。


「どこ食べにいく?」


と撫子が携帯で付近の店を検索している。


「肉食いたい」と仙斎。

「焼肉」と黒岩。

「しゃぶしゃぶ」と赤羽。

「シュラスコ」と撫子。

「あみだくじで決める?」とわたし。


提案は通った。仙斎が要らないプリントを出して、それに赤羽が線を書いていく。

「一人二本まで書き足すか」という黒岩の意見に賛同して、各々がペンを持った。

背中をとん、と触れられた気がして椅子を引く。後ろを通った折にぶつかったと思ったからだ。赤羽がわたしの後ろを見た気配に、わたしも振り向いた。


「ど、うしたんですか、その顔」


白峯がいた。その顔、というのは年度末に見た紫の痣を作った顔ではない。

眠っていないような隈と、泣いた後のような赤い目。


「式はいつにする」

「へ?」

「結婚、」

「先輩、ちょっと、ちょっと向こうで話しましょう」


椅子をがたがたと引いた為、白峯の足にぶつかった。それを謝る余裕もなく、背中を押した。その場に居た四人の視線が集まっているのが分かる。

テーブルの方を見て、最初に目が合ったのは黒岩だった。


「わたしの分の線、引いてて。すぐに戻ってくるね」


とりあえずラウンジを出て、小講義室が空いていたので入った。扉を閉める。白峯は動かない。


「大丈夫……じゃ、なさそうですね」


はー、と盛大に溜息を吐いて蹲る白峯を前に、壁に寄り掛かった。


「櫻井先輩に振られたんですか?」


それくらいの落ち込み様なので、思わず尋ねる。白峯は立ち上がってすぐ傍の椅子に座った。こちらを見上げる。


「違う。俺はお前とケッコンすることに決めた」

「告白もしてないのに、わたしと同じ土俵に立ったみたいに言わないでください」

「今はお前の口の悪さすら身に沁みる……」

「しょんぼりしてる先輩、気持ち悪いですよ」


そう言うと、何かを振り切ったように机に頬杖をついていつものような怠そうな体勢に戻った。戻ったと言って良いのか、どうか。


「結婚するんだと、今の彼女と、いつか。その時式に呼ぶからスピーチしろって」

「えええ」

「突っぱねてぶちぎれて逆ぎれされて、このザマだ」


櫻井は白峯に比べたらずっと温厚な方だと思う。というか、白峯は常に世の中を斜めに見ているところがあるのでそう感じるだけかもしれない。それでも、櫻井が逆ぎれするほど白峯がぶちぎれたのか、それだけ白峯にスピーチして欲しかったのか。

その場に居なかったので事実も真実も分からないが、斜に構えて人を鼻で笑って生きる白峯がこんなになるとは、よほどのことだったのだろう。


「……仲直りしたらどうですか」

「面倒くせえし、もういい」

「良くないと思いますよ。たぶん、白峯先輩が謝る前に櫻井先輩が謝ってくれそうですけど」

「それは無いだろうな」


突き放したような言い方に顔を上げる。白峯はこちらを見てはおらず、壁の向こうのずっと先を見ていた。

何か見えているのだろう。


「そんなに怒らせたんですか?」

「一生口きいてもらえない程」

「他に何か言ったんですか? 櫻井先輩の彼女貶したり……」


櫻井の彼女は理学部にいる同学年。前に一度キャンパス内を一緒に歩いているのを見たことがあった。赤羽ほどの美脚でもなければ撫子ほどピアスもつけていなかった、普通の女性。


「就職するって話」

「ああ、院進しないって言ってましたもんね」

「地方か海外に行く」


え、と声が漏れた。それは初耳だった。

でも、初めてそれを聞いたからと言って、普通怒るだろうか。スピーチをしないという話の後だったから? 相談してくれなかったから? それとも。

自分から、離れて行ってしまうから?


「何とも思ってない人の別離に嘆くことはないと思います。少なからず、櫻井先輩は白峯先輩のこと……」

「お前も分かってんだろ。アイツ等は別にこっちのこと、嫌ってるわけじゃない。寧ろ好いてて、それでも振り切ってないから辛い」


アイツ等、の中に黒岩がいることが分かった。白峯は薄く笑って、立ち上がる。


「話したら何か楽になった」

「……そうですか」

「さんきゅーな」


白峯が感謝を述べるのは珍しく、驚いた。先に出て行く背中を見ていると、急に止まる。

廊下に居たのは黒岩だった。



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