悪いか善いか。


黒岩のことは思えば、何も知らない。家族は父親しかいないこと。昔は祖父も一緒に住んでいたけれど、中学のときに亡くなったこと。母親の話は一度も聞いたことはないから、近くには居ないんだと思う。

出会った頃はそんなことを気にもしなかったし、わたしの家族構成の話もしなかったので、気になる頃にはもう聞けない状態だった。

どうだろう、尋ねたら答えてくれたかもしれない。


「これ綺麗」

「ん、ほんとだ」


グラスを手に取る。星座が薄く描かれており、それほど主張も激しくない。日常的にも使えるし。

しゃがんでいた黒岩が立ち上がる。隣にあった猫のマグカップを掴んだ。


「これも可愛い」

「かわいいね」

「猫公園の猫たち元気かね」

「この前通ったら皆のんびりしてたよ」

「まじで? 会いにいこっと」


黒岩の良いところだなあと思う。会いたいと希望を口にするのではなく、会いに行くと宣言するところ。その行動力に惚れ惚れしてしまう。

四年生の人数分買って、買い出しは無事終了。二年生のグループメッセージにそれを送った。

お店を出ると、すっかり春の気温。去年、白峰と同好会室でぐだぐだと話していた頃が懐かしい。そんなことを思い出していると、黒岩にギフトの入った紙袋を取られた。


「お茶しに行こ」

「あ、うん」


にこにことした笑顔を前に咄嗟に断れなかった。手首を掴まれて、するりとその力が緩んで手を握られる。黒岩に手を握られるのは初めてじゃない。今まで手を引っ張られるとき、掴まれたことは何度かある。でも、毎回心臓が跳ねる。ゆっくりと歩き始めて、今回もそれを感じた。

嫌だな、と思った。きっと黒岩はそんなこと少しも思っていないのに、わたしばかりがどきどきとして。

全国チェーンのカフェに入って席につく。黒岩がメニューの中にパフェを見つけて、目を煌めかせてから、眉を寄せた。


「どうしたの?」

「チョコと抹茶で悩んでる」

「私も食べようかな。半分こする?」

「當金天才だ。よし」


店員さんを呼んで、わたしの紅茶も一緒にパフェと頼んでくれた。周りは家族連れ、高校の制服を着た子たちが多い。


「當金、塾講バイトまだやってんの?」

「うん。今、春期講習中」

「個別だっけ。當金は将来何になんの?」


進路相談の空気ではない。軽い質問に、軽く返せば良いだけ。

わたしはグラスの中の水に、未来を見ようとした。占い師じゃないので見られなかった。


「んー今のところはまだ……黒岩くんは?」

「俺は就職かな。奨学金あるし」


黒岩は奨学金制度を受けている。一部返還義務ありのものだと返還義務なしのものより、成績のボーダーが下がる。


「仙斎くんは院進しそう」

「そう言ってた。あいつ授業そんなに出たがらないけど研究好きだから」

「もしかして委員長とかやってた?」

「当たり。推薦で」


そんな感じがしていた。色んな場所に気を回しているところとか、わたしにも結構手を貸してくれたりとか。

パフェと飲み物が届く。わたしの前にチョコレート、黒岩の前に抹茶。お互いにパフェを前に出してスプーンを持った。


「黒岩くんは何委員だったの?」

「なんだと思う?」

「んー、体育委員」

「当たり。すげえ」


ぱちぱちと両手を叩いてくれる。黒岩のやりそうな委員会といえば、体育委員か文化祭実行委員な気がした。祭りには必要な人材というか、いるだけで周りを巻き込む存在。

太陽みたいだ。


「當金は、生徒会長で」

「うん」

「兄さんが二人いて」

「……うん」

「どうした? 疲れた?」

「……黒岩くん。わたしの前でも、普通でいいよ」


もしかしたら、わたしも黒岩にどこか期待と憧れを抱いて認識していたのかもしれない。

わたしを綺麗だと言って一線を引く黒岩と、黒岩を太陽みたいだと言って好意を抱くわたしと、何が違うのだろう。

他人に期待するな、と言われたことがある。それを思い出して、笑う。


「普通って?」


黒岩がきょとんとした顔で尋ねる。


「他の人と話すみたいに、そんな愛想良くしなくても、普通に」

「俺、他の人じゃなくて、當金と話してんだけど」

「仙斎くんがわたしの前だけ態度違うって言ってた」

「そりゃ違うよ。他の誰に嫌われても、當金には好かれたい」


当然のことのように黒岩は言い放った。

わたしはその言葉に体が固くなるのを感じた。


「そういうこと、言わないで欲しい」

「え」

「傷付くから、言わないで」


嬉しいけれど、同じくらい心の柔らかいところをグサグサと刺す。意味のない期待ばかり膨らむ。


「それは、無理」

「無理じゃないよ。できるよ」


断言する。

黒岩からの視線が痛い。

でもそうしなければ、わたしはこれからずっと傷付くだけだ。それは、半々じゃない。



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