ん?


普通だった。

廊下に出たとき。

普通だった。

あみだくじでしゃぶしゃぶに決まって、皆と向かうとき。

普通だった。

店で豚肉を食べているとき。


普通だと、思っていた。


「あたし、彼女の家行くから」

「うん。気を付けてね」

「銀杏もねー」


赤羽が先に降り、撫子と仙斎が大学の最寄駅で降りる。黒岩も降りると思っていたら、何故か動こうとしない。


「俺、今日は実家帰るから。じゃあ」

「おう、じゃーな」

「ばいばーい」


二人、残った。

扉の近くの手摺りに掴まる。


「黒岩くん、たまに帰ってるの?」

「んー、あんまり」

「お父さん心配してない?」

「そんなにしてない」


黒岩が何も話さなくなったので、静かな違和感を覚えていた。先ほどまでは四人で話していたのに。

話しかけても、こんな風に取りつく島もない。違和感といか、既視感。

この前「愛想良く話さなくて良い」と言ったことを成そうとしているのか。

確かに、こういう態度を取られたらちょっと凹む。わたしは大抵他人と一緒にいるとき、話を聞く側に回ることの方が多いから。

でも、こうしてくれた方が楽かもしれない。白峯の言った通り、黒岩から振り切らない好意を見せられても傷つくのは自分。

結局家の最寄駅まで何も会話がないまま過ぎた。電車を降りて、一つしかない改札へと向かう。


「當金、門限とかある?」


黒岩が尋ねる。わたしは腕時計を見て確認する。20時。店に入ったのが早かったので、そんなに遅くない。


「遅くなる時は連絡するだけ」

「猫公園、一緒に行かない?」


首をちょっと傾げた。何故か恐る恐る尋ねていると感じて「うん、行く」と承諾した。



ベンチが猫たちに占拠されていた。わたしも黒岩も苦笑して、空いているベンチを探す。自販機横のベンチに腰を下ろして、近くに寄ってきた猫たちを少し撫でた。

この春生まれたであろう子猫たちが目を光らせて遠巻きにこちらを観察している。


「見て、真っ黒なのいる」

「本当だ」

「おまえ人懐こいなあ」


ぐるぐる言いながらすり寄る黒猫の顎を撫でた。

愛想のない黒岩はどこかへ行ってしまった。


「白峯先輩と、何、話してたんデスカ」


わたしの隣に座って、尋ねる。どうして敬語、と笑えないほどに声に緊張が含まれている気がして考えた。

何、と言われて、何、と答えられない。

全容を話すのは白峯のプライバシーに関わる。強いて言うのなら。


「恋愛、話かな」

「なんか、結婚がどうとか」

「あ、それはね、先輩がふざけて言っただけだから」


わたしも言ったことあるけど、とは白状できなかった。

サバトラ模様の猫が隣に座る。


「當金があの人と喋ってんの見ると、こうむかむかすんだよね」

「え、大丈夫?」

「いや、体調的な問題じゃなくて。気分というか機嫌というか気持ちというか」

「それは、あれじゃないの」


友達をとられた、みたいな。そう続けようとした。

幼い頃、友達が他の友達と仲良くしているのを見て、何とも言えない気持ちになった。母にそれを話すと「友達は銀杏だけのものじゃないの。次は仲間に入れてって話してみれば良いよ」と答えを貰った。

そこまで考えて、自分の頭の中がお花畑状態なことに気付く。思えば、二人は殴るまで発展する喧嘩をしたんだった。お互いにどう思っているのか、よく知らない。

知らないうちから言って良いのか分からず、口を噤む。


「あれって?」

「んー、なんだろう」

「俺、當金のこと好きだよ」


誤魔化すようにサバトラ猫のおでこを撫でている傍からアッパーカウンター。


「……そういうの、」

「やっぱり無理だった」

「さっき、出来てたよ」


顔は見ることが出来なかった。

痛いと思ったから。たぶん、ずっと痛い。黒岩を好きになってから、本当は色んなとこが痛くて千切れそうで。


「面白いもの見つけたら當金に最初に伝えたくなるし、當金が他の奴と話してるとむかむかする」

「んー、うん」

「今までの彼女にそんなこと思ったりしなかった。これってなにか、當金わかる?」


わたしに聞かないでほしい。

それでも、黒岩のその気持ちは分かっていて、分からない。

他人と自分の気持ちがぴったり重なることは稀で、奇跡に近い。


「黒岩くんが、その気持ちに自分で名前をつければ良いと思う」


友情だとか懇情だとか憐情だとか。

どれでも、わたしは受け容れよう。


肩を掴まれた。黒岩のいる方の左肩ではなく、反対の右肩。掴んだのは黒岩で、そちらを強制的に向かされた。

こんな風に触れられたのは初めてだった。

その手はいつも導くときに触れられた。存在を示すとき、黒岩は最初に「當金」と話しかける。それは線引きだと思っていた。

わたしは黒岩を見かけると駆け寄って、隣を歩きたくなる。その肩が触れたら少し嬉しくて、黒岩と付き合っていた彼女たちみたいに腕を組めたらなと想像する。

その違いが。その差が。


「じゃあ、愛情にしても良い?」


無くなったら、埋まったら、どうする?


「本当は、言葉にはし尽くせないんだけど」


肩が熱いのか。手が熱いのか。

黒岩の顔の半分は、自販機の光で明るく、半分は夜の闇で暗い。わたしも同じなのかもしれない。


「愛情なら、わたしが綺麗じゃなくても好きだってことになっちゃうよ」

「それは当たり前」

「ん?」

「俺、當金が綺麗だから好きなんじゃなくて、當金だから好きなんだよ」


ここで、三年前、わたしは思った。

あなたがいるなら、どこへでも行けると。


「すげー今更だけど。よかったら、俺と付き合ってください」


涙が零れる。

どこへ行けなくても良いと昔は思っていた。わたしは銀杏だから。誰かが通りかかって見上げてくれればそれで良いと。

でも、春が来て、全てを攫っていった。

にゃーう、と近くにいた猫が先に返事をする。

わたしがその後に返事をした。


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