恋々に嵐。(下)


白峯の頬の紫を思い出していた。


「……先輩に何か言われたの?」

「俺が一方的にキレただけ」

「黒岩くんが理由なく人を殴るとは思えない」


首を振った。わたしは同じことを、白峯の前でも言える。

黒岩がどんなに冷たい血を持った人間で、わたしの知らない面をたくさん持っていたとしても、これまで見てきた黒岩はそんなことはしない。根拠のない自信と期待を押し付ける。


「……院進を、相談したら、諦めろって言われた」

「それ、嘘でしょう」

「なんで?」

「嘘吐くとき、手組む癖あるから」


マグカップを両手で包み、手を組んでいた。黒岩はそれを解いて、顔を上げてこちらを見る。


「どうしたの? 何を言われたの?」


確かに口の悪い白峯だが、それで人を怒らせるような馬鹿ではない。とは思っているものの、内容によっては白峯本人に意趣返しも考えてしまう。

「いや」と黒岩が笑う。


「當金が綺麗だって話で、意見の相違がさ」

「え、綺麗?」

「そう。会ったときからずっと、當金ってすげー綺麗なんだよ」


視界の端で赤い鰭がちらつく。

初めて会ったのは、学習塾だった。お互い中学生で、わたしが先生に質問しているところに黒岩が来て一緒に話を聞いた。黒岩はわたしの制服姿を見ても、何も躊躇わず話しかけてくれて、一緒に居てくれた。

『何を期待してんだよ』と白峯の声が蘇る。

わたしは黒岩に夢中だった。学校も女子校だったから近くに男子がいないのもあったからかもしれない。でも、黒岩の世界はもっと広いところにあった。

中学の時、彼女ができたのだと知って、胸が焦げた。妬くどころの話じゃない。燃え上がって、もう燃えるものがないくらいまで、辛くて、気づいたら真っ黒だ。それから何度か彼女が出来ても傍にいたのは、その順番がいつかわたしに回ってくるかもしれない、という下心があったからだ。消去法でもいい、最後に残ったのでもいい。

結局、振られて、ここにいる。

そんなわたしが、綺麗?


「綺麗じゃないよ」


出た言葉が濡れたのは、外の雨の所為ではない。


「全然、綺麗じゃない」

「當金」

「わたし、ずっと嫉妬してた」


溢れるのは、言葉か、涙か。


「黒岩くんと付き合う女の子も、黒岩くんの学校に通う女の子も、その話聞く度にどうしてわたしじゃないんだろうって思ってた。でも、違う女の子と付き合う黒岩くんのこと嫌いになろうと思ったけど、できなかった。だからずっと傍にいたの、そしたらいつかって」


吐露。心の中はいつも暗く重いもので犇めき合っている。あなたのことを思うと、いつも。

それから、やっと合点がいった。

黒岩が“良い子ちゃん“でいたのは、綺麗なわたしの前だから、か。


「ぐちゃぐちゃなの、わたしの中」


黒岩は何も言わない。たぶん、女の子に畳み込まれると何を言っても無駄だと思うのか、それとも言えないのか。そういう場面を何度か見た。

がたがたと雨戸が雨風に叩かれる。


「當金、きいて」

「ごめんね、黒岩くん」

「……好きだ」


わたしの右半身が温まっていた。


「當金のこと、好きだよ」


やっと、目があった。

真っ直ぐこちらを見るその目が焦げ茶で、昔からそれは変わらない。


「でも、當金の思ってるそれとは違う」


嵐が止んでほしいと思った。ここから、逃げていきたい。

わたしが地獄を表現するなら、今この時だ。


「うん、知ってるよ」

「正直、好きって言葉で合ってるのかも分かんねえ」

「うん」

「それでも」


言葉が続かない。一度黒岩が視線を逸らして、戻る。


「それでも、傍にいてほしい」


どうして泣きそうな顔をするの。

泣きたいのはわたしの方なのに。


「同化することだけが愛情じゃないもの。わたしたち、全然違うかたちでも、一緒にいようね」


黒岩が安堵した様子で頷く。


嵐が過ぎる。

過ぎていく。

わたしたちを置いて、どこかへ行ってしまった。




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