恋々に嵐。(上)


そういえば、白峯の頬は大丈夫だろうか。ふと思い出して考えた。

特別今思い出さないといけないことでも無かったのだが、他に考えることもなくぱっと浮かんだのがそれだった。近所の犬に突進されたと言っていた。なんとなく嘘な気がする。あの白峯が犬好きとは思えない。


天気予報は一応見ていたし、外の天気が悪いことも知っていた。

さすがにここまでとは思わず、柾の家から日曜出勤する家主と共に出た。駅に行く途中に雨が酷くなり、元から強い風に乗って激しくなった。駆け込んだ駅の改札口に「運休」と手書きの看板が出ていた。

春の嵐だというほど暖かくもなく、戻る場所を探していた。大学の図書館も今日は休館だ。この嵐の中、歩いて帰ることも母に迎えに来てもらうこともできない。

予報によれば嵐が過ぎるのは夕方頃らしく、それまでに少し雨が止んだらどこかのファミレスに入って時間を潰すことに決めた。幸い勉強道具は持っている。

思えば、よく黒岩のバイト終わりを勉強しながら待っていたなあ。雨が降っていたから、傘を忘れたと言ってだらだらとずっと喋っていたり。懐かしい、と思うだけ。最近はまた一緒にいることが増えたけれど、もうバイト先で待つこともしていない。考えてみれば、あれってちょっとストーカーっぽかったよね。

駅へ来て、運休を知って困惑し、バスロータリーの方へと進む人々。その内バスの方に長蛇の列が出来た。

比較的空いている切符売り場の柱の下で立って、雨の降る外を見ていると、「當金?」と声をかけられた。すぐ近くにその姿はあって、私よりも濡れ鼠状態だった。


「……黒岩くん」

「何してんの、こんなとこで」


それはこちらの台詞だった。

わたしはバッグからミニタオルを、黒岩へと差し出す。黒岩はそれを断って自分のリュックからフェイスタオルを取り出した。


「家に帰ろうと思ってかれこれ二時間」

「え、もしかして止まって……」

『――えー現在、運転開始の目処は立っておりません。バスにて振替か……』


丁度放送が入り、黒岩が肩を落とす。頭にタオルを被りながら携帯を出した。


「うわ、バイト先も急遽閉店になった」

「今日バイトだったの?」

「そ、ここまで漸く辿り着けたのに」


そういえば黒岩は大学の近くに引っ越したと言っていた。この天気の中でも駅まで辿り着けたのがすごい。


「で、當金は?」

「お兄ちゃんの家にいて、実家に帰ろうとしたら電車止まってたの」

「なるほど……とりあえず柾さん家戻った方が良いんじゃね?」

「お兄ちゃん仕事で居ないんだよね。雨上がったらファミレスとかで時間潰そうと思って」


じっとこちらを見る黒岩。一緒に時間を潰すと言い始めそうだな、と経験則から思った。


「うち来る?」

「え」

「こんな雨の中でも一応辿り着けるくらいには近い。ちょっと小雨にならんかな」

「いやいや、それは」

「大丈夫。ちょっとボロいけど、秋の台風には耐えた」


ぐっと親指を立てて笑顔を見せる。

そんな心配はしていないけれど黒岩はタオルをリュックにしまって、わたしの隣で雨が止むのを待った。

わたしの経験則は当てにならない、のか、黒岩が私の想像の上をいくのか。


「そんな、いいよ。そこのファミレスの方が近いから」

「そんな濡れた格好でずっと居たら風邪ひく」

「ひかないよ……」


わたしよりずっと黒岩の方が濡れている。

タオルの隙間からこちらを見る目と合う。ちょっと遣る瀬無く笑った。


「じゃあ無理矢理引っ張ってく」


雨音が少しだけおさまった。駅の外へ視線を送るのと同時に手首を掴まれて、歩き出す。

黒岩がビニール傘をさして、わたしも同じようにさした。駅へ向かう人と擦れ違って歩いていく。風が強くて、小雨を避けられないと思って、途中傘をとじた。次の瞬間、強い風に煽られて黒岩の傘がひっくり返った。


「おお、まじか」

「わ、私、初めて傘がひっくり返ったの見る!」

「なんでちょっと嬉しそう」

「すごい!」


傘をさすことを諦め、二人で歩く。黒岩のアパートは確かに駅から近く、そして外の階段がキシキシと鳴った。



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