ルピナス。


大学の後期のテスト期間が終わった翌日、黒岩は大学に来ていた。提出期限が本日のレポートを出して、研究室に顔を出し、ラウンジで仙斎を待っていた。同じくレポートを出しに大学まで来るというので、一緒に昼飯を食べようという話になった。

近くの席が引かれる音がして顔を携帯から上げると、白峯と目が合った。白峯も黒岩の方を見ていたからだ。


「お疲れ様です」

「お前も大学スキか」

「はい?」

「いや、なんでもない。ゼミ?」

「レポート出して、研究室に顔出してきました」


ふーん、と興味のない返事。これが白峯の通常運転である。黒岩もそれを知っているので、特に引っ掛かることもなく受け止めた。

白峯は何を思ったのか、黒岩と同じテーブルに、角を挟んだ隣に座った。それは予想外だった。色素の薄い瞳の色が覗ける。黒岩は反射的に、いやずっと心の中で燻っていた質問が口から出た。


「當金と付き合ってるんですか?」


その當金とは話すときよりも冷淡な声。白峯はその質問に薄ら笑って首を傾げる。細い首だが、折れることはない。


「だったら、お前に関係ある?」


瞬間、二人の周りに緊張の空気が張りつめる。ラウンジは春休みというのであまり人はおらず、黒岩が待つ仙斎も来ない。

黒岩はその答え方にぴくりと眉を動かした。それを白峯が見逃すはずもない。


「去年、同好会の奴らが下世話な話してたとき、全然参加しないで? 當金の話振られたら急に不機嫌になった奴がなんだって?」

「……なんすか、急に」

「黒岩さ、言ってたよな」


少し目を細めて白峯が少し身体を後ろに倒す。背もたれに背中がついて、止まる。男にしては白く細い身体だが、威圧感があった。

白峯は黒岩を刺してやろうと考えていた。


「“そういう対象には“思わねえって、當金を“汚すのは許さない“って意味だろ」


見透かした目。


「“自分以外“は」


その言葉に、黒岩の視線が白峯へと向いた。驚きも呆然もなく、目の奥が青白く燃えていた。


「俺は自分のこと、そんな特別に思ったことはありません」

「じゃあ、あいつを特別だとは思うワケだ」

「當金は」


言葉を切る。

同好会室で下世話な話をしていた男子を遠巻きに見ていた白峯と、その輪にいて當金に関して話を振られた黒岩。元々當金のことに関して何か言われると不機嫌になることを知った仲間が面白がって振っただけだ。でも、本当はそれだけではない。


「綺麗です」


出会った頃、彼女は明華中学の制服を着ていた。近所の有名女子学校だと知っていた。幼稚舎から大学までエスカレーターで行くことができ、通うのはお嬢様だと聞いた。

當金もそれに漏れない。よく笑い、よく勉強していた。勉強するより遊ぶ方が好きだった黒岩に、その姿に憧れに近い好意を抱いた。

それは、汚してはいけない好意だ。

白峯はそれを感じ取っていた。どこか自分の想いと似ていたからだろうか。

好意を抱くのは、同時に友情を追い出すのと同じだ。友情と恋情は同居できない。だが、棲み分けもできない。


「そんな期待してやるなよ」


黒岩の首に腕をかけて、ぐいっと顔が近づく。白峯が声を潜める。


「はじめてヤったとき、めちゃくちゃ痛がって」

「は」

「止めずに続けたら、泣いてお前の名前呼んでたぞ」


脳裏に浮かぶ、その姿。

考えるより先に、手が出ていた。自分の本質と付き合うのは、難しい。白峯の胸ぐらを掴んで殴っていた。

黒岩は自分がずっと冷たい人間であることを知っていた。


「いってえな」


顔を顰めて白峯は黒岩の腕に釣られたままになっていた。

周りが少しざわつく。


「嘘に決まってんだろ、アホか」

「は、嘘?」

「で、どっちに苛ついたんだよ。俺にか? それとも、呼ばれてもかけつけてやれない自分にか?」


体勢の優位さは、白峯には関係ない。黒岩は自分の中で熱くなった血が、冷めるのを感じた。その質問の答えはすぐそこにあり、分かる。


「どちらにも、です」


簡潔に答える。白峯はその返答に笑った。


「先輩の言った通り、特別で綺麗で汚したくない。俺でも」

「そういう気持ちが汚れると思ってんなら、ひとつ聞くけど」

「なんすか」

「お前を好きだと言った當金の気持ちも、汚れてんのか?」


その響きに懇願が含まれていると思ったのは、聞き違いだろう。黒岩はそれを否定する以外の返答が見つからなかった。

何を肯定したら、何を否定することになるのか。

瞬間、黒岩は白峯から引きはがされた。後ろから仙斎に引っ張られて、簡単に腕は離れる。

「何してんだよ、お前ら」と、誰から呼ばれたのか櫻井も白峯の前に現れた。黒岩は答えに詰まり、白峯が口を開く。


「就職の話で熱くなっただけだ」

「朔が何言ったら、黒岩が殴ることになるんだよ」

「お前に院進は無理だって」

「……黒岩、本当か?」

「……はい」


仙斎でさえ、その話は嘘だと見抜けた。それでも四人はそういうことにして、この場を納めることを決断する。腕が取られて、櫻井と向き合って黒岩は立つ。


「そういうことなら、言った朔も殴った黒岩も悪い。どっちも謝れ」

「すみませんでした」

「誰が謝るか」


べ、と舌を出して白峯は鞄を持つ。「は?」と櫻井が振り向いた時にはもう、ラウンジの出口へと歩き出していた。はあ、と溜息を深く吐いて呆れる櫻井の背中に慣れを感じる。いつものことなのだろう。


「ごめんな、黒岩。俺が代わりに謝る、そんで今度またちゃんと謝らせる」

「いや……今回は全面的に俺が、悪かったんで」


所在なさげに視線を落とす黒岩を見て、櫻井が頷いた。

冬が静かに遠退いていた。




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