赦し。
九月が終わると、残暑がひとまず落ち着いた。
最近また雨が増え始めたなあと空を見上げる。台風もこの前過ぎたばかりで、暑さと寒さを行ったり来たり。もうすぐ研究室も決めないといけない、と学部の掲示板を見て思い出した。
二番目の兄、柾はきちんと教職課程を取っていたけれど、わたしは全く先生という道には興味が湧かず取っていない。将来というか、就職どうしようかなとぼんやり思い始めてきた。
後期の重い教科書を購買で買って、同好会室へと足を運ぶ。いつも通り白峯がパイプ椅子に座っており、漫画を読みながら怠そうにこちらを向いた。
「髪が短くない」
「失恋したからって皆が皆切りません」
「お前よく会長引き受けたな」
わたしはテーブルの脇に紙袋を置いて、椅子に座る。白峯の質問の意図が分からずに顔を上げた。
引き受けるもなにも、引き継いでしまったのだから。
「黒岩も副会長だってのに、神経太いのかアホなのか」
「わたし、初めてアホって言われた気がします」
「これだからお嬢は。嫌なら逃げれば良いだろ」
「んー、逃げる方が面倒だって思う質で」
生徒会長も断るのが面倒くさくて結局することになった。誰か周りに押し付けられるような人もいなかった。同好会も同じだ。と、そこまで考えて、赤羽に言われた言葉を思い出す。『周りの人間が頼りなく思えるのかもしれない』という言葉。
そんな風に思ったことは一度もない。わたしはわたしのやれることをしたまでだし、これからもしていく。それが他人にそう思わせているのなら、どうすれば良いのだろう。
結果、気持ちに正直になることにした。
「そのアホなところが、たまに櫻井に似てるのがムカつく」
舌打ちまでされる。わたしって結構、関係のない火の粉が降りかかる方なんだなと冷静に思った。
テーブルの上に積まれた漫画に目を向ける。
「白峯先輩は会長がいたからこの同好会入ったんですか? 天体が好きとかじゃなくて?」
「いや、普通に天体好きだけど」
「星座とか神話とか?」
「それには興味ねえな。星座神話って大抵恋愛の揉め事だとか戦いだとかで、平和じゃない」
「先輩って平和主義……でしたね、そういえば」
「そうだろ」
こうしてここでじっとしている分には。
口を開くと暴力的な口調ではあるけれど、そんなに仲良くない人には人見知りを発揮することもある、らしい。櫻井曰く。
積まれた漫画は、世界の星座神話。一番上に乗った巻を手に取る。少女マンガ風な作画。
「会長に借りたんですか?」
「学祭でつかうからちょっとは説明できるように、だと」
「あ、学祭。先輩たちも手伝ってくれるんですか?」
「あいつはそのつもりだろうな」
すっかり学祭のことが抜け落ちていた。天文同好会は毎年プラネタリウムとやることは変わらないけれど、星座神話は毎年学祭のコンセプトに合わせて変えている。今年のコンセプト発表は月末だ。
ということは、会長としての仕事が……。
「去年、先輩って副会長の仕事全然なかったですよね?」
「あったに決まってんだろ。学祭が一番忙しい」
「えー……」
「だから言っただろうが、よく引き受けたなって」
撫子と共に階段を上っている途中、二階で黒岩と仙斎が現れた。最初に目が合ったのが黒岩で、すぐに逸らす。撫子には振られたことを言ってないことを思い出す。仙斎は知っているだろう、と思いたい。
「二人は帰る組?」
「いや、五限がある。残る組」
撫子の言葉に黒岩が返す。ちょうど良い、と思って仙斎の隣に並んだ。
「仙斎くんが残るの珍しいね」
「流石に単位は余裕持って進級したいと思って。来年三年だし」
「気持ちはわかる」
「當金、次なんの授業?」
後ろから黒岩が尋ねてきて、一瞬固まる。それを読んだように仙斎はこちらから視線を外し、撫子が空気を読んで答えた。
「次、食品化学。ここ」
講義室を前にして立ち止まる。わたしも同じようにして立ち止まって、身体を講義室の方へと向けた。
「當金」と黒岩から声がかかる。振り向いて、その顔を見る。
「俺、夏に引っ越したんだ、大学の近くに」
「うん」
「今度同期たちとさ、飲み会しようよ」
「うん」
「……じゃあ」
「うん」
わたしは講義室へと入る。席に座ると、ひとつ空けて隣に撫子が座った。
「どうしたの、銀杏さん。うんうん人形みたい」
「人形に今日からなったの」
「黒岩に振られたの?」
「うん」
え、と撫子の表情が固まった。教科書とファイルを鞄から出す。この授業はプリントが多くて、整理するのが大変だ。
撫子が空けた席を詰めてきた。
「今の冗談?」
「わたし、黒岩くんに振られたの」
「えええ、それで、銀杏さんは怒ってるんだ」
「そうなの」
にこり、と笑ってみせた。撫子が若干怯えた顔で元の席に戻っていく。
「黒岩がこれからどうするのか見物だね」
「見物って」
「これで引くのか、押してくるのか」
頬杖をつく撫子の横顔に、何を見るのか全然分からなかった。それよりも、どうでも良いやという気持ちが勝った。
誰を傷つけても、わたしが傷ついても、どうでも良い。
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