戻れない、過去。
働いている中学校の近くのお祭りなので、柾も見回りに駆り出されていたらしい。普段着とは違ってちゃんとした洋服を着ている。
「浴衣どうすんの」
「脱ぐ」
「まじかよ、掛けるとこねえぞ」
ぶつぶつ言いながらもわたしの浴衣をかけてくれた。柾の部屋着を借りて居座ることに決めた。
頭の中がぐちゃぐちゃしている。
「泊まるなら母さんに連絡入れろよ」
「……お兄ちゃん、入れたことあるの?」
「心配するから入れとけ」
びしっと言われて、いちおう兄の言葉なので逆らえない。母に連絡を入れて、その間に柾が淹れてくれた麦茶をごくりと飲む。
「波結祭り?」
「行った、友達と」
「黒岩もいたりして」
「いたよ」
へー、と面白がる柾を前に、携帯を取り出す。まずは何より傷を舐め合う人に連絡しなければならない。
「電話する」と一言断ると「え、誰に」と返ってくる。それに返事はせずに電話をかけた。相手は2コールで出た。『もしもし』と眠そうな声。
「當金です、先輩」
『知ってる。なに、今日祭りじゃねえの?」
「終わりました」
『あっそ。楽しかったって報告か』
「終わったので、わたしと結婚してください」
柾が麦茶を噴いた。幸いわたしの方にはかかってこなくて、そのまま咽る。辛そうなのでその背中を摩った。
そんな柾に比べて、白峯は静かだった。
『嫌だ。當金は終わっても、僕は終わってない』
「じゃあ早く終わらせて、同じように傷ついてください」
『お前、傷ついてんの?』
せせら笑う声。わたしはどきりとする。背中から手を落とした。
『好きになって数年傍にいるのに、相手は違う女と付き合ったりキスしたり抱き合ったりしてんだろ。それでもいいって、一番馬鹿な考え方で傍にいたんだろ』
胸が焦げ付いたことはあるか。それでも良いと宥めたことはあるか。
『僕らは同じ馬鹿だろ。何を相手に期待してんだよ』
櫻井と白峯は幼馴染で、大学まで一緒にきたという。櫻井に彼女ができた報告を何度も白峯は聞いた。それでも傍にいた。
わたしも同じだ。同じで、どこか諦めて、どこか期待していた。
「……どうしたら終われますか、明日から嫌いになれば良いんですか」
『知らねえ』
「教えてください」
『僕も失恋したことねえから』
おめでたい者同士だな。
気付いたら泣いていて、どうしたら良いか分からなかった。いつもそうだ。わたしは泣くと、方向を見失ってしまう。
好きだった。今も好きだ。恋を終わらせるのはどうしたら良いのだろう。こんな想いをしては、忘れることも出来ない。
小説を読んで、恋愛をしている主人公を何度も見てきたけれど、恋の終わらせ方なんてどこにも書いていなかった。白峯の言った通り、わたしはこの年まで失恋をしたことがなかったから。
イチョウ並木の下にいる。黄色く色づいたイチョウが落ちて、道を染め上げていた。
「そういえば當金の名前って銀杏だよな。秋生まれ?」
「うん、秋生まれ」
「名前の由来もそれ?」
中学の制服を着た黒岩と話していた。
わたしも中学の制服を着ている。
「んー、うん」
「今の間はなんだ。生まれたときにイチョウの樹が傍にあったからじゃないのか」
「家ね、男子の方が多く産まれるらしいの」
兄弟も兄二人なので、確かにそういう傾向はあるのかもしれない。これは父から聞いた話だった。
「そんなんあんの」
「女子は流れるか、短命なんだって」
黒岩が口を噤んだ。友達に言ったら同じような反応をすると思って、誰にも言わなかった。
「イチョウの花言葉には長寿が入ってて、それもあってつけたみたい。わたし、風邪も全然ひかないから、丈夫だし誰よりも長生きしちゃいそう」
笑ってみせると、黒岩が足を止めた。わたしの方を見ている。
「良い名前だ」
「そうかな、ありがとう」
「長生きしてさ、一緒にまたイチョウの下歩こ」
うん、と頷いた。わたしは初めてその話を他人にした。憐れまれたり慰められたりされるのが嫌だと思ったから。
でも黒岩はそうしなかった。それだけで良かった。
目を覚ますと薄暗闇の中だった。ベッドの上に横になっていて、柾の家にいたことを思い出す。布の擦れる音がして、そちらを向くと柾と目が合った。
「泣き疲れて寝るなよ、子供か」
「……ごめん」
「子供みたいにお前もう軽くねーんだから」
「ひどい」
「黒岩に振られたんか」
眠りながらも泣いていたのか、目元が濡れている感触がする。柾はタオルケットを整えながら、ベッドの下に寝床を作っていた。
「……うん」
「そっか」
「ん」
「お兄ちゃんがぶん殴ってこようか」
幼いとき、遊ぶ相手は柾の方が多かった。よく泣かされたけれど、わたしが泣いていると藤と一緒によく笑わせてくれた。
今のは笑うところだろうか。
「ううん、いい」
「あっそう」
「もう子供じゃないし」
「あらそう」
「泊まらせてくれてありがとう」
「いーよ」
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