面。
子どもの頃、夏祭りで迷子になったことがある。母と兄二人と来ていたけれど、金魚すくいの金魚に見とれている内に、わたしだけはぐれた。
……今。
携帯から『おかけの電話は現在電波が……』と無機質な音声が流れている。
撫子にも赤羽にも黒岩にも繋がらない。仙斎の連絡先は知らないし、赤羽と同じ学部の石竹とは初対面だ。
端のお面屋さんから少し離れた石段に浅く腰掛ける。足元を見ると鼻緒と浴衣の裾。
女子は浴衣を着ようとなって、大学の近くで着付けをしてもらった。それから大学の前あたりで皆と合流したのが午後六時。石竹は黒岩と仙斎と同じ高校出身で、既に三人は睦まじく話していた。
六人で歩き始めたものの、人が思ったよりも多すぎて、わたしは早々に皆の姿を見失った。
自分の集団行動の出来なさ加減に悲しくなる。腕時計を見るともうすぐ一時間が経つ。花火が始まる時間だ。
露店が左右に連なるこの通りを行けば会える確率は高くなるのだろうけれど、花火が近くなって人が増えてきた。皆も一応探してはくれているのだろうな、とは思う。こんな序盤ではぐれたとは思ってないだろうな……。
呆れて一人笑う。遠くでどーん、と花火の音が聞こえた。あ、始まった。
ここからでも小さいけれど見えるんだ。綺麗。
「當金」
後ろから声がして、驚く。石段の柵の向こうにいた黒岩が、飛んだ。
あなたはいつも、そうやって、簡単に飛び越えてくる。
すとん、とわたしの隣に着地した。しゃがんで、空を見上げる。
「お、ここからも見える」
「はぐれてごめんね」
「大丈夫、ただ携帯繋がんなくて焦った」
右手に持った携帯をポケットにしまう。周りを行く人々も花火を見上げている。
花火を考えた人はすごい。炎色反応をこうして利用するとは。
「リアカーなきケー村……」
「理系は同じこと思ってるのかなあ。皆のところ行こっか」
「ん、行きながらなんか食いもん買ってこ」
立ち上がって、人混みの中を行く。黒岩の背中を追った。途中に金魚すくいの屋台があり、足を止める。きらきらと光る水面と赤い金魚。うちは生き物はダメだと言われているから、やりたくてもやりたいとは言えなかった。
はっと我に返って黒岩の方を見る。行ってしまったと思っていた姿はすぐそこにあった。
「する?」と尋ねられる。屋台には子供たちが一生懸命に掬う背中が揃っていた。
「ううん、うち生き物禁止だから」
「俺やろっかな」
「え」
屋台を構える人にポケットから出したお金を渡して、黒岩が金魚の前に子供たちに並んでしゃがむ。「おにいちゃんできんのー?」「おう任せろ!」と既に馴染んでいる。どうして並んで話しただけで、そんなに仲良くなれてしまうのか。
わたしがどんなに勉強したって、その能力は身に着けられない。
「當金見て、めっちゃすくってる!」
「え、あ、すごい」
「俺一匹だけなんだけど! 名人かよ!」
隣の男の子の小さな容器の中に何匹もの金魚がいる。二人してそれを覗いた。
黒岩の掬った一匹が水と共に袋に入れられて戻ってくる。
「名前つけて、當金が」
「え……うーん……」
動物を飼ったことがないので、名前を考えることも人生で経験したことがない。そもそも名前ってどうやってつけるのか。生まれた時期とか、どんな風に育って欲しいとか?
「真面目に考えてもらって、お前は幸せ者だな」と黒岩が金魚に話しかけている。
「モミジ」
「赤いから?」
「うん」
「黄色だったらイチョウだったなー、惜しかった」
笑う黒岩の横顔を見る。わたしがその金魚になりたい。それで、名前をつけてもらいたかった。
ぎゅっと手を握り締める。
前を歩き始める黒岩のTシャツの裾を掴む。その手が僅かに震えた。
「どした?」
振り向く。どきどきする自分と、それを酷く冷静に見守る自分がいた。
「黒岩くん、好き」
遠くで花火の音がする。
「わたしと、付き合ってください」
黒岩の顔が驚いて、そのまま固まる。それは緩むことなく、口が開く。
「ごめん」
視界の端で、花火が散る。炎色反応。リチウムは赤、ナトリウムは黄色、カリウムは紫。散るときは一瞬だ。
「當金とは、付き合えない……ごめん」
冷静な自分が笑っている。「可哀想」と呟いている気がした。
「そっか」
あれ、これ黒岩に彼女ができたと言ってきたとき、いつも返してた言葉だ。
その後のことはよく覚えていない。皆と合流して、赤羽と撫子に心配をかけて申し訳ないと思った。
花火とお祭りが終わって、帰路につく。黒岩と同じ電車に乗るのが嫌で、柾の一人暮らしの家に行くことにした。部屋番号を鳴らしても返事がない。家にいないのか、眠っているのか、彼女でも来ているのか。
どんな理由でもいいや、と思って、意地になって柾の番号に電話をかける。
「何やってんの」
ちょうど後ろから声がした。
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