の下にて。
乾杯、と缶をぶつける。
「ちょうど散り際だね」
「温暖化が進みすぎてんだよな」
「確かに、冬も暖かかった……受験のとき、ありがとう」
膝に花びらが落ちてきていた。頭を下げると黒岩が身体を固める。
「え、何が?」
「何がって、来てくれたでしょう。わたし、実は結構朝から心折れそうだったの」
缶コーヒーを持った手を膝に置いたまま、こちらを見る。わたしは缶の中に花びらが入るのではと少し考えてもいた。
願わくば、から始まる西行法師の歌が頭の中にひっかかる。
「そんな後日談みたいに言うなよ」
うーん、と唸りながら黒岩はベンチに背を預ける。
「いやでも言えるようになったことが進歩?」
「うん? 何の話?」
「當金が全然弱音言ってくれないって話」
「今言ってるよ」
「そん時言ってくれなきゃ助けらんないじゃん」
「でも黒岩くんは助けてくれたよ」
言うと、うーんと更に唸り声をあげて右手で額を覆った。そういうことじゃないんだけど、でもそういうことになったけど、とぶつぶつ言っている。
あれ、なんだっけ、願わくは花の下にて、だった気がする。
「心折れそうだったけど、黒岩くんがいたから頑張れたよ」
思い出した。
願わくは花の下にて春死なん、だ。
「……その言葉、墓場まで持ってく。つか墓石に彫ってもらう」
「賑やかな墓石だね」
「by當金ってちゃんとつけてもらうから」
「それは辞めてほしいかな」
「なんで」
賑やかな墓石を想像して笑う。いや請け負う方も断って欲しいところだけれど。
辺りが段々と暗くなって、近くの街灯が点いた。花びらが缶の上に乗る。
「願わくは花の下にて春死なん、の下の句って覚えてる? 西行法師の歌なんだけど」
桜を見上げて尋ねると、黒岩も同じ樹を見上げていた。
「そのきさらぎの、なんとかのころみたいな、やつだった気がする」
「あ、そのきさらぎの望月のころ、だ。ありがとう、もやもやしてたの」
「もやもやのしどころが高尚……」
「ふとね、思い出して。よく知ってたね?」
見ると、黒岩の膝の上にも花びらが重なり始めていた。公園の猫が一匹その膝の上に飛び乗ってくる。
黒岩はそれには微動だにせず、缶コーヒーを持つ手を少し逸らしただけ。
「桜満開のときに死のうっていう歌だよな。俺のじーちゃんも春に死んだから、なんか重なって覚えてる」
その瞳は、一欠片もわたしを映していなかった。
久しぶりにそんな表情を見た。
いや、今のはわたしの話の振り方が悪かった。こんな顔をさせているのは私の所為だ。
「黒岩くんは大学行ったら何したいの?」
「とりあえずバイトして稼ぐ」
「目標が明確だね」
「當金は?」
「とりあえず、友達作りたい」
同じ大学に入った親しい人間は黒岩と赤羽しかいない。予備校でも同じ学校の子は見かけなかったし、そんなに多くはないと思う。
小中高とエスカレーターで女子校だったからなんとかやってこれた所も大きい。ある意味わたしは初めてその外に出て学生をすることになる。
少し不安で、かなり楽しみだ。
「俺も! 俺も作る!」
「黒岩くんは心配いらないと思うけど」
黒岩くんはたぶん、作らなくても周りに集まってくるだろうし。
それに笑って、缶紅茶に乗った花びらを落として飲む。
夕日が暮れた頃に、そういえば母が早く帰ってきてと言っていたのを思い出した。
足早に家へ向かうと、ちょうど仕事帰りの藤と会った。
「おかえり、久しぶり」
「久しぶり、ただいま。まだ制服着てるのか?」
「学校帰りなの。担任の先生と予備校のチューターさんに報告」
「インフルで前期受けられなくて後期で入るって當金家の伝説に残るな」
「二番目の兄より伝説にはなりたくない……」
言うと笑われた。藤は元気だった。彼女さんはまだ連れて来る気配はないけれど。
わたしのインフルで家がそれどころじゃないと気を遣っていたのだろうと思うと、本当に申し訳ない。
「何はともあれ、合格おめでとう」
「ありがとうございます」
家に帰ると空腹の柾がソファーで横になっていて、夕飯を作り終えた母が「遅いわよー」と目を細めていた。
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