二兎を獲て。
健康な身体がとても軽いことに感動する。予備校の窓口に行くと、小倉さんがすぐに来てくれた。
「身体、もう大丈夫?」
「はい、万全です。気持ち入れ替えて、後期頑張ります」
そう言うと心配した顔は変わらなかったけれど頷いてくれた。
学校に行くと赤羽に頬を挟まれた。大丈夫? と訊きたい顔をしていたけれど、わたしが色んな人から言われているのを感じ取ったのか、何も言わない。
「赤羽、試験どうだった?」
その手を掴んで尋ねる。赤羽も波都大のボーダーを超えて前期を受けた一人だ。
教室に来るクラスメートたちの殆どが試験を終わらせて落ち着いていた。
「わかんない……落ちてるかも」
「そしたらわたしと一緒に後期受けようね」
「銀杏って強いなあ」
笑った赤羽に揃えて笑う。教室の黒板の端のセンター試験まで、のカウントダウンが卒業までに変わっていた。
予備校から帰る時間がちょうど重なって、黒岩と会えた。もう予備校では会わないだろうと思っていたので、少し驚いた。
「先生に話しに来てた。當金、元気?」
「うん、元気になった」
「良かった良かった」
隣を歩いて、途中猫公園に寄った。猫たちは既に大きくなっていて、背中を毛づくろいしている。
ベンチに座ると、黒岩が缶コーヒーを買ってくれた。ありがとう、とお金を渡そうとするとゆるりと躱される。
「黒岩くんの学校、卒業式いつ?」
「俺んとこは6。當金のとこは?」
「同じ。合格発表の日だよね」
缶コーヒーを両手で覆い、暖を取る。マフラーをするほどじゃないけれど、コートは欠かせない気温だ。
黒岩はベンチの背もたれに背中をつけて、そらを仰いだ。卒業式のことを口にしておきながら、頭の中は後期試験のことで一杯だった。
「泣いてた?」
「泣いて……? ないよ?」
「柾さんが言ってた」
べそべそ泣いてないで、と言葉が蘇る。
思い出して、顔に熱が集まる。絶対そのまま黒岩に伝えたに違いない。
今度会ったら絶対に文句を言う、と決める。
「熱出すと、涙腺が緩くなって、ね?」
「うん。なんか當金がさ、メッセージくれたとき、泣いてんだろーなと思ったから」
「な、泣いてないから」
「半々だからさ」
黒岩の言葉の意味を辿る。それはこの公園で交わした言葉だった。
「自分が大変だなーって思うときは俺に半分くらい荷物投げて寄越してよ」
はは、と朗らかに笑う黒岩を見て、ああやっぱりと眉を顰める。顔を伏せてコーヒーに額を当てた。
「どうした、腹痛い? 大丈夫?」
「ううん、違うの、あのね黒岩くん、ありがとう」
顔を上げたときには笑顔でいられた。
わたしはあなたがいるなら、どこへでも行ける。
卒業式は例年通り行われて、在校生代表挨拶は松江がしていた。泣いている同級生のいる中、わたしは一人で高校生活を振り返っていた。
内部進学すると決めて入学して、黒岩のバイトを待って喋ったりして、生徒会に入った。会長になって、赤羽と知り合って、文化祭がなんとか終わって、それからあの雪の日。
三年生はあっという間だった。
「先輩! ご卒業おめでとうございます!」
突然現れた黄色と水色の花束に驚き、反射的に受け取る。
「ありがとう」
水縹と萌黄だった。わざわざ三年の教室前まで来てくれたらしい。写真撮影が終わったら赤羽と生徒会に顔を出そうと話していたけれど。
赤羽の方を見ると、同じように花束を持っている。ピンクが基調とされている、なんか可愛い。
「大学行っても……私たちのこと忘れないでください」
「忘れない忘れない、それにまだ行く大学決まってないんだよね」
えっ、と萌黄が声を上げる。これから試験だし、と付け加える。そして赤羽の顔が朝から蒼白いのは今日が前期の合格発表だからだ。
教室の黒板の端に書かれた卒業式までのカウントダウンはもう消されていた。わたし達は追い立てられるように高校を卒業する。
式に来てくれた母が先に帰ると言うので、わたしは赤羽と帰ることにした。赤羽のご両親は来ていないらしい。
「赤羽、時間だよ」
「あーもうやだ……」
校門の近くで写真を撮る三年生を横目に学校を出る。うちの学校は謝恩会などは後日で、今年度は半分ほどが内部進学に決まったらしい。
赤羽が携帯を出して操作する。ぴたりと指を止めた。
「どうだった?」
いまやサイトで合否が判る時代。わたしは自分の進路どうこうよりも気になった。
「う、かってた……」
「おめでとう!」
鳥肌が立って、赤羽に抱きつく。程なくして背中に手が回る。
「ありがとう、ありがとう……!」
桜の気配が近付いた。
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