第四章 3
森江宏樹と僕は、先も言った通り一年のとき一年間だけ同じクラスで生活していた。
入学した時は確かが森江の方が幾分背が高かった。けれど、それから三年近くも時が過ぎ、去年の夏休み辺りには追い抜いて、僕の方がもう五センチくらい背が高いはずだ。
森江宏樹の性格は、一言でいえばお調子者。で、ものすごく馬鹿。僕は一年時、こいつが英語の教科書の「SIX」という字に線を足して「SEX」に直しているのを見てひどく引いた。流石にそれを一冊丸々修正するのは、相当な労働力だろうなと思った。あと、黒板の隅に女性の裸の絵を描いてみたり、授業中エロ本を回し読みしたりと、言い出したら結構キリがない。だからその手の男友達は結構多いが、女好きなのに女子からはこっぴどく嫌われている不運なやつ。男だってこいつのことを嫌いなやつは相当嫌いだ。去年同じクラスだった小原哲は森江と犬猿の仲であり、どこからか声が聞こえてくるたびに「うぜぇよ消えろ」と廊下の奥に怒鳴っていた。これは今も変わらない。
森江宏樹は相当なお調子者の割にはプライドが高く神経質で、桑原なんてゴミ箱とさほど変わらないであろう扱いをしている机の中はまるで宝石箱のようにきちんと整理整頓をしているし教科書ノートにラインをつけることもわざわざ定規をつかい時間をかけて丁寧に行っている。きちんと整えられた爪に丹念にマニキュアを塗っている所を見た時は背筋に悪寒がぞくりと走った。自分の成績のことをやたらと気にしていて、こいつも東高を受けるらしいという話を聞いたことがある。が、成績は少々微妙らしい。だからというわけでもないだろうが、自分の成績、他人の偏差値をやたら気にしていた。どこで聞きつけたのか僕も東高を受けるらしいという情報を持ち出した森江は対して接点もないような僕のところにやってきて、僕の順位やら偏差値やらを聞き出そうと廊下の隅で粘っていた。(ちょうどよくやってきた石井に適当に押し付けて逃げた)
つまるところ、僕にとっても決していい印象のある人物ではない。
だから正直、あいつが失踪して周囲の人間が面白おかしく騒めき立てても痛くもかゆくもないのだが、「ラ・ブール」での彼女の挑発に幾分乗ってしまったらしい僕の本心は、勉強と勉強の間の小休止(もしくは暇つぶし)程度の知識として、面白半分に森江宏樹の失踪に関与することを決める。
「キスしてあげるよ」
それは別に、どうでもいいんだ。要は簡単、僕が面白いか面白くないか。第一、彼女よりも先に見つけるなんて、そんなことできるわけはないんだから。
さて、僕は考える。
一昨日の森江宏樹の動向。これはもう、和泉紗枝の言ったことでほとんど変わりはないだろう。なにせ、警察手帳に乗っていた情報だ。
森江宏樹は基本的に神経質だから、自分のタイムスケジュールを壊すようなことはしないだろう。聞いた話ではファミレス→レンタルビデオ屋→コンビニとなっているが、この時点でもう二十三時を回っているので、コンビニというのは誰かに誘われたのだろうか。ただ単に気分転換ということもあるが。
いつか五組に行ったとき、森江は前髪をぼりぼりと書きながら英文を必死で呟いて暗記しているのを見たことがある。受験も近いし、今回のテストではほとんど命をかけていたはずだ――だからこそ、あいつの性格からも考えて、妊娠をした年上の彼女と失踪というのは想像に飛びすぎる。というか、彼女がいるということ自体ないだろう。色んな理由を踏まえた上で。
だとすればやはり、何かの事件に巻き込まれたかもしくは交通事故か。交通事故で記憶を失った主人公がどこぞの村の脇の車道で見つかるというようなミステリはよくある。が、これはミステリではなく現実だ。いつだったか知的障害を抱える子供が行方不明になったという通報があり、公園の脇でその子供が遺体となって発見されたというような事件があった。警察が血眼になって探した挙句、捕まった犯人は障害を抱える子供の育児と介護に疲れきった母親だったということだ。あと、中国かどこかでは、行方不明になった少年がどこぞの山村で遺体となって発見された。その遺体というのがまた奇怪で、全身の皮膚及び臓器・筋肉をほとんどそぎ取られた状態で発見された。しかも制服は着たままだというからこれも驚きだ。骨と少しの毛髪だけが残っている状態だったということから、ほとんど骨格標本が服を着ている状態だ。アジアの国における臓器売買ではないかという声も出ている。
僕はパソコンのマウスをぱちぱちと動かしながら、色々な情報を頭の中に詰め込んでいく。これらはあまり役には立たないかも知れないが、百%不要なこともないだろう。少なくとも、三角形の証明よりはずっとずっと。
インターネットで【失踪事件】と打つと一番最初に出てくるのが近頃流行りの例の隣国拉致問題。流行りでもないかな。見つかっていない人は数知れず。日本の王様はもう何代にも渡って隣の国の王様との外交に成功をしていない様子だ。
と、そこで僕の視力も限界を迎え、ドライアイになる前にウィンドウを閉じて霧掛かったようにしょぼしょぼとする瞼を擦る。そして、情報で混乱とする脳みそを整理しながら、手元に置いてあるペットボトルを流し込んだ。
森江宏樹。失踪。事件。拉致? まさか。百%ないとは言い切れないが、その線は考えにくい。
森江宏樹はいくらか悪い仲間とも交流があって、というか、あいつは口が軽くてお調子者だからそういう奴らにも「面白いやつ」と言って受け入れられていたらしい。だからこそ、いくらは悪い諸先輩方にも交流があるという。
「ああ、あるよ」
と言ったのは、森江宏樹と小学校から交流がある石井健太。
「あいつ、六組に山田とか今田とかともよくつるんでんじゃん? だから児島先輩とか志田先輩とかとも繋がりあったっぽいよ。そんな、深くはないと思うけどねー」
と、石井はサッカーボールを蹴り上げた。
志田先輩は、去年卒業して落ちこぼれの目下と噂される淀川高に入学した問題児。今はよくわからないが、去年は廊下で歩きながら煙草を吸ったり校庭の隅にガムを吐いたり気に入らない後輩を締めにかかったりと色々問題を引き起こしたやんちゃなОB。
児島先輩は志田先輩ほどではないけど、夏休み明けに髪の毛を炎のように真っ赤に染め大量のピアスを開けてきて、両親共々生徒指導室に押し込められたやんちゃなОBだ。 今年の三年はそうでもないけど、去年一昨年の三年は荒れていた。それこそ、昭和のドラマの中のように。
僕は、十一月の寒空の下で対して面白くもないようなサッカーゲームに興じながら、頭の中では趣旨の違う知能派ゲームの攻防戦を張り巡らせていた。
サッカーゲームは十一人。僕は出来るだけ周りに見えないような位置に立ち、回ってきたボールをていよく受けて桑原亮二に回す役。運がよければ入れることだってできるけど、今はそんなことどうでもいい。
視線だけの流れるボールを見つめながら、作戦を張り巡らせる。
志田先輩の話は今でもたまには耳に入れる。いくらか性格は丸くなったという話だが、暴走族と繋がっているのは相変わらずで、夜中に布団に潜り込むと聞こえてくるぱらりらぱらりらという音は族の真ん中あたりを走る志田直人の仕事なのだという。本当かどうかは知らないが。児島先輩はどっかの私立校に入学をして、今現在陸上部のレギュラーとして活躍しているらしい。
そこから考えるとなると暴走族の方が可能性が濃いのだが、はたして仲間内で運命共同戦線を結んでいるような暴走族が、たかだかその辺に転がっているプライドが高いだけの子猿に手を出したりするだろうか。しないだろう。少なくとも、僕であったら。
ふっとした瞬間に僕の目の前にボールが飛んできて、無意識的にそれを蹴り返す。ぽーんと軽い音をたてて宙を切ったそのボールは、すばしっこく走りまわる桑原亮二の手に渡り、相手ゴールにいれられる。桑原が「よっしゃー!」とガッツポーズをとったその瞬間、ピーというゲーム終了の合図が鳴り響いた。
次の線。森江宏樹と犬猿の仲である小原哲。僕と小原は二年の時たまたま席が前後して以来、なんとなく親しいようなそんな仲を築いている。それほど親しいわけでもないが。だから僕は、五時間目の歴史の教科書を忘れたことにして(実際は鞄の奥に入れてある)三組から六組へ移動する。滅多なことでは踏み込まない他教室の前できょろきょろと顔を動かして、目当ての人物を確認する。小原哲。窓から二番目の、一番後ろ。
「小原」
僕は小原に声をかける。教科書に隠れておにぎりを食っていた小原は、きょろきょろと辺りを見渡して、それから僕の姿を見つけて手を振った。
「藤崎」
小原哲は僕が教科書を忘れてしまったことを言うと「珍しいじゃん」なとど笑いながらロッカーから薄べったい本を出してくれた。サンキュー、と僕は答える。それからどうでもいいような会話を交わし、僕は、できるだけ何気ない口調でこう切り出してみる。
「そういえば、そっちって今日数学の授業ってある?」
「あるよ。なんで?」
「うちのクラス、二時間目に数学だったんだけど。今日で三日連続数学自習だったんだ」
だからそっちも自習だと思うよ。というのは僕の言葉。その台詞に何を感じたのか、小原哲が少しだけ視線を下げる。僕はもう一歩踏み出すことに決める。
「結構大変見たいだな。捜索作業って」
小原はぐっと肩を強張らせて下唇を噛みしめると、「そうらしいな」と呟いた。それから、壁に寄りかかりポケットに手を突っ込んで不機嫌そうにこういった。
「そんなの俺の知ったこっちゃねぇよ。あいつがノイローゼになろうとよ。年上の彼女と逃げようとさ」
そうして、居心地悪そうに身を捩る。僕は、小原哲の足もとから頭の辺りまで一通り眺めてから「そうだな」といってその話を終わらせる。彼の様子から察するに、どうやら森江の名前を聞くことすらも不快らしい。僕は休み時間終了の合図と主に「ありがと」といってその場を去った。
さて、僕はのたのたと中年の教師が黒板に書きなぐる変形文字を眺めつつ、机の上には小原に借りた教科書を開き、色々なことを考える。
やんちゃな先輩方は多分白。たぶんだけど、その可能性はきっと薄い。小原哲もないだろう。たぶん、おそらく。絶対的に。
僕の情報網とすると、これくらいが限界か――と思う。例えばこれがあの殺人少女だったらば、僕の知らない未知の方向で色々な情報を持ってくるのだろうが。あくまで僕は一般人。普通の中学生で普通の受験生。そもそも、一般人がこんな事件にかかわり合いになろうとするのがおかしいのだ。
聖徳太子。用明天皇の第二子。 十七条の憲法。冠位十二階。
大丈夫。それらのことはきっと警察と、もしかしたら和泉紗枝がなんとかしてくれるだろう。
そういった期待を抱きつつ、僕は小原哲に借りた教科書に赤いマーカーでラインを引いた。
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