第三章 8
映画館を出た僕達は、また同じようなビルとビルの間を歩き続けて、今度こそ華やかなショッピングセンターの前に出て、例の如くどこにでもあるようなハンバーガーショップに足を運んだ。
流石にこの時間帯ともなると、どの席も安い小銭を持ちよった学生たちでぱんぱんになる。三件目のお店でようやく空席を見つけた僕達は和泉に席取りをしてもらい、ようやく食べ物にありつくことに成功する。
レジ前ではまた派手な髪形をした若者が大声で話しながら列を作っていて、ただ注文をするだけで五分以上も時間がかかる。
ようやく二人分のハンバーガーセットを持って彼女の待つはずの席へ向かうと、和泉がなぜか茶色い髪にこれまた派手なアクセサリーをごてごてと山のように沢山つけた二人組の男に話しかけられていて、あれ、知りあいなのかなぁという疑問を抱くのだが、僕の姿を見つけて瞳を輝かせた彼女の様子と、男たちが苦々しい顔でどこかへ散ってしまったことから、それがまったくの検討違いだということを理解する。
僕は、正反対の席で未だ未練たらしくこちらを見ている男たちの様子を見ながら、「知り合い?」と聞く。当たり前のことだが、彼女はけらけらと笑いながら「違うよ」と両手を振った。
「ナンパ。一緒に遊ばないかって言われた」
まいっちゃうよねー、と笑いながらシェイクにストローを差し込んだ。
「ナンパ?」
「そう」
僕は彼女の話を聞きながら椅子を引いて、ハンバーガーの包みを開く。
ナンパ。その言葉自体は決して珍しいものではないはずだが。この、現代社会にそんなものが存在してるなんて。
僕は小さな口を開き、ハンバーガーを食べたり映画の感想を述べたりストローを噛んでみたりと休む暇もなく動き続ける彼女を観察する。
さっきの映画は、あれはよかったけどあの場面はよくなかった。あのキャストはあれで、あの俳優はあの別の映画にも登場しているなど、僕にとってはどうでもいいようなことを延々と語り続ける。
僕は、そんな大した栄養にもならないような雑談を中途半端に聞き流しながら、自分の中に一つの答えを見出した。
「和泉さんってさ」
「……で、あそこの場面が、て、え? なに?」
「和泉さんて、可愛いんだな」
僕が発したその言葉に、それまで絶え間なく動き続けていた彼女の行動が停止する。
和泉紗枝は可愛い。これは多分、うちの学校のほとんどの生徒が知っているであろう、一般常識だ。僕も、それは以前から知っていた。和泉紗枝。校内で有名な優等生、で、美少女。物の話によると、何人もの人間からラブレターをもらっているし、告白だって受けている、らしい。あくまで“らしい”という話だが。
それらの事実は僕も大体承知するようなことばかりだったが、彼女と僕の関係はあまりにも薄すぎて、なさすぎて、「彼女が可愛い」ということが当たり前になりすぎていた。テレビに出ているタレントが綺麗なのは当たり前だし、漫画家の絵がうまいのも当たり前だ。それと同様に、「当たり前になりすぎていた」のだ。
実際こうやって向かい合うと、事実彼女は可愛らしかった。
大きな瞳と、それを縁取る長い睫毛。一つもくせのないような、漆黒のストレートヘアー。ふっくらとした白い頬。文句なしに愛らしい。たぶん、下手なアイドルよりも。 僕は探偵のように腕を組み顎に手を置いて、確認するようにして彼女の顔をじっと見る。 彼女は、片手に食べかけのハンバーガーを持ったまま白い頬を真っ赤に染めて、恥ずかしそうにこちらを見ていた。
「……そうだよな。可愛いんだよな。和泉さんて」
「なんで……」
「全然さ。全然、本当に全然。人なんか、殺しそうに見えないよな」
その一言で、真っ赤に染まっていた彼女の顔色がまた少し変化を遂げる。
普通、ドラマの中での殺人者というものはもっと歪んでいて、淀んでいて。たとえば、顔のどこかに大きな傷が残っていたり。気色の悪い妙な性癖を抱えていたり。
僕の目の前にいる殺人少女は、綺麗だった。それでいて可愛くて、聡明で――神は二物を与えないというけれど、まさしく彼女は二物を与えられているようなものだった。
僕の言葉に、彼女は下を向いて、視線を逸らし、それから顔をあげてゆっくりと微笑した。
「――そう見える?」
本当に、彼女はまるで人形のように綺麗に笑う。僕は彼女の水晶玉のような目を見つめたまま、無言で頷いた。僕の肯定に、彼女が困った表情で歯を見せる。
彼女は食べかけのハンバーガーをトレーの上に置いて、歯型のついたストローを銜えた。僕は手元にあるポテトを2本摘まんで、口の中に放り込む。
「じゃあさ、人を殺すような女の子って、どんな子だろうね」
彼女の問いを聞いて、僕はもごもごと口を上下に動かしながら考える。それから、「わからない」と答えにならないような答えを返す。
「少なくとも、和泉さんはそういう風には見えないよ」
僕のその曖昧な返答に、彼女はまた首を傾けて微笑した。それから、ほとんど空になったらしいシェイクの容器を動かしながら、呟くようにこう言った。
「あの、テレビでお父さん殺しちゃた子いるじゃない?」
「うん。部屋で寝てる父親のこと、包丁で刺しちゃったんだよね」
「あの子もね。普通の子だったんだって」
下を向いたまま呟く彼女に対し、「らしいね」と短く応答する。
日本全国を騒がしているあの高校生は今現在、どこかの家庭裁判所で裁判中のはずだ。
普通に学校へ行き、授業を受けて、家族全員で夕食を食べて、その夜に寝室で寝る父親の腹を刺して殺した。
彼女は、両手で容器にぐっと力をこめて紙容器にへこみを作る。僕は何も言わない。残り数本になったポテトを加え、指先についた塩を舌先で舐める。
「あのね、セイジ」
「なに?」
「わたし、わたしね。……たぶん、セイジに……言わなきゃ、いけないことがあって」
彼女は軽くなったシェイクのボディを両手で握り、黒くて長い前髪を前にたらし、顔を俯かせる。僕の位置から、彼女の正確な表情はよく見えない。もっとも、あまりよい表情をしているようにも見えないが。
僕は、無言で下を向いている彼女から目を逸らし、店の外へ視線を向ける。
外の世界の住人達は、ナイフも死体も関係のない平和な世界で悠々自適な毎日をすごしている。赤い自転車に乗った女子高生が緩いスピードで歩道を走り、手と手を繋いだ母と子がにこにこと童謡を歌いながら買い物袋を揺らしている。僕の後ろと前の席では、流行りの服で身を包んだ学生達が大声で雑談を交わしながら安いハンバーガーとポテトで空腹を満たしていた。
僕だって、それは同じだ。日曜日、私服を着こんで同じ学校の女の子と映画を見て、ファーストフードで安上がりな昼食を取る。何も変わらないんだ。僕と君と、他の人と、何もかも。
僕は考える。
僕は彼女の言いたいことが何なのか大体の想像はつくし、事実その想像は当たっているであろう。そして、僕はその答えを知りたいと思うし僕の立場上、それは知らねばいけないことなのだろう。たぶん、きっと、絶対に。
それは単純な好奇心であり、義務であり、権利だ。
目の前にいるこの女の子は、僕の疑問のすべての答えを持っているし持ち合わせている。理由を知ることは簡単だ――僕が聞けば、この女の子はそれらすべての真実を答えるであろう。
(でも)
今の僕には、目の前で整った顔を俯かせる彼女の肩が、あまりにも細くて小さく見えて。
(今じゃなくても)
例え、それを知るのが今すぐではなくとも。
(きっとそのうち)
そのうちそれは、すべてわかることだから。
僕は反らしていた視線を前に向け、相も変わらず俯いたままの彼女に言う。
「別に、いいよ」
僕の一言で、和泉紗枝が卓上に這わせていた視線を上げた。
「言いたくないんなら、言わなくてもいい」
僕の言葉に、彼女の宝石みたいな瞳がゆらりと揺れた。くしゃっと折れた紙みたいに目元を歪め、苦笑する。
知りたくない、といったらそれはきっと嘘になる。
僕はそれらの理由が知りたいし、知ってみたいと思っている。
でも、僕はまだ聞かない。
僕はなるべく、まっすぐに不安に揺れる彼女の瞳を見つめ返す。嘘だってその嘘をつき通せば真実になる。僕は、そのことを知っている。
彼女は数秒の間、疑いに満ちた目で僕の瞳を見ていたが、納得をしたのだろう。「わかった」と言って形の良い唇を上げた。今にも泣きそうだ。千尋だったら、党の昔に声を張り上げて泣きわめいていただろう。
和泉紗枝はもう一度顔を伏せて、片手でスカートの裾を握りもう片方の手で目元を押さえて背中を丸めた。
「――ありがとう」
彼女は、ぼんやりと呟くように、小さな鈴のような声でそういうと、声も出さずに涙さえもこぼさずに、僕の前でだけひっそりと泣いた。
『ありがとう』
その言葉が一体どういう意味を含んでいるのか、今の僕にはよくわからない。
(それでも)
それでもいいんだ。今は、今はまだ。
(今はまだ知らなくとも)
それらのことは、これから嫌でも知ることになる。
未知の世界への扉は、僕のすぐ隣にあるんだから。
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