第三章 5
学校での僕らの関係は太陽と月の関係で、友人でもない恋人でもないとんでもない秘密を持った間柄だったから、彼女自身もわかっていたのだろう。僕らは自然と誰もいない時に誰も知らない時間を築くようになった。
呼び出すのは大抵の場合彼女からだ――「四時半にラブールに来てください」「五時に第一図書室で」「五時半にラ・ブールに」
僕たちが落ち合う場所というのは大抵の場合あの雨の日に僕が彼女に連れられて行った、鹿の剥製の飾られた廃屋のような喫茶店か、北校舎四階にある日の当たらない雑書庫。
第一図書室にいる場合、僕たちは同じ席に向かい合って座ることが多いのだが、お互いがお互い好き勝手に好きな本を読んでそれぞれ熱中して集中するばかりで、会話らしい会話は何もない。町はずれの喫茶店にいるときでさえ、彼女が一歩的に話す映画やらドラマやらの話を僕が適当に頷きながら聞いているといった感じだ。
古びた喫茶店にいるのは大抵の場合僕と彼女と、愛想のない初老のマスター。「喫茶店ラ・ブール」は雨の日も風の日も晴れの日もどんな日も当たり前のように当たり前に風景の一部に溶け込んでいた。隣で誰かに肩を叩かれなければ気がつかないような、そんな場所。
目の前にあるオレンジジュースを揺らしながら楽しそうに「見たい映画があるの」とパンフレットを広げている彼女に、僕は言った。
「俺じゃなくて、他の友達と行けばいいんじゃないの?」
これは純粋な疑問だ――人気者で優等生の彼女には、映画にでもショッピングでも誘えばついてくるような友達がいくらでもいるだろうしアッシーになるような男だって沢山いるだろう。わざわざ、他の惑星の後ろに隠れて恒星の役割をしているような僕出なくともいいじゃないか。
僕の言葉に、彼女はいくらか不機嫌そうに形のよい眉を寄せて頬杖をついたままつんと唇を尖らせた。
「わたし、こんな辺鄙な映画一緒に見に行くような友達いないもの」
彼女はそう言うと、勅使河原駅の改札口辺りから貰って来たと言ってテーブルの上に置いてあるそれをずいと差し出した。僕は、その薄っぺらい紙をみて顔を顰める。
彼女が持ってきたパンフレットは、中学高校の学生服を着た女の子が見るような甘い甘い砂糖菓子のようなものではなかった。
どちらかというときっぱりとマイナーで、町のはずれにある今にも潰れてしまいそうな狭い映画館で短い期間上映をするような、気味の悪そうなホラー映画のパンフレットだ。それを手に取って簡潔に内容を確認するが、たったこれだけの文章ではうまく内容を把握することができない。
「こういうのが好きなの?」
悪趣味だ。僕は顔に皺を寄せたまま、彼女にその紙を返却する。
「嫌いじゃないよ。そんなに特別好きでもないけど」
彼女は黒い水晶玉に僕の顔を映して首を傾げる。
「なに? セイジはこういうの、嫌いなの?」
僕だって、決して好きじゃない。こんな頭の悪そうな映画。
目線を逸らし、たいして興味もなさそうな顔で野球中継を見物するマスターを観察し、それからオレンジジュースに手をつける。
「和泉さんて、普段と学校とで大分違うよね」
僕の発したその言葉に、僕の目の前にいる殺人少女は丸い瞳をきょとんとさせた。それから、いつものように僕だけに見せる悪戯な光を瞳に宿し、黒くて長い髪をさらりと揺らした。
「そう?」
「うん」
あっさりと即答する。
彼女はうーん、と考え込むようにしてテーブルの上に腕を組むと、ぽんと手を打ってこう言った。
「わたしね、セイジと一緒にいるとすごく楽なの」
「楽?」
うん、と口元にセーラー服の袖を当て、探偵のような仕草をしながら話を続ける。
「ほらわたし、学校で結構気を張ってるじゃない? 張ってるのね」
「ていうか、崇められてるよね。なんか」
「うん。で、周りがね、なんだかすごく頼ってくるっていうか、だからやっぱり気が抜けないっていうか」
でもね、といって口元に当てていた袖をテーブルに下す。
「セイジといるとね、なんか違うの。セイジって、自分では気がついてないかもしれないけど――すごく、すごくね、不思議な人なんだよ。余計なことを言わないの。だから周りからは変な印象を受けやすいかもしれないけど。全部受け入れられている気がするし、逆に全部否定されてるような気もするの」
僕は両手をテーブルの上に置いたまま正面を向いて、呟くように言葉を発する彼女の顔をじっと見る。彼女は、ずい、と数センチ僕との距離を縮めると、
「セイジってさ、友達いるの?」
「……」
「やっぱりね。セイジが学校で楽しそうに話してるとこなんて、一回も見たことないもの」
「……君だって対してそう変わらないじゃないか」
僕の言葉に、彼女は「そうかもね」と困ったように歯を見せた。
「あんな、無理した関係で続けたって、本当の友達なんでいえないもんね」
わたし達、友達いないコンビだねー。と無理やりに笑顔を作り髪を揺らした。僕は、気を紛らわすようにして窓の外へ目を向けた彼女の整った横顔を見つめ、殆ど空になったオレンジジュースの氷を鳴らす。
「いいじゃん、学校で友達いなくても。俺は少なくとも、君のこと友達だと思ってるから。それじゃあ、なんか不満?」
僕のその言葉に、ほんの少し陰っていた彼女の瞳が光を帯びる。それから、白い雪のようなふっくらとした頬に紅を差して、恥ずかしそうにこういった。
「わたし、時々思うんだけど」
「なに?」
「セイジって、もしかして天然?」
「なにが」
「言ってて自分で恥ずかしいとか思わないの?」
「……別に」
要領を得ない僕の返答に、彼女は困ったように顔を伏せた。
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