第三章
第三章 1
大粒の雨はあの日の明け方から三日間降り続けた。
三日目の朝ベッドから抜け落ちた僕の眼には、カーテンの隙間から覗く太陽の光が鮮やかに見えた。
しゃっ――という音を立てて窓の外を除くと、数日ぶりの太陽が眩しいほどの笑顔を見せていた。その光が木の葉に乗った雨水を照らし、きらきらとした宝石のような光が僕の目を眩ませた。
もう一度カーテンを閉めて、安堵だか感嘆だか息を吐く。
洗濯物が干せる。湿りきった布団もふかふかと柔らかさを取り戻すことができるだろう。
しかし僕は、それと同時に言いようのない不満も抱いていた。もう少し、降ればよかったのに。
いくら雨がやんだとしても、たかだか数時間で大量に水気を吸い込んだ地表が乾くわけもなく、学校までの道のりは相変わらずぬかるんで湿っていた。一歩足を動かすたびに、ぐちょぐちょという気持ちの悪い靴の音を立てた。ズボンの裾に泥水の跳ねぬように慎重に踵を動かしたとしても無駄だということを判断し、いつも通り大股で足を踏み出した
コンクリートの上に広がる水たまりと、その上を走る車をよけながら学校までの道のりを歩いて行く。途中、ネクタイを振り乱しながら大急ぎで走っているサラリーマンや、あくびをしながらのったりのったりと歩く高校生とすれ違い、交差する。僕の頭の遥か上に張り巡らされた電線からは雨雲の置き土産がぽたりぽたりと落ちて、路上に小さな跡を作った。少し窪んだ地面には腐りかけた空き缶が入り込み、溜まった水で溺れていた。 そこで僕は、あの公園の裏の裏を思い出す。
――様子を、見てこようか。
そういった感情が沸き起こるが、車が水を跳ね上げたことによりその考えを改める。
腐りかけた空き缶だってこんなにも気持悪いのに、どろどろに溶けた人間の死体なんぞ正視に堪えないものだろう。
学校付近の田んぼでは、朝練を中止していたらしい運動部が活動を始め様々な色のジャージを着た中学生がランニングをしていた。その中には、他の生徒の三倍くらい薄汚い――いや、薄くない。泥水にまみれて汚くなった桑原亮二もいて、うんざりとした表情で走り続ける他の部員に声を張り上げていた。あほくさ。雨上がりのひんやりとした温度に肩をこわばらせ、首の動きだけで空を見上げる。数日ぶりの青天に、小さな鳥が喜びの声を上げていた。
足場の悪い昇降口で滑らぬように気をつけながら靴を脱ぐと、背後から「おはよう」という女の子の声が聞こえた。折り曲げた腰を上げると、今度は白いカーディガンを羽織った和泉紗枝がぱんぱんに膨れた鞄を持って佇んでいた。
「おはよう」
僕はそう言って泥水の跳ねた靴をしまい上履きを床に落とす。
和泉紗枝は、何かを含んだ笑いを浮かべてこういった。
「今日は晴れたね」
「うん。足元ぐちゃぐちゃだけどね」
僕の返答に、和泉が小首を傾けてまた笑う。それからまた、何か言おうと口を開きかけた瞬間に、廊下の奥から「紗枝ー」という声が聞こえてきた。河内麻利だ。殆ど関わったことのない癖に覚えてしまった。河内麻利の声は他の女の子に比べて一際かん高くうるさい。
和泉は声のした方向へ「はーい」と返事をすると、スカートの裾を翻して「またね」といって右手を振った。それに僕も振り返す。が、彼女はそれを見ていないだろうが。
さて、教室へ行こうかと足元に置いていた鞄を手に取った瞬間に、また後ろから肩をつかまれる。
「藤崎くーん、おっはよー」
石井か。本当にこいつは鬱陶しい。
僕はそいつの手を振り払い、足を踏み出した。
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