第98話 メッセージ
「はぁ、参ったな…」
「シロさん…」
「いや、大丈夫… 怒るに決まってるさ?怒って殴られるうちはまだいいんだけどさ?」
昨晩、深夜の内にスナネコちゃんを船で送ってきた。
クロが怒るのは当然の流れなんだ、だから俺は殴られようが罵られようが黙って受け入れることにしていたし、覚悟もしてた。
だけど… だけどさ…。
「君と同じような顔で泣かれるとさ?ちょっと堪えるんだ…」
妻と似てるってだけではない、息子にあんな辛い目に逢ってほしいと願う親なんていない… 俺じゃあるまいし、もっと普通に幸せになってほしい。
これはクロだけではない、ユキにも同じように言えることだ。
「僕が行ってきます、シロさん眠ってないから疲れたでしょ?休んでてください?」
「うん、お願い…」
妻の腕にあるラッキーには彼女からクロへメッセージが残されている、本当は俺からクロに一部始終説明してからそれを聞かせてやりたかったけど、ここはとりあえずかばんちゃんに任せることにする。
妻に言われた通り少し眠った方がいいかもしれない。
…
あの晩、スナネコちゃんが部屋に来たときのことだ。
妙な時間に訪ねてきたと変には思ったんだ、それにてっきりクロといると思ったから一人で俺達の元に来たことを不思議に思っていた。
そしてその時彼女は言った…。
「二人に大事な話があります」
俺はクロがなにかしたのかと思ったんだ、クロはしっかりしてるがまだ若い… いざ恋愛となると気持ちを押し付けたりして困らせたりするかもしれないと心配はしていた。
だが彼女はむしろ自分には勿体ないくらいだと言って俺達に悲しげな表情を見せた、あの夜は… 彼女にしてはハッキリと表情を見せた夜だった。
「聞いてください… ボクは」
俺も妻も、何を言い出すのかと息を飲んだ。
そして続く言葉に思わず言葉を失った。
「ボクはキョウシュウを出ます、これからはツチノコといようと思うんです…」
はぁ…?
とこれが始めに感じた気持ちだった、キョウシュウを出て… ゴコクに暮らすって?なんで今更そんなことを?
「ちょっと待って?クロはどうするの?」
「置いていきます」
「えぇ…?おかしいよそれ!じゃあなんでクロのことを?」
「去年シロたちがゴコクに遊びに行くのにボクも着いていったときです、あとの時から決めてたんです、その分だとツチノコからなにも聞いていないみたいですね?」
彼女はずっと前からそのつもりでこの一年近くをキョウシュウで過ごしていたそうだ、ツチノコちゃんを待ってキョウシュウにとどまっていた彼女がそれを決めたのには理由があった。
「ツチノコはゴコクを出て旅に出ると言いました、だからキョウシュウには帰るつもりはないとボクに言ったんです」
「なんだって!?」
「嘘… じゃないみたいですね?」
俺も妻も初耳だった、もしかしたら先生は聞いていたのかもしれないが、それでも俺達が聞かされてないのは口止めされていたのかもしれない。
“一緒に来るか?”
ツチノコちゃんは彼女にそう言ったそうだ。
そして特に未練もなかったスナネコちゃんは二つ返事でイエスと答えた、だがツチノコちゃんによく考えるように言われてもう一年の猶予ができた、その猶予とはまさに去年から今年の話だ。
「ついこの間までボクの心は変わりませんでした… でも、そこでクロと会ってしまいました」
前からクロのことはやけに気になってはいたそうだ… ただ、年に何度も会うわけではないしこの際ふっきれてキョウシュウから離れようと思っていた。
なのに、予期せぬパターンでクロと再会してしまったその時、やけに悲しげなクロの瞳を見たその時…。
「なんだか胸が締め付けられました… 顔を見れば何か悩んでるのはすぐにわかったんです、そしてそれがサーバルのことだというのも話す内に気付きました… あんなに小さな頃から今も変わらずサーバルに気持ちを向けているんだと健気に感じたのと同時に思ったんです、それならボクじゃダメかな?って」
どこか影のあるところに母性みたいなものを感じて助けたくなったのかもしれない、クロもユキも彼女にはよくなついていたから。
そこで二人は成り行きだがロッジで同じ部屋に泊まり、その晩眠れずにボンヤリ空を眺めるクロに意を決してサーバルちゃんに告白することをけしかけたそうだ。
じゃあ、初恋を終わらせにサバンナに来たのはスナネコちゃんが言ったからだったのか… とこの時初めて知った。
「勿論悩むクロの顔を見てお節介みたいな気持ちもありましたが、ボクは自分に都合が良くなるようなことを言ってしまったと後で後悔しました、どうせ此所を離れるのに…」
既にキョウシュウを離れることは決めていたしツチノコちゃんにも言ってあったことだ、今年ゴコクに行くとき一緒に船に乗りそのまま帰るつもりは無かった… そういうことだろう。
故に、彼女はとっさに思い付いたことをクロに提案したのだ。
「だからボクは勝てるはずのない賭けで勝負に出ました」
雨季で曇り空のロッジで言った。
月がでたらサバンナへ、でないならせめて自分が慰める役割を担いたい…。
雨季が始まったことは彼女も知っていた、なのでこの空で月が見えることはまずないとその時ロッジにいた誰もが思っていたことだろう。
ただ、あわよくばとは思っていたらしい。
そしてその時だ、なんと月が出てしまったのだ。
「どーせ勝てるはずはないし朝一番でクロとは別方向に進もうと思ってたんです、これ以上一緒だと決めていた意志がゆらいでしまうと思ったので…
でも月が出てしまいボクは勝ってしまいました、そして約束通りクロの失恋のために一緒にサバンナへ行くことになり、しかも翌朝から大雨で数日同じ部屋で過ごすことになりました」
運命かな?
なんて、まるで天が自分をクロとどうにかさせようとしてるとまで感じたそうだ、それから一緒に曲を作ってるときも息のあった演奏と歌につい胸が踊った彼女は、そのままどんどんクロに惹かれていった。
「本当はサバンナで助手とどーこーって話を聞いている時も心中穏やかではありませんでした、ヤキモチです…」
「確かあの時は君から世話を焼いてるだけだと聞いたけどね?」
「この気持ちを認めてはいけないと思って意地を張ってただけです…」
一晩中傷心のクロを慰め、そしてその翌日気分転換に高山のカフェに二人で訪れた時のことだ。
「ボクはとてもズルいことをしてクロを騙していました、なかなか抑えが利かなくてクロを自分のものにしようと自分勝手に行動してました」
サーバルちゃんとの恋を終わらせて傷心だったクロに優しくしていればすぐに自分のとこに来てくれると確信していた彼女。
でもそんなことをして最低だと感じたのと同時に、ツチノコちゃんとの約束もしっかり守らなければとある決断をした。
「このままじゃいけないって今度こそ別行動をとろうとしたんですが」
「何て言ったんですか?」
「クロのことを好きな子がいるなら、クロはその子といてはどうかと提案したんです… そうすればボクが少し胸を痛めるだけでキョウシュウを出れます、クロだって後腐れないです… でも、結果はこの通りです」
この時知ったんだが、助手はクロに恋心を抱いてたらしい。
「なんか随分モテるんだなクロ…」
「フェネックもそうです、そもそも家出の原因です」
「な、何があったかは… 聞かないでおきましょうか?シロさん?」
「せやな…」
さておき、この時クロは彼女の提案に対し怒りを露にしたそうだ。
なんでも、自分が好きでもない子と一緒になってその子をサーバルちゃんの代わりにして、そんなことして本当に幸せになれると思ってるのか?って。
「その時クロの方から別行動しようと言われましたが、あんなキッと睨むような目を向けられた時にクロに嫌われるのが怖くなってしまってつい引き止めてしまいました… あのまま別行動すればよかったのに、そうすればクロを傷つけることなんてなかった… ボクがただクロに幻滅されて後腐れなく旅に出ることができたのに…」
物事はそう簡単にはいかない、彼女はクロを求めることを我慢できなかった… 振り向いてほしかったんだ、サーバルちゃんのことは自分が忘れさせてみせるからこっちを見てほしいという気持ちを止められなかった。
抑えられるはずがない、人を好きになるってそういうものだと思う。
「そしてお酒の力を借りてダメ元でクロに全て打ち明けたんです… そしたら驚きました、クロもボクと一緒にいたい、ボクじゃなきゃ嫌だって言ってくれたんです。
ボク、嬉しくて?そしたらもうお互い止められなくなっちゃってそのまま…」
は、初体験か…。
でもそうなると互いを求める気持ちは止められない、俺もよく知ってる。
恐らく誰が悪いってわけではないんだ、この件は…。
「ボク最低なんです、ずっと一緒にいれる訳でもないのにクロとのこと我慢できなかった… こうなったら開き直ってキョウシュウ最後の思い出にしようと思ってました…」
「行かなければいいじゃないか?ツチノコちゃんには俺からでも…」
「シロはそうやって、またツチノコを一人にする気ですか?」
それは俺にも妻にも、グッと胸に刺さる言葉だった… つまりこの件は決して俺も無関係ではないということだ。
俺とかばんちゃんが一緒になることでツチノコちゃんは身を引いた。
そういう性格なんだ彼女は、ゴコクに残るのも俺と距離がとりたかったのもあるかもしれない。
そしてそれが原因でスナネコちゃんはツチノコちゃんと離れることになった。
「ボクも意地張ってないでゴコクに残ればよかったのですが、ツチノコは始めこっちに帰ると言ってたし… でもあの夜に見た流星群はいつまでたってもその願いを叶えてくれません」
彼女は「またツチノコと流星群が見れますよーに」と願ったそうだ。
確かにこのままでは叶えるどころか永久に会えないようになってしまうだろう。
ツチノコちゃんはここに帰るつもりはないのだから。
「ボクはもう、ツチノコを一人にしたくありません!かと言ってクロを連れていく訳にもいかないんです!ツチノコのことだから気を使ってまた一人なろうとするでしょう?でもツチノコからボクに“来るか?”何て言うの初めてなんです!だから…」
だからそんな彼女の元に、君は行かなくてはならないと言うんだね?
この時、彼女もまた選択を迫られた…。
古くからの友人か愛する人か。
「ボクだって何度クロとの生活を望んだかわかりませんよ?クロと一緒ならどこか一ヶ所こに留まって暮らすのもいいかな?って思えますよ?クロさえいればボクはどこにいても幸せです、でもそうすることでいつかツチノコが一人っきりの誰も知らないとこでひっそりと死んでしまって、ボクはその時そのことに気付くことも悲しむことさえもできないなんて嫌なんです!」
「「…」」
もう俺達からは何も言えない、そこまで言われたら俺達に彼女を止める権利なんてもうなかったんだ。
黙って行かせるしかない、ツチノコちゃんの孤独は俺が始まりでもあるのだから。
だから俺は答えた…。
「わかった… 俺達は何をしたらいい?」
「ありがとうございます、急ですが明日のライブが終わったら夜クロが寝てる間にボクをゴコクに連れていってくれますか?」
「そんな!そこまでして急に行かなくてもいいじゃないですか!」
妻が思わず声を荒げている、気持ちはわかる、俺も同じことを言いたい。
だけど…。
「これ以上一緒にいたら、ボクはもうクロから離れられなくなってしまいます…」
彼女の気持ちも、俺にはよくわかる。
「サヨナラも言わずに行く気ですか?」
「できません… 何も言わずに、顔も見せずに行かせてください?酷いことをしてるのはわかってます、でも当日クロと面と向かってサヨナラなんてできません、クロの顔を見たらボクはもう… そこから動けません…」
息子のことを思えば俺は誰に何を言われようが彼女を止めるべきなのかもしれない、このままこっそりクロに告げ口することだってできるんだから。
でも… ツチノコちゃんのこと言われたら俺には何も言えない、何もできない。
バチが当たったのかもしれない、ツチノコちゃんを大きく傷つけたから俺ではなく息子が同じような目に逢うっていう罰だ。
神様のイタズラとかいうやつなら、惨いことするなって感じ。
それから少しの沈黙の後、妻が口を開いた。
「わかりました、じゃあクロに伝言を残してください」
「伝言?」
「はい、ラッキーさん?いいですか?」
「任セテ」
妻はラッキーを台の上に置き、スナネコちゃんはそれを不思議そうに眺めていた。
これは所謂そう、ビデオレターというやつだ… 俺もやったことがある。
「じゃあ、お願いしますラッキーさん」
妻の言葉を聞くとピピピと音が鳴りラッキーはおとなしくなった、スナネコちゃんは撮影が始まってもよくわかっていないのかジーッとそばでラッキーを眺めている。
「本当に撮れてるのですかぁ?」
「大丈夫です、話してください」
「はい…」
スナネコちゃんが話し出すのを確認したら、俺達は何も言わずに一旦部屋を出た。
一人じゃないと話しにくいこともあるだろう、でもドア越しの彼女の声はいつも通りの声だった… 今のところはだが。
…
“『クロ…』”
「スナ姉?」
目の前にはラッキーに写し出されたスナ姉の姿がある、半透明で触れることはできない、なのに僕は返事をしたり手を伸ばしたりしている。
“『いきなりいなくなっているので驚いたと思います、だから先にそのことを謝ります、ごめんなさいクロ…
理由はキョウシュウを離れてツチノコのとこに行くためです、本当は次のクロとユキの誕生日に一緒に着いていってそのまま向こうに移ろうかと思ったのですが… 急ぐ理由ができました、それはクロのことをあまりにも好きになってしまったからです、ボクのこの気持ちに嘘はありません、それは信じてほしいです
でもキョウシュウを出るのは前から決めていたんです、なのに欲張りなボクはもっとクロに近寄りたくて我慢できずに深い関係になってしまいました、こんな悪いボクを許してほしいなんて言いません、恨まれるのは覚悟してます…
実はキョウシュウにはもう帰るつもりはないんです、ツチノコがゴコクを離れていろんなエリアに行きたいそうなので、旅にでる話を聞いたとき「来ないか?」と誘われていました、これは去年のことです… ボクはツチノコを一人にしたくないので、その時に「はい」と答えました
なのに… ボクはクロに夢中になってしまいました、ボクはいけないとわかっていてもクロと一緒にいられるのが嬉しくて何度も甘えてしまいました、だから悲しませるのは承知の上でしたがクロにもせめてたくさんの幸せを感じてもらおうとクロが喜びそうなことはなんでもやろうと思いました
上手くできてましたか?クロが嬉しそうにしていたら、ボクも幸せでした… ボクはクロに沢山幸せをもらいましたから
多分ボクはライブの後たくさんワガママ言ってたでしょう?キョウシュウの最後の思い出に、心も体もクロでいっぱいにしてほしくてあんなことを言いました… その時クロも満たされてくれてると嬉しいです
クロ?ボクのワガママで、優しいクロはとても悲しんでいますよね?本当にごめんなさい、どうかこんな最低なボクのことなんて忘れてください… クロのことをもっと大事にしてくれる子はたくさんいるはずです
もう… ボクたちのゴールは別々の場所にあります、だからどうか… 幸せに』”
…
メッセージはここで終わりだ。
案外淡々としゃべるんだなって思った。
「そう、キョウシュウどころかゴコクからも離れるんだ?ツチ姉も一緒に… 始めから僕とずっと一緒にいる気なんてなかったんだね?はぁ… 僕さ、本当に一人でバカみたいだったね?」
思えばみんなに報告したいって言ったときも浮かない顔してたし、ライブの前は泣いていたのも僕に対して罪を感じてたからかな?そして昨晩はそれの償いみたいなもので、僕はまんまと満たされたわけだが…。
「いいよラッキー、もういい…」
「…」
「なんだよ、返事くらいしろよな…」
無視するラッキーに小さく文句を言ったその時だった…。
“『ボス… もう済みました、ちゃんと伝えてくださいね?』”
なんだろ?切り忘れ?
少しの沈黙の後、またボクの耳に彼女の声が響く… いや変だな、映像は切れてるのに。
“『もう… 聞こえてないですよね?』”
周囲を気にしている、恐らく父と母は一時的に席を外しているんだ… でもラッキー、なんで?誤作動?
でも次の言葉でラッキーのことなんてもうどうだってよくなった。
“『じゃあ、もう泣いてもいいですか…?』”
嘘… スナ姉?なんで泣いて?
“『グスン… やだぁ… クロぉ…?離れたくなんかないですよぉ?こんなに愛してるのに… でもボクはツチノコにも会いたい、もうツチノコに一人で置いていかれたくないんです… じゃあボクは、どうしたらいいんですか?』”
どれだけ泣いてるかなんてこの声だけ聞けばわかる、このことで昨晩なぜあんなにも泣きながら僕を求めていたのかわかった。
「スナ姉っ!?待って…!続きは!」
「メッセージハ ココマデダヨ」
「なんだよそれ!」
悩むくらいなら行くなよ…!
僕の気持ちは無視か!だったら…。
僕だって。
僕だって…!
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