第90話 傷心

 もっとさっぱりとした気持ちで歩き出せると思ってた。


 だけど…。


「クロ、忘れ物ですよ?」


「スナ姉?僕変なんだよ…?」


「変なんかじゃありませんよ、とても大事なことに終わりを告げたんです、そうなるのは当たり前のことです」


「だって… だってさぁっ!」



 僕は、クロユキ…。

 さっきまではクロちゃんって呼ばれてた。



 僕は彼女の家には戻らず反対方向に歩きだし、まっすぐとジャングルちほーのゲートを目指していた。


 状況を知っていたのか後ろからスナ姉がギターを持って追いかけてきてくれたが、正直今は何か考える余裕が無く、ギターなんてどうでもよかった。



 ただこの場から消えてなくなりたかった。

 


 だって…。



「涙が止まんないよっ!わかっていたことなのに!終わらせに来たのに!どんどん悲しくなって… 僕これからどうしたらいいの?教えてよ!もう、わかんないよ…っ!」



 だって涙が止まらない。



 こんなに悲しい気持ちにはなったことがない、こんなにも悲しいのだからきっと終わりなんてない永遠の悲しみなんだ。


 それが言い過ぎだとしても僕のこの片想いは10年以上のものであり、それがついにここで終わったのだからその悲しみが同じように10年以上続いたっておかしくはない、悲しいことってきっと楽しかったことの倍は続くってそんな気がしているんだ。


 でもスナ姉の言う通り、これは必要なことだったんだと思う。


 終わりのない叶わぬ恋に永遠に悩まされるより、どんなに辛くても終わらせて前に向かって歩いた方がいい。


 わかってるんだ僕だって。


 でも、こんなに辛いなんて…!



 その時、スナ姉が言った。



「多分、どうもする必要なんてないと思うんですよ?」


 どうしたらいいの?

 という問いに対する答えだろう、スナ姉は背を向ける僕に向かいまっすぐに話しかけていた。


「なぜ?」


 とそう聞く僕がそのまま背を向けているにも関わらず、スナ姉はそれに文句も言わず理由を話してくれた。


「悲しいに決まっているじゃないですか?どれだけ長い間サーバルを想い、幸せを願って気持ちを押し殺していたのですか?それは自分が一番知っているでしょ?」


 わかっている、本当に本当に長かった。


 こんなに長いのなら、僕の人生そのものと言ってもいいかもしれない。


「それほど大きな想いを終わりにしたんです、相手が好きならそれだけそれが辛くなるのも当然だと思いませんか?そんな風に涙が出るのはサーバルのことをそれだけ本気で好きだった証拠なんですよ?大きければ大きいほど悲しみも大きく、涙も沢山出るんです」


 スナ姉は側に寄ると優しく僕の背中を撫でてくれた。


 それがスイッチにでもなっていたのか、僕は我慢が利かなくなってしまい、大きく大きく声を張り上げて泣いた。


「いいんです… いいんですよクロ?こういうときのためにボクが着いて来たんです、ボクが受け止めてあげますから?今は気が済むまで泣いてください?」


 スナ姉は僕を包み込むように抱き締めて頭を撫でてくれた。

 それは温かくとても柔らかくって、傷付いた僕の心に十分な安心感を与えてくれる。


「スナ姉…」


「なんですか?」


「しばらく、甘えてもいいかな?」


「ボクなんかで良ければ好きなだけ甘えてください?」


 飽きっぽいはずのスナ姉はその夜一晩中僕を慰め続けてくれた。

 そのうちに泣き疲れてしまったのか、僕はそのまま彼女の胸での中で眠ってしまった。



 背も伸びて少しは大人になった、みんなに追い付いてきたってそう思ってたんだけど。


 今回の出来事は、やっぱり僕ってまだ子供なんだなってそう自覚せずにはいられない出来事だった。


 でもこれを乗り越えることで少しだけ大人になれそうだって確信はある。


 かと言って、今の僕にはこれを乗り越えられる自信はない。


 

  僕は、弱い。






「クロ? …眠ってしまいましたね」


 彼女、スナネコは眠ってしまったクロユキを起こさぬ様に膝枕をしてやると再度彼の頭を撫でた。


 寝顔は穏やかで安心しているように見えるが、彼の心中は穏やかではないだろう。

 言い聞かせても言い聞かせても悲しくなりやがて掻き乱された心に翻弄されまた涙を流すことになる。


 瞼は腫れ、鼻をすすり、声をしゃくり上げ、そして泣き叫ぶ。


 彼にとってサーバルとはそれほどまでに心に根付いた存在だった。


 サーバルは好き嫌い以前に彼が産まれる前から母親の横で声を掛け元気づけていた女性、そんな彼女は彼にとってはもう一人母親であり憧れの女性でもある。


「クロ… よく頑張りましたね?でもけしかけたのはボクです、だからクロが元気になるまでボクはクロから決して離れませんよ?ボクが必要な間は、好きなだけ甘えていいですから?必ず乗り越えましょう?大丈夫、クロならできます、素敵な恋だってできますよ?クロが元気に… 元気なるまでは側にいますから…」


 この夜は彼女にしては表情がよく動いた日だった、そんな夜に眠る彼を見て彼女は一度手を止め言い掛ける。


「もし… クロがその気ならボクが…」


 その時、彼女はハッとして彼から目を逸らした… そしてまた髪を撫で始め自分に言い聞かせる。


「ダメ… ですね?ボクでは勤まりません、だって…」


 もしも彼が自分と愛を育むことを望んだら、それならそれで彼女としても断る理由はなかった… でもそれはできない、彼女には勤まらない理由がある。


「いいんです、こうして少しでも支えになれるなら、ボクはそれで満足なんです…」


 誰にも見られてはいないし聞かれてもいないが、この時の彼女はいつになく寂しげな表情を彼に向けていた。









 翌朝、僕はスナ姉の膝の上で目を覚ます。


「え!?あぁ!?なにこれ!?」


 わかった、僕はスナ姉に膝枕されてて寝落ちしたスナ姉が僕に倒れ込んでいるのか。

 客観的に見るとなかなかシュールなことだろう、状況としてはスナ姉がスースーと寝息を立てながら僕の顔に胸を押し付けている、やぶさかではない。


 …っていうか。


 昨日失恋して慰めてもらったんだっけ?はぁ… そうだ、そうだったね?思い出したらまた悲しくなってきちゃったよ。


 ありがとうスナ姉。


 いや、でもダメだ!スナ姉にいつまでも甘えてられないよ。


「スナ姉?起きて起きて?苦しいよ?」


「Zzz …」


 起きないなぁ、しばらくパフパフされてろってことだろうか?それは困るんだよなぁいろいろと…。


 そんな茶番を繰り広げていた時だ。

 サッ サッ と草を踏む音がした。


 どうやら誰か僕たちに気付いたようだ、この状態は気まずいだろう、僕らだけでなくきっとそれぞれに気まずい理由があるだろう。


 もしかしてサーバルちゃん?


 って… だったとしたら何だって言うんだ、見られて誤解されたところで誰が困るって言うんだよ?


 いいやもう、はいはいって適当に返事してればさ?昨晩に比べればまぁマシだけど、こうして少し自暴自棄になってしまうのはあんまり変わんない。

 

 いいんだもう、こうしてスナ姉に埋もれてると温かくて安心するし柔らかくて気持ちいいし耳も触り放題だ、やったぜ。


 って言っても、あんまりそういうことする気分にもなれないのだけど…。



 足音の主は僕の側で止まると「ふーん…」と冷静に状況を判断してから声をかけてきた。


「スナネコと… クロで合ってますわね?」


 この声はカバさんだ、そうか夜の内にそんなとこまで来てたのか、ということはゲートはすぐそこだ。


「おはようカバさん、そう僕だよ」


「何してますの?」


「何も…?朝起きたら埋もれてたんだ」


「そう…」


 小さくため息をつくとカバさんはひょいっとスナ姉を持ち上げて僕を引っ張りだしてその場に座らせた、本人はあまり見せたがらないけどすごい力だ、スナ姉はその場に放置されうつ伏せに寝息を立てている。


「あら?クロあなた… ひどい顔してるのね?何かありましたの?」


「なんでもない」


「その顔で言うとなんでもあるときの言い方になるのよそれ?まぁ、話せないようなことなら無理には聞きませんわ… でも、恋の悩みかしら?違いまして?」


 そうか、僕って本当に顔に出やすいんだな。


 だから開き直って僕ってそんなにわかりやすいの?って素直に尋ねてみた、カバさんはなんでも知ってるサバンナちほーの母だと父から聞いている、この際相談しちゃおうか?なぜなら皆なにかあったときサバンナで誰を頼る?皆もちろんカバさんと答えるだろう。


「わかりやすいというよりは…」


 少し目を細めて何か昔のことを思い出すように遠くを見ている…。


「かばんと同じなのよ、あなたのお母さんが恋に悩んでる時と同じような顔をしてたから、もしかしてと思ったの」


「ママと?」


 顔が似てるのはわかっていたが母も同じような苦しみを味わったということかな?


 あれ?でも初恋は父で見事成就したって、前に父は母にフラれたとかよくわからないことも言ってたし。


 あれ?母が悩む理由は?


「聞きたい?」


「ん~… うん」


 僕の表情で察したのか両親の馴れ初めを聞かされることとなった、ただしあまり事細かに聞くとさすがに少し複雑な気分になってしまうのでざっくりでいいと伝えておいた。


「私も現場にいたわけではないし、噂の一人歩きなところもあるかもしれないのだけど」


 と前置き、カバさんは話し始める。






 かばんはその時ロッジにいたそうよ?確か少し前にハロウィンパーティーをしてそのあとからだんだん元気を無くしていったって、なんでも何か“見てしまった”らしくてそれが理由らしいのだけど、それがなんなのかまでは私は知らない… でも恋の悩みと言うくらいだからきっとあなたのお父さんに関することだと、私は思う。


 それで食事も喉を通らず一日中泣いてばかりだったかばんの元にシロが飛んできたそうよ?あら?“落ちてきた”だったかしら?まぁいいわ、とにかく来てくれたのよ。


 かばんはまさか来るはずもないと思っていた彼を見て驚いて何も言えなくなってしまったらしくて口をパクパクさせてたって、この時は既に両想いなのよね。


 そしてシロはそこで、かばんに向かい所謂告白をしたそうよ?確か内容は…。

「俺のせいで辛い思いをしたでしょ?俺はかばんちゃんが好きだよ、大好きだ」みたいなこと言ったんだったかしら?あらあら?そんな顔しないの、素敵な話でしょ?


 それからどうなったと思う? 


 …いいえ、違うわ。


かばんは彼をフったのよ?なんでも「自分は悪い女だからあなたの隣に相応しくない」という理由なんだけど、息子のあなたにはそれがどういうことかわかるかしら?


 わからない?理由はヤキモチらしいわ?


 彼を独占したくなってみんなに対して嫌な気持ちを向ける自分自身が嫌で仕方なかったそうよ?それで彼をフったかばんは一度サバンナに帰ってきた… 今のあなたはその時の彼女と同じ顔をしてるの、だから恋の悩みじゃないかと思ったのよ?


 続きも聞く?構いませんわよ?


 それから数日後に彼が猛スピードでサバンナに現れたわ、土埃を上げながらね?あれには参りましたわ…。


 そして彼は彼女にもう一度告白したのよ?


 たしか「自分はそれでも構わない、それでも君と一緒にいたい、君が好きだから… 君はどうだ?」こんな内容だったかしら?


 またそんな顔して… ご両親の馴れ初めよ?そうしてあなたたちが産まれたんだからそんな嫌そうな顔しないの!


 まぁそういうことがあって、今度は見事二人は結ばれたそうよ?翌日すぐに私の所に自慢に来てましたわ、まったく…。








 ふーんそう?ざっくりでいいって言ったじゃん!やれやれ、でもそうか。


 父も母も大変だったんだな?どーりで絆が強いわけだよ。


 カバさんの話が終わると後ろからゆっくりと足音が近づき、そして僕らの話に参加した


「かばんがハロウィンで見たのは森の中でツチノコにデートを申し込むシロですよ」


 え?と思い振り向くと寝ていたはずのスナ姉がこちらに歩み寄る最中だった。


「あらおはようスナネコ… そうでしたの?なんでそんなことになってたのかしら?」


「おはようございます… なんでもシロは当時恋心をよくわかってなかったそうですよ?かばんとツチノコ両方と一度デートしてより心に強く残る方が本命だと思っての行動だったそうです、タイミングが悪かったですねぇ?神様もイタズラ好きみたいです」


 パパってツチ姉とママで悩んでたわけ?え?それなのに今も仲良くしてるんだ?へぇ~?そんなこともあるんだ…。


「シロはかばんを選びましがツチノコとは親友ですからね~?二人とも割りきった関係なんですよ?それにツチノコはクロとユキのことも好きですから?」


 スナ姉の話を詳しく聞くと。


 ツチ姉はその昔いろいろあった父をよく支え助けてあげていたそうだ、予定通り父とデートに行ったときに僕と同じように玉砕目的の告白をしたって。


 なのに、ああして仲良くしていられるの?


 素直にすごいなぁ、今の僕ではとてもそんな精神力は無い、僕も綺麗に終わらせたつもりだけど。

 

 なんかやっぱり、しばらく彼女の顔は見れそうにない。



「励みにはならなかったと思うけど、悩みは解決しそうかしら?」


「んー… ただ僕が立ち直ればいいだけなんだ?ありがとうカバさん、父も母も若い頃苦労しんだんだと思うと、今の僕にもこれは必要なことなのかなって思えてきたよ」


「難しいでしょうけど、あんまり塞ぎ込んではダメよ?」


「うん…」



 僕はそのままカバさんの元を離れゲートを目指した…。


 スナ姉がついてきていなかったのに気付き少し離れたところから後ろを振り替えると、カバさんと何か話している風だった… なにか女性同士で話すことでもあったのだろう、僕は立ち止まり彼女が来るのを待った。




 



「あなた、彼をどうしたいの?」


「どう… とは?」


「だってあなた…」


「クロが傷付いてしまったのはボクがそうなるようにけしかけたからです、でもそうしないとクロはこの先ずっと前には進めませんでした… 後は乗り越えるだけですが、でも今のクロを放っておくわけにはいきません、だからせめて乗り越えるまでの手助けをしたいんですよ」


 スナネコはいつもの顔をしてそう口では言うが、カバの目には何か別の想いを胸に秘めている… そんな風に見えていた。

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