第79話 きもち

 僕はクロユキ、みんなはクロと…。


「ちゃんとこっちを見てよクロくん?」


 クロくんと呼ぶ人もいる。



 状況を整理しよう、相談があると言って地下室に来たフェネちゃんは僕の上に覆い被さりその大きな耳に僕の手を誘導した。


「あ、あの… 耳、嫌なんじゃ?」


「忘れちゃったかぁー… ずいぶん前のことだもんねー?嫌なんじゃないよ?クロくんに触られると、感じちゃうんだよ?だからダメって言ったの」


 あ!あー!そういえば…!


“私のこの大きな耳がぁー?感じてしまうのさー?”


 って言ってたかもしれない!


 今ならよくわかる、その言葉の意味が!

 つまりフェネちゃんは耳が弱いのだ、大きなお耳なのにそこが弱点ということだ、弱点剥き出しなんだよ。


 いやしかし、こんなの良くない…。


 例えば彼女の言う通りサーバルちゃんのことが辛くてこの気持ちを別の子で慰めてもらったとしても、それはたとえその子がそれでいいと言っても関係として良いものではない。


 飽くまでサーバルちゃんの代わりにしかならないし、そんな関係に甘えてばかりでは一生前に進めない。


 だから彼女の好意に甘えて“都合の良い”関係になるというのは僕自身が許せない、僕はそこまで弱いつもりはない。


 尤も彼女がどういうつもりで僕にこんな風に迫っているのかはわからない、言い様から察するに僕を本気で愛していてこんなことをしてるわけではない… そんな気がする。


「どうしたの?お耳は飽きちゃった?尻尾の方がいい?」


 そういうと彼女は自慢の尻尾で僕の顔をこちょこちょとくすぐってきた、これはなかなか理性を試される。


 このまま抱き締めて、逆に押し倒して耳も尻尾も余すことなく堪能してしまいたいというのは否定はしない。


 僕は彼女が嫌いな訳ではない、正直ツボを押さえている女性ではある。

 しかし、だからといって欲望に負けていい理由にはならない。

 

 だから僕は言う。


「フェネちゃんやめようよ?こんなの良くないよ?」


「どうしてー?クロくんはやっぱり私じゃ嫌かな?」


「そ、そうじゃないけど… でもやっぱりダメだよ?お互い気持ちが別の方を向いてるのにこんな… 体だけみたいな」


 よく言った、僕はよく言った。


 本なんかじゃこのままズルズルと… って展開もよくあるし、そうなるといよいよ僕はまともな恋愛ができなくなるだろう。


 でもそんな僕の鉄の意思を壊してしまいそうな返事が僕を待っていたのだ。


「クロくんはそうかもしれないけどさぁ?」


 少し悲しい表情をしたと思ったら彼女はまた僕の手を優しく引き、今度はその胸に誘導してきた。


 僕の手のひらに ムニ… と柔らかい感触が伝わった。


「へぇ!?あぁちょっと!?///」


「ほらわかるでしょ?こんなにドキドキしてる… 私はクロくんのこと満更でもないんだよ?実は…///」


 柔らかい、とても柔らかい実に柔らかい。

 

 しかももっとよく触れと言うようにグッと胸に手を押し付けてくる。


 それはそれとして、ところで今僕は告白というやつをを受けたんじゃ?


「フェネちゃんあの!?僕胸に!胸に触って!?」


「あぁそっか… いきなりこんなことしたらだめだよねー?」


 正気に戻った?もしかすると彼女には発情期でもきてたんだろうか、確か父が一度それに悩まされたという話を博士達から聞いたことがある、自ら地下室に閉じ籠ったと。

 僕も今にも発情期が来てしまいそうだがこれでなんとかなりそうだ、このまま引き下がってくれれば…。


「ヒトはこういうとき“キス”から始めるんだたったね?」


 前言撤回、これから始まるところだった。


 彼女は僕に覆い被さったまま体を密着させグッと顔を近づけると、片手は優しく僕の頬を撫でた。

 

「クロくんもドキドキしてるね?伝わってくるよ?息も荒い… よかった、私と一緒だね?///」


「~!?///」


 照れながらも優しく微笑む彼女に不覚にもドキッとしてしまった、体温が伝わり僕の体を熱くさせる。

 チラホラと尻尾が揺れているのが見える… 嬉しそうだ、彼女が僕に満更でもないというのは本心なのかもしれない。


 しかし困った、でも無理矢理引き剥がすなんて乱暴なマネはできない。


 と考えてしまうのは僕自身続きがどうなるかと期待しているからなのかもしれない、まぁ僕だって男だから興味くらいある。


 ましてや大きく柔らかい耳や尻尾など僕のツボを押さえている相手だ、ここで折れてしまったら僕は… 悪い男だろうか?


 彼女は今にも僕の唇を奪おうと期を伺っている「ハァ…ハァ…」と小さく荒い息が僕の顔に伝わるくらいには顔が近い。


 僕の前髪を下から上に優しく撫で上げてくれている、そんな仕草にだんだん心地好さを覚えやがて安心感が芽生え始める。


 もし…。


 もしここで彼女と“して”しまったら、僕はフェネちゃんに夢中になってサーバルちゃんのことを忘れることができるんだろうか?


 それで楽になれるんだろうか?




 もしそうなら…。


 それでも…。


 いいのかな?


 きっかけとしてこんなのもさ…?




 無意識に僕も彼女の背中に手を回し始めていた、それに驚いたのか彼女の体はピクりと跳ね、それと同時に「ぁ…」という艶やかな声を挙げた。


 それで向こうも吹っ切れたように言った。


「いつまでも見つめ合ってると恥ずかしいよクロくん?目ぇ… 閉じて…?」


 僕は言われた通り何も言わずに目を閉じた、暗くなにも見えない世界に彼女の息遣いだけが耳にはいる。


 あぁ僕のファーストキスってこんな風にするんだなー?なんて呑気なこと考え始めた、これが思考停止というやつだろう。


 まさかこんな風に大人になるとは、パパもママもこんなことがあったと知ったら僕を怒るだろうか?


 上にはユキとアライちゃんに博士も、そして助手もいる。


 四人でなに話してるのかな?もう寝ちゃったかな?


 みんなが上にいるのに、僕は…。


 これからフェネちゃんと…。




 と覚悟を決めたその時だった。




「フェネックぅー?ここなのだぁー?」


「「!?」」


 大きな声、ドア越しに聞こえたその声はアライちゃんの声だ。


 僕達は正気に戻りお互いの顔を見合わせると、カー…っと顔を赤くしサッと距離をとった。


「入るのだー?」ガチャ


 間もなくノックも無しにドアが開きアライちゃんが地下室の部屋に顔を出した。


「あぁー!やっぱりここにいたのだー!返事くらいしてほしいのだ!」


「ごめんねー?話しに夢中になっちゃってねぇ~?ねぇクロくん?」


「う、うん… そぅだね?うん…」ソワソワ


 まるで何事もなかったかのようにただ僕達は並んで座っている、一定の距離を取り、触れそうで触れられないそんな距離感で。


 さっきは距離なんて無に等しかったのに。


「ところで~?アライさんはどうしたんだい?もう寝たのかと思ったよ~?」


 僕はまだこんなにドキドキしている、これは恋だろうか?いやなにか違う気がする、やっていたことがやっていたことなのでなんだか悪いことをしてたようなばつの悪さがあるんだ、後ろめたい物を隠すときのドキドキと言う感じだろうか?


 フェネちゃんの方は顔が少し紅潮しているもののまったく取り乱していない、さっきのあの妖艶の表情が嘘のようだ。


 もしかすると、あれは夢だったんじゃないか?


 そんな風に思ってしまうほど今はまったく違う世界が広がっている、あんなことをしていたのに…。


 今は同じ部屋で三人で仲良くおしゃべりしてるなんて。


「クロ?なんだか顔が赤いのだ!熱でもあのだ!?」


「へ!?いや、大丈夫大丈夫… 最近ほら、暑いからさ?」


「地下室は少し涼しいくらいなのだ!暑いからって薄着してないで寝るときはちゃんと体を冷やさないようにするのだ!」


 体を… 冷やさないように… ちゃんとくっついて。


 ッ!?


 くぅ~… 意識しちゃってるよ~…。

 どうすればいいのさこんなの?


 チラッとフェネちゃんの方を見ると不意に目が合いクスッといたずらな笑みを僕に向けている、余裕があるんだ。

 でも当然だろう、よく考えたら僕よりずっと歳上なんだみんな、やっぱりからかわれたのかな?


 だとしたらひどいよ、頭の中ぐっちゃぐちゃだ… 責任取ってなんてことは言わないけれど僕はどうしたらいいの?

 






 アライちゃんにはもちろんあんなことしてたなんて言っていない、単に音楽のことだとか楽器について話していただとか伝え、その後は三人で世間話でもしていた。


 でも部屋を出るときフェネちゃんが…。


「クロくん、楽しいのはわかるけどあんまり遅くまでギターしてないで寝ないとだめだよー?」


「あ、うん… 気を付ける」


「じゃあ、“また明日”ね?」


 また明日!?


 そうだ失念していた、パパ達がいない間は居てもらう予定だったんだ!?

 参ったなどうしよう?これから数日毎朝毎晩顔合わせるの?気まずいというより意識してしまって大変だ、また今日みたいなことにもなりかねない。


 こんなの… くそ!誰か説明してくれよ!









 フェネックとアライグマが地下室を出ると、暗い図書館の中に月明かりだけが差し込んでいた。


 夏場の星空は美しく、天の川が空を埋め尽くしている。



 あ~あ~?もう少しだったのにな~?



 なんてほんの少しだけ不満を持ったフェネックは突如現れたアライグマに疑問を持っていた、そしてその理由にも彼女は大体の察しがついている。


 故に、図書館の木の上に輝く眼光に彼女が気付くのは必然という他なかった。


「アライさーん?先に寝ててよー?」


「どうしたのだ?眠れないのだ?」


「んー… 長話で喉が渇いたのさー?すぐ戻るよ~?」


 それを快く了承したアライグマはすんなりとフェネックを外へ送り出した


 彼女はもちろん喉など渇いていない、暗く深い森林に一人足を踏み入れどんどん奥へ進んだ、やがて少し開けた場所にくると立ち止まり、彼女一人しかいないはずその場所で語りかけるように言った。


「この辺でいいでしょー?でてきなよー?着いてきてるんでしょー?」


 静かな森の中には鳥や虫の声だけが鳴り響いている…。


 が、月を背にしたひとつの影が彼女の前に音もなく降り立つ。


「アライさんを地下に行かせたのはあなたでしょ~?」


「…」


「なんか言ってよ~?黙ってると怖いよ~?そんなに睨まないでほしいなー?」


 フェネックの前に立つのは鳥のフレンズ、恐らくパークにいる者で彼女を知らぬ者の方が少ないであろう人物。


「もしかして怒ってるのかい?“助手”?」


 それは島の長の片割れ、ワシミミズクのフレンズ… 助手であった。


 助手は普段感情を表に出さず、声を荒げたり表情を大きく変えて怒鳴ったり泣いたりもしない、ほんの少し口角を上げたり眉間にシワを寄せることもあるが基本は表情を大きく崩すことはない。


 博士の助手として、冷静で落ち着きがあるのが彼女だ。


「表に出さないけど伝わるよ~?何をそんなに怒ってるんだい?」


 今も努めてポーカーフェイスの彼女だったが、気が立っているのかフェネックにはそれがひしひしと伝わっていた。


「邪魔しないでほしかったなぁ~?せっかく“いいところ”だったのに…」


「クロを… 混乱させるのはやめてほしいのです、あの子は難しい歳頃なのです、どーせからかっているだけなのでしょう?」


 やはり表情も変えず淡々と話す彼女だったが、フェネックには言葉の節々に怒りが籠っているのがよくわかった。


「からかってなんかないよー?私はクロくん好きだもの~?サーバルのことで悩んでるだろうからチャンスかなー?って思ってさ~?もう少しだったのになぁ…」


「お前が言うと胡散臭いのです、サーバルののことをわかってるなら尚更あのようなことはクロには…!」


「助手はさー?クロくんのなんなの?」


「!?」

 

 フェネックもまた不適な笑みを消し無表情になると、助手の言葉を遮るようにそう言い放った。


 その言葉に、冷静にしていたはずの助手の表情も少しずつ崩れ始める。


「私は… 家族としてクロを心配して…」


「だったら逆に家族として応援するとかしてほしいなぁ?今クロくんにはサーバルの代わりになるような人が必要なんだよ?親でも兄弟でもなく受け入れてくれるような存在がさー?だって叶わない恋にいつまでも苦しんでるままじゃ先に進めないし可哀想だよ」


「だからと言って!本人が気持ちの整理もついていないのにあのようなことをするのはやめるのです!意思を尊重するのです!だいたい可哀想?それは哀れみではないですか?その気もないのにあの子をバカにしているようなものなのです!」


「保護者面しないでよ?助手はクロくんに近づいて独り占めしたいだけでしょ?綺麗事だよそれは、私にはわかるんだよ?好きなんでしょ?クロくんのこと?」


 その言葉に、助手はとうとう黙りこんでしまった。



 私は… クロが好きなのですか?



 それは無意識に心の奥に封じていた気持ちだったのかもしれない、世話を焼いていたのは罪悪感や庇護欲ではなく無自覚にただ彼に気に入られたかったからだとか、自分が彼の隣にいたかっただけなのかもしれない。


 そんなはずは… と助手は込み上げた気持ちを押し殺しフェネックに静かに言い返した。


「私は… あの子のオムツを代えてあげたこともあるし、お風呂に入れてあげたりご飯を食べさせたことだってあるのです… 今更、恋愛感情など!」


 自分で言っていて、こんなにも胸が締め付けられるのはなぜだろうか?


 なぜ身を引き裂くような気持ちになっているのだろうか?

 

 なぜ、こんなに悲しく切ないのか…?



 賢いはずの助手にはそれがわからない。

 


 否、わからないと自分に嘘をついている。



「じゃあさぁ?」


 それを聞いたフェネックは畳み掛けるように彼女に言う。


「余計に邪魔をされる筋合いはないよ?だって私はちゃんと“クロくんが好きだから”」


「…」


 もう助手には言い返すことができなかった、自分の言ったことをまとめるとつまりそういうことなのだ、当人同士の問題であり自分がごちゃごちゃ言うのは部外者がお節介に口を挟んでるに過ぎない。


 保護者面をした部外者には、彼らの何かを決める権利も変える権利ない。


「もう何も言うことがないなら戻ろうよ?明日も早起きしてご飯を作らないとさー?そうでしょ?“保護者の助手”?」


「そう… ですね…」



 フェネック自身、いつからこんな気持ちになっていたか自分にもわかっていない。


 彼女も助手同様にクロユキの世話をしてきたのだから。


 今日の出来事で、行くところまで行こうとしている自分に1番驚いたのは彼女自身なのかもしれない。




 


 翌朝、いつもと変わらぬ朝の中。


 大きく変わっているのは三人の心。


 寝不足のクロユキ、食欲の無い助手、そして気持ちに歯止めが利かなくなっていくフェネックだった。

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