第37話 かえってきて

 シロがその場を去ったあと、ベッドにうずくまり一人涙を流すかばん。


 今彼女が泣いているのはシロの煮え切らない態度に傷付いているからではない、もちろんその件でも深く傷付つき涙を流したが、今泣いてるのは彼女自身の問題だった。


 かばんはシロの妻である。


 二人はとても仲が良く、誰が見ても幸せなのは一目瞭然だった。

 

 いつも笑い合い、お互いを大事にしていた。


 かばんはシロをこれでもかというくらい愛しているし、逆にシロもかばんをこれでもかというくらい愛している。



 それなのに…。


 

 今の二人には溝がある。



「かばんちゃん?入りますね?」


 入ってきたのはシラユキ… の体を借りたユキだ、シロがバギーで去ってから様子が気になりドアを開けた。


「お義母さん… 僕… 僕… グスン」


「大丈夫ですよ?大丈夫です、辛かったね?」


「シロさんに酷いこと言っちゃった、きっと嫌われちゃった…!こんな僕のとこに帰ってきてくれるわけない!もう嫌… 最低です、本当に僕って最低で… ヒッグ」


 自己嫌悪に陥っていたかばん。


 ユキはそんなかばんの背中を優しく撫でてやり、静かに慰めていた。


 本当はかばんにもわかりきっていることだった。


 シロは決して自分を裏切らないということも、ハッキリとアードウルフを拒絶しないのは彼自身が拒絶という痛みに耐えられないからであり、無論妻であるかばんを傷付くのを良しとしている訳でもないこと。


 十分わかっていた、優しい夫の性格はよく理解しているはずだった。


「ユウキだって同じことを考えてますよ?私は前から言っていたんです、このままではかばんちゃんを傷付けるだけだからハッキリしなさいって?

 ユウキは本当にかばんちゃんが好きだから自分のしていることが良くないってわかっていたんですけど、ナリユキさんに似て優しい子ですから?女の子の気持ちを無下にするのに抵抗があったんですね…

 それで煮え切らない態度をして結局大事な人を傷つけてしまっては世話ないんですけど、私もナリユキさんにはよく悩まされたものですよ?」


 かばんは何度も謝る夫の顔を思い出していた…。


 彼はベタつくアードウルフに困るばかりで、自分から手を出しただとかちょっかいを出しにいってる訳ではない。


 つまりなにもしていない。


 ただ何もしていないというのはアードウルフの行動に抵抗をしている訳でもないということで、毎日毎日夫に言い寄るアードウルフが嫌だったしそれを無理に拒絶しようとしない夫の態度にも釈然としなかった。


 自分を想うなら他所の女のアプローチなど蹴散らして欲しかった「自分は妻にしか興味が無い」とすぐに人目も憚らず抱き締めて欲しかった。


 こんなことを考えていたが、当然言わずして伝わるはずもない


 ただのワガママだった。



 僕は本当にどうしようもなくワガママで最低な女です… 奥さんとして失格です。



 彼のことを思い出せばそれだけ自分の事が嫌になっていった。


「そう塞ぎ込まないでかばんちゃん?」


 自らを責めるかばんを、ユキは熱心に慰め続けている。


「あなたのは確かにワガママだけど、でも女の子だもの?それくらいは普通だと思いますよ?」


「でも僕なんて…」


「ユウキは本当にダメね?こんな素敵な奥さんを悲しませて… でもかばんちゃん?あなたは奥さんなんだから、アードウルフちゃんに“夫に手を出すな”って言える権利があるのよ?私は当時片想いでしたから、ナリユキさんに対してモヤモヤするしかありませんでした… でもかばんちゃんにはユウキを独り占めできる権利があるの、自分でそれを言おうとは思いましたか?」


 思い返すと、確かに自分はただ逃げているだけだった。


 彼はどうして?なんで?とすべてシロの態度が悪いと押し付けていた、盗られるのが嫌なら自分で守ればいいという発想に至らずただ夫を責めるばかり。


 それを理解するとまた罪悪感に苛まれ声をあげて泣いた。


「お願いシロさん、帰ってきて… もう怒ってないからぁ… ワガママ言わないからぁ! …僕はシロさんがいないと生きていけない…」


「大丈夫です、数時間もしないで戻って来ますから?きっとユウキだってかばんちゃんがいないと生きていけませんよ?寂しがりですから」


 続けて背中を撫でるユキは澄ました顔をしながらもこんなことを思っていた。


 はわわ~!なんだか年長者らしい貫禄あることができました!


 その包容力に反し心の中で凄くいいことを言えたと子供のように喜ぶユキ、彼女としても今回のことは自分の経験を生かせる絶好のタイミングであった。


 ユウキ、すぐに仲直りしに帰ってきなさい?これ以上はママ許しませんよ?






「ユウキさんどこへ行ったんでしょう?」


「あの~… えーっと!あ、あのねアードウルフちゃん!シロちゃんのことなんだけど!」


 厨房ではほったらかしのサーバルとアードウルフが残されていた。


 サーバル自身も今の状況が良くないことくらいしっかりとわかっている、これも全てシンザキが彼女を女性として目覚めさせたからだろう、今の彼女は恋愛をしっかりと理解している… その上でサーバルはアードウルフに言った。


「あんまり良くない… と思うよ?シロちゃんにはかばんちゃんって奥さんがちゃんといるから、そんなシロちゃんにその~好き好きってくっつくのは…」


「わかってます!なので私もかばんさんと同じように奥さんにしてもらえれば!」


「そ、そうじゃなくて!奥さんって一人だけなんだよ?ツガイって二人で一組だから、間に入るのは良くないって言うか…」


「どうしてですか?」


 あ、あれー!?わたし間違ってるのかな!?でもヤキモチっていうのがあるってことはこれで合ってるよね!?


 サーバルの人間的になった恋愛観とアードウルフの動物的恋愛観では噛み合わないのも当然であった。

 だがどんな理屈を話そうと大真面目に話してくるアードウルフを見て自分が間違っているという錯覚に陥る寸前のサーバル。


 そんな二人のもとに、クロを任された長の二人が歩み寄る。


「サーバル、お前が正しいのです」

「自信を持つのですよ」


「だよねー!?間違ってるのかと思ったよ~!よかった~!」


「アードウルフ、我々フレンズはヒトという大変心が複雑な生き物の特性を得てしまっているのです」

「郷に入っては郷に従うのです… まぁ、お前のような考えのヒトも中にはいるらしいですが」


「好きなら好きではダメなんですか?」


 とアードウルフはそもそもの理屈を理解してくれない。


 シロが手こずるわけである、なので長達は別の観点から間違いを指摘することにする。


「いいですか?シロはとても不器用な男です」

「そもそもアイツに複数の女をどうにかするほどの甲斐性がないのです」


「えっと… つまり?」


「アイツはかばんが好きすぎなのです」

「同時にかばんもシロを好きすぎなのです」


「しかもそんな愛し合う二人の間には二人にそっくりな双子を授かっています」

「只でさえかばんを愛しているのに子供たちまで余すことなく愛している男です… つまり」


「「お前の入り込む余地はありません」」


 ハッキリ物を言う… サーバルもあんぐりと口を開けている。

 なかなかハッキリと言えないシロとは真逆の発言である、さすがにそこまで言われるとアードウルフもだんだん自分が何をしてしまっているか理解し始める。


「私は… 邪魔者?」


「そこまでは言いませんが、シロにはお前を構う余裕がないのです」

「しかもあいつらはそろってヤキモチ妬きなのです、かばんの心がそろそろ限界なのです」


 かばんを傷つけているのは自分だった?シロを困らせているのも自分だった?先ほどの泣き声も怒号も、落ち込んだシロも全て自分が原因であった。


 とうとうアードウルフはそのことを悟った。


「じゃあ私はユウキさんには…」


「呼び方も改めた方がいいのです」

「親しみを込めてシロと呼んでやるのです、パークではシロとして生きるというやつの意向でもあります」


 シロの態度に煮え湯を切らしたのか、長の二人が嫌われ役を買ってでた、もっとも二人は時に辛辣なことを言うのも慣れているのでまったく堪えないのだが。

 

 ただアードウルフを傷付けるつもりもない、シロが戻ったらしっかり話すように二人は伝えた。





 が、そのまま日は沈み夜になった。


 アードウルフは一度場を離れたが。


 シロは… 帰っていない。


「さぁ二人とも、もう寝ましょうね?」


「パパは?」

「パパはどこにいるの?」


「…」


 子供たちの不安そうな顔に思わずかばんは黙りこんでしまったが、これ以上不安にさせる訳にはいかない。


 母として気丈に振る舞い彼女は答えた。


「お仕事、大変みたい… パパ人気者だから、いろんな人が頼るんだよ?」


「すぐ帰ってくる?」

「ユキ待ってる!」


「大丈夫だよ?二人ともいい子だから… ちゃんとねんねして朝になったらいつも通りベッドにいるからね?でも疲れてるかもしれないから、明日は寝かせてあげて?」


「ぼくいい子にしてる!」

「ユキもー!」


 悲しみを堪え子供たちを優しく寝かしつけたかばんは、耐えきれずに一旦外へでた。



 やっぱり、帰ってきてくれませんよね…?



 自分の言ったことややったことに責任を感じてまた涙が出てきた、かばんは自分が彼にしたことを振り替えると勢いで本当にバカなことを言ったりしたと激しく後悔した。


 あれからユキに励まされ、サーバルも長も元気付けるように声を掛けてくれた、だがその意に反するように彼は帰ってこない。


 「頭を冷やしてくる」と言って出ていったらしく、すぐに帰るだろうと皆思っていた。

 だが実際はこうして日が沈み冷え込んできた今も帰ってこない。


 きっと自分のとこにはもう帰ってはくれない、自分のとこでは安らげないんだ。


 かばんはまた自己嫌悪に陥り、その日何度目かもわからない涙を静かに流していた。


「ごめんなさい、ごめんなさい… もう僕のことはいいから、子供達のために帰ってきて…?」


 その時、かばんの胸に悲しみと同時に大きな不安がよぎった…。


 帰って“こない”のではなく帰って“これない”のではないか?


 いつかサンドスター火山の崖から落ちて3日間生死をさ迷ったこともあるシロ、話に聞くと雪山で遭難しかけたり、例の事件の切っ掛けの日には川に落ちたりそんなこともあったはずだ。



 もし… どこかでケガをして動けないとか、セルリアンに襲われたとかそういうことだったら?



「どうしよう、僕どうしたら… 全部僕のせい!僕のせいでシロさんが…!そんなの嫌…!」


 探しに、そうだ探しにいこう!もしかしたら近くにいるかもしれない、すぐそこまで帰ってきてるかもしれない、見付けてみせる!すぐに見付けてちゃんと謝らないと!



 意を決して森のなかへ駆け出そうとしたかばんだったが…。


「「待つのです」」


 長の二人、博士と助手がそれを止めた。


「どこへ行くのです?」

「子供たちも放って」


「彼を探します!すぐ戻ります!」


「なりませんよかばん、宛もなく探すつもりですか?」

「朝起きた時、父親も母親もいなかったときの子供達のことを考えるのです」


「でも!」


 焦りや罪の意識から少し目の前が見えなくたっていたかばんに対し、長の二人は至極冷静に対応している。


「もっと信じてやるのですかばん」

「お前の夫は一度怒鳴り付けたくらいで嫁も子供も全て放って出ていくような男なのですか?」


「そんな!そんな人じゃ!ないです…」


「わかっているならおとなしく待つのです」「お前は嫁らしくドンと構えていればいいのですよ?」


 長は入れ違いなどを考慮したとても合理的な意味でも、ここに残り待つべきだとかばんをなだめた。


 それでもかばんは不安だった…。


「まぁお前の言い過ぎたという気持ちもわかるのです」

「ですが実際アイツの煮え切らない態度がそもそもの理由なのです、我々に代わりに言わせるなど…」


「長に対する敬意が足りないのです、まったく!」

「朝からとっておきのワガママを言ってやるのです!」


 もし、嫌われちゃったら?もう笑いかけてくれなかったら?事故やケガをしていたら?悪い何かに巻き込まれていたら?


 もう二度と会えなかったら?




 嫌… そんなの嫌…。




 自分はなんてバカな女だろうか、つまらないことで彼を責めて何度も謝る彼を許そうともしなかった。


 彼が肩に手を掛け抱き寄せようとした時、怒りのあまり手を振り払いまた怒鳴り付けてしまった…。


 本当は抱き締めてほしかったのにそれを自ら拒否した。


 その前からも彼を見るときに笑えなくなっている自分が本当に嫌で仕方なかった、眠るときもあからさまに背中ばかり向けている自分は間抜けにも程があった。


 それなのに… シロさんは僕に何度も謝ってくれた、すぐに許してあげればよかったのに、いつもみたいに笑って許してあげればよかったのに… それで済む話だったのに。


 なんであんなに怒ってしまったの?


 なんで一人にしてなんて言ったの?


「かばん、シロのことですからどーせ許してもらうためになにか考えて遅くなっているだけなのです」

「バカなのです、さっさと帰ってくればいいものを心配ばかりかけて」


 長の言葉にかばんがほんの少し安心を覚えたその時…。


「ほら、来たのです…」

「遅すぎます、妻を待たせてこんな時間まで」


「え…?」


「聞こえませんか?」

「これはなにか乗り物が草を掻き分けて進む音…」


 耳を澄ますと確かに音が近づいてきた。


 ヒュゥゥゥゥン…!と大きくなっていきやがて止まる、間も無くして水を使うようなバシャバシャとした音が聞こえた、手を洗っているのだろう。


「さぁ行くのです」

「我々野暮なので、図書館に戻るのです」


 長はフワリと空に上がり図書館の中へ戻った、かばんはそれを見届けると音の方へ近づいた、


 するとそこにはいた。



 彼がいた… 帰ってきた。



 何やら念入りに手や顔を洗っている彼の姿がそこにあった、それを見たかばんは何も考えずに駆け出した。


 許すとか、許してもらうとか、そういうのの前にただ…。


 勢いよく彼に駆け寄った彼女はその勢いも消えぬまますぐに。


 ギュウッ…!と強く、強く彼を抱き締めた。


「わっ!?とと… ビックリした、かばんちゃん?どうしたの?遅くなってごめんね?」


 強く抱き締められたシロは驚いていたが、いつものように優しい言葉を返し彼女を抱き返した…。




「おかえりなさい…」


「うん、ただいま…」

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