第36話 はっきり

 ラッキーさんの貴重な動物解説によると。


 アードウルフは、哺乳綱ネコ目ハイエナ科アードウルフ属に分類されるハイエナで、本種のみでアードウルフ属を構成しており別名ツチオオカミという。


「つまりハイエナなの?オオカミなの?」


「ドッチデモナイノガ アードウルフダヨ」


「あぁそう…」


 学名って本当ややこしいな。



 なんでも彼女は以前助けてあげた時のお礼を言いにわざわざ来てくれたそうだ、遠いサバンナからご苦労様ですとしか言いようがない。


 言いようがないんだけど…。


「あの… アードウルフちゃん?」


「はい!」


「少し離れてもらえる?ごめんね?」


「あ!ごめんなさい… やっと会えたと思うと嬉しくて、なにやってるんだろぅ私…///」


 なるほど注意がいるなこれは、この子は危険だ!


 そしてそれ以上に…。


「シロさん、そろそろお昼にしませんか?」ゴゴゴゴ


 嫁さんがやべーことになっている。


 これもすべて俺の八方美人が悪いのだろうか?でも今にも食われる寸前のアードウルフちゃんを見過ごす訳にもいかなかったし、これは誰が悪いというわけでも、いやしかし。


 誰か対処法教えて?


「あぁ~なるほどね~?」


「フェネック?何がなのだ?」


「シロさんは~?またやってまったってことさー?」


「え!?シロちゃんはいったいナニをやってしまったの!?」


「よくわからないのだ、でもシロさん!ナニをやってしまったか分からないが!そういう時はすぐに謝るのだ!」


 ナニも… いや何もしてないよ人聞きの悪い!それでオブラートに包んだつもりか!助けただけだろうがよ!クソ!なにもしてない!


「コホン… アードウルフちゃん?ひとつ言っておきたいんだけど、俺には妻も子供もいるんだ、だからそういうなんというか… ベタベタするのはできれば控えてもらいたいんだけど?」


「ごめんなさい、“控えめ”にします…」


 しまった… NOと言えないホワイトライオン!社交辞令が言葉通りに受け取られてしまったようだ。


 ハッキリダメって言えばいいんだけどぉ?


 せっかく来てくれたのに「俺に近づくな」みたいに冷たくするようなこと言うのは少しなんかあれだなぁ… と孤独に苦しんだことがある手前ハッキリ断りを入れられないでいる。


「シロさん、あとでお話が」無表情


「はい、喜んで…」


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…。





 その日からアードウルフちゃんがしょっちゅう顔を出すようになってしまった、彼女はサバンナに帰らなくてもいいのだろうか?「合わないちほーは寿命を縮めるのです」も今更通じないし、なんとか帰ってもらいたいがせっかく来てくれた子を蔑ろにもできない。


 彼女にはきっちり俺が妻子持ちだと伝えているはずなのに執拗に絡んでくるのはなぜか?なぜこんなにも積極的なんだ、性格はおとなしいのに。


 尋ねてみると驚きの答えが返ってきた。


「あ!私そういうの気にしないです!」


「はぁ!?」


「強いオスにはたくさんのメスがつくものですから!」


「何を言って…」


パリン!


 ひぇ~!?ティーカップが割れた!?

 かばんちゃんが少し離れたところで睨みつけている… カップの次は俺ということか。


 しかもラッキーによるとアードウルフは別にそういう動物じゃないらしいじゃないか?元動物の特性無視しないでくれよ頼むから。


「どうやらあの子はフレンズ化してまだ短いのでしょう」

「故に、“恋”や“愛”に動物的な慣性を混ぜがちなのです」


「つまり?」


「強いオスに惹かれるメスの性ですね」

「そもそも子孫反映が最大の目的ですから、別に嫁と子供がいようがそのオスと子供が作れたらそれでいいのです」


 長がやべぇこと言い始めた、なんとかならんのか?と助けを求めてみたのだが。


「お前がしっかりすればいいだけなのです」

「シャキッとするのです」


「わかってるよ…」


 わかってるよ… わかってるさもちろん。


 そんな俺を見て見かねたのかついに母のお叱りが入る。


「ユウキ!しっかりしなさい!」


「え!?あ、母さん?なに?」


「あなたがハッキリしないせいでモヤモヤしてる奥さんの気持ちも考えてあげなさい!」


「はわわ~… わかってるよぉ?でも真正面に拒絶するのも可哀想じゃないか?わざわざ会いにきてくれてるんだし?」


「もぉ~そんなとこばっかりパパに似て!」


 父さん?父さん助けてよ~こんな時どうしたらいいの?


 俺だってかばんちゃんを悲しませたいわけじゃないんだ、一番悲しませてはいけない女性だと思ってる。


 でもだからといってわざわざ自分を訪ねてきてくれた子に「帰れ」とでも言えばいいわけ?八方美人はやめろとか言われるけど、冷たくするのとは違うんじゃない?


 かばんちゃんは優しいからわかってくれると思うんだけどな~?俺が愛しているのはかばんちゃんだけって本人も周りも知ってるはずなんだけどなぁ~。


 まぁ嫌だよなぁ… 俺だったら気が気じゃないもの。


 はぁ… 本当にごめん。







「破裏拳ホワイトさーん!」


「あ、やぁ… シロでいいよ?それ長いでしょ?」←恥ずかしくなってきた


 今日もきたか、ここ数日妻が俺と話すときに笑ってくれない、平静を装っているが何となくわかる、かなり怒ってる。


 彼女はくるなり俺に話しかけて長く話し込む、サーバルちゃんに料理を教えながら適当に相槌は打っているが…。


 なんというか… そう、悪い言い方だが空気が読めない。


 一生懸命話してくれるのはいい、気持ちは嬉しいが、本当は人見知りなのか頑張って話しかけてくれてるんだろうって感じが伝わるのだけど。


 でもなぁ…。


「じゃああの… シロさん?シロさんはたくさん名前があるんですね?どれが本物なんですか?」


「どれもあだ名だよ、パークでは大体シロで通ってるけど」


「あの、それじゃ本名は?」


「あぁ… ユウキっていうんだ」 


 あれ?なんかこの下りに覚えが… たしかそうだ、あれは夜のサバンナだった。


 かばんちゃんと気持ちが通じあったとても特別な夜だ、そんな特別な夜にした特別な秘密の…。


 あ…。


 アードウルフちゃんのすぐ向こうだ、何か用があったのかこちらに近づいている最中の妻が見えた、何とも言えない表情でこちらを見ていた、今にも泣き出してしまいそうな。


「ユウキ…さん?素敵な名前ですね!ぜひそう呼ばせてください!」


「え?いや、それは…」


「これからよろしくお願いします“ユウキさん”!」


 そう遠くない、普通に聞こえていたに違いない。

 

 とうとう泣かせてしまった…。


 涙を浮かべた妻は顔を手で覆い踵を返してそのまま走り去った。


 やっちまった…。


「ちょっとごめん!」


「ユウキさん?」


「え!?シロちゃんこの後どうしたらいいの!?」



 “二人だけの秘密がほしいんです”。


 あの夜彼女はそう言って、俺はそれが嬉しくて喜んで名前を教えたんだ。


 父さんも母さんも俺をユウキと呼ぶし、今となっては知っている人も多いから二人だけの秘密という訳でもない、でもだ…。


 自ら名乗ったのはかばんちゃんにだけだ、特例としてカコ先生もいるがとにかく自分の名前はユウキだと名乗ったのは妻が最初で妻にだけ名乗ったんだ…。


 みんな知ってるけど俺から教えたのは妻だけ… その過程や思い出が大事なのだと思う。


 なのに俺ときたらバカにも程がある。


 本当にバカみたいだ。

 

 渡したい物もあるのに…。


「かばんちゃん…?」


 家に戻ると妻がベッドに泣き崩れているのがすぐにわかった。


 別に怒られるのは構わなかった。


 彼女の気分を害したから怒られる、俺は素直に謝る、そしたら彼女はすぐに許してくれる、俺はそんな妻を見て安心する。


 でも…。


 泣かれれるのだけは本当に辛い、これまで何回も何回も泣かしてきたさ?

 悲しませたり約束を守れなかったり心配かけたり理由は様々だけどとにかく何回も泣かしたんだ。


 その度に胸が痛んだ、慰めるにも抱き締めることくらいしかできなかった、もっといいこと言えたらなって何度も思った。


 何回怒ってもいい。

 

 でもお願いだから泣かないでほしい。


「ごめん…」


「なんで謝るんですか?僕は何もされてません…」


「いや、傷つけたよ… 多分すごく傷つけた、だからごめん…」


「いいんです、僕はめんどくさい奥さんですよね?もうみんな知ってることなのに昔のこと蒸し返して」


「めんどくさいだなんて…」


 背中を向けたまま俺にそう言った妻の肩は震えていて、ただ自分がめんどくさいだけだと言い張っている。


 違う、そんなんじゃない!そんなことないんだ!


「二人だけの秘密なんてもうないんですよね、僕だけが特別なことなんて…」


「何を言うんだ、ずっとこれからもかばんちゃんが俺の特別だよ?」


 嫉妬がピークにまで達していたのかもしれない、もともとヤキモチ妬きの彼女にここ数日ずっと我慢をさせていたのは知っている。


 母さんにも怒られたし博士たちにもシャキッとしろと注意された、サーバルちゃんもやんわりそれは良くないことを伝えてきた。


 そして彼女は、溜まっていた物を吐き出すように泣きながら俺を怒鳴りつけた。


「じゃあなんであの子ばっかり構うんですか!シロさんは僕の旦那さんでしょ!子供達だって見てるんですよ!」


「ごめん… あんまり親密過ぎるのはちょっとやめてって言ってるんだけど、あんまりわかってくれなくて…」


「ハッキリ言わないからじゃないですか!」


「あんまりハッキリ言うと傷つけつちゃいそうで…」 


「じゃあシロさんは僕が傷付くのはいいんですね…!まだ会って間もない子には優しいのに、ずっと一緒にいた奥さんがどんどん傷付いていくのは興味ないんですね!」


 胸に… 刺さるな…。


 まったく仰る通りだ、そう思われても仕方がない。

 他人の顔色を気にしすぎて大事な物を見失っていたということだ、今気づいたが遅すぎる。


「ごめん、ごめん!そんなつもりはないんだよ?本当にごめん!」


 俺は彼女を抱き締めようと肩に手を置いたが彼女はそれを振り払った。


「誤魔化すためにそんなことしないでください!」


「誤魔化すなんて…!いや、そうだよね… ごめん…」


 顔は涙でぐしゃぐしゃになってて、真っ赤な目で俺を睨み付けている。


 参ったな、今回はなかなか許してくれそうもない…。


 いや、許してもらおうと謝ってる時点でダメなのか、姉さんと大喧嘩したときと同じだ。


 でも、ほかに言葉が見つからない…。

 

 俺はこの時ただ謝ることしかできなかった、そして慰めることもできない。


「優しすぎますよシロさんは… きっと他にも困ってる子がいたらあんな風にかっこよく助けてあげるんですよね?わかってるんです… わかってますよ。」


 まるで褒め称えるような言葉を皮肉のように言ってくる妻は先程までの怒りが嘘のように沈んでいく、しおしおになった花みたいにうつ向いて言葉には力がない。


「誰にでも優しいんですシロさんは… 僕だけじゃなくって」


「ごめん… でもあの時は放ってもおくわけにはいかなかったよ、目の前でフレンズがセルリアンに食べられるとこなんて見ていられないでしょ?」


「だとしても何もできません… 僕はシロさんみたいに強くないですから」


 なんて言ったらいいんだ、もうただ「ごめん」って漠然に謝ったところで解決できる状態じゃない。

 

 きっと今夜も妻は俺に背中を向けて眠るのだろう…。


 キスを迫れば顔を逸らされ、抱こうと思えば抵抗されるだろう。


 何をしてるんだろうね、俺は…。




「一人にしてください」




 そう言われてはもうそうするしかない、俺は外に出るとドアにもたれ掛かり大きな溜め息を付いた。


「はぁー…」


 人生で一番大きな溜め息かもしれない。


「だから言ったんですよ?ハッキリしなさいって…」


「母さん… うん、そうだね…」


 あんなに大きな声で怒鳴られたのだ、聞いていなくても声は届くだろう。


 母はあからさまにガックリと落ち込む俺を見て「言わんこっちゃない」って感じで声をかけてきた。


「夫婦喧嘩は初めて?」


「いや、喧嘩っていうか… 俺が一方的に言われてただけなんだけどさ」


「なんでかばんちゃんがあんなに怒って悲しんでいるかわかりますか?」


「ハッキリしないからでしょ?」


 そう、さっきから言われまくってる…。


 奥さんがいるのにそっちのけで別の子の相手に時間をとられて、それで奥さん傷つけているんだ。


 いっそ赤の他人なんて突き放してしまえば楽なんだろう、でもこれは俺のクセというか、悪意のある相手でもないのに傷つけるようなことは言えない。


 だからハッキリしろって…。


「違うでしょ!」


「え…?」


 散々言ってきたくせに違うってなんだろうか?


「もっと根本的なこと!かばんちゃんがユウキのことを愛してるからでしょう!」


 あ…。

 

 その時なんて単純なんだと思った… 俺も彼女を愛しているのに今更気づくなんて。


 ほんの数日の話だが、目の前で夫が知らない女に言い寄られるのを眺めるというのは耐え難いことだろう。

 俺だったら相手をどうにかするかもしれないし妻にも手をあげてしまうかもしれない、家を出てパーク中で暴れ回るだろう。


 そんなバカな俺を見て、母は付け加えて言った。


「それにねユウキ?あなたのアードウルフちゃんに対するあの態度もすごく失礼なんですよ?」


「どうして?」


「それこそハッキリしないからでしょ!ダメならダメって言わないといつまでたっても彼女は叶わぬ恋に溺れ続けるんですよ!」


 う… つまり不必要に優しくするから勘違いされるんだと言いたいのか。


 はぁ… ほんっと女難の相だね。


 結局全部自分で巻いた種なんだけどさ、耳が痛いとはよく言ったものだよ。


「わかった…」


 俺は立ち上がるとその場を離れ歩き出す、行き先なんてないんだけどとりあえず前に進むんだ。


「どこへ行くんです?」


「ひとっ走り、頭冷やしてくる…」


「ご飯は?」


「サーバルちゃんでもできるものはあるよ?こんな気分じゃ美味しい物なんて作れない、博士たちに子供たち見てもらって?」


 俺はバギーに乗ると、仕事を放り投げて宛もなく走り出した。




 だけど打ち付ける風は俺を慰めてくれない。


 きっと彼女のことも。

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