「さて……と」

「あの、ヘンゼルさん……」


「ん?」

「いや、あの。コレは……」


 思わず目の前に置いてあるモノに驚いた。それは、『小麦粉』と大きく書かれた袋が置いてあったからである。


「あの……賞味期限は切れてないですよね?」

「……マシューは俺が賞味期限の切れたモノを平然と使っていると思っているの?」


 でも、僕は『トラウマ』の話を聞いていた。そして、そのせいで『小麦粉』が使う事が出来ないという事も……


「でもまぁ、使いもしないのにいつも買っては賞味期限を切らす……って事を繰り返してさ、何しているんだって俺でも思う時があるよ」


 自虐的じぎゃくてきに笑いながらも、やはりその表情は少し暗い。


「でっ、でも今回使おうって思ったんですよね?」

「昔のレシピ通り作ろうと思ったらやっぱり、使った方がいいと思ってさ」


「……大丈夫なんですか?」

「大丈夫……だと思っている」


蕁麻疹じんましん出ませんか?」

「大丈夫……多分」


「本当に大丈夫なんですか?」

「……そう言われると自信がなくなってきた」


 ヘンゼルさんは、目に見えてしぼんでいっている。そんな『動物』の僕でもよく分かった。


「とっ、とりあえず作って行きましょう?」

「……君が聞いたんじゃないか」


「すみません。大丈夫なのかなと思ってしまって……」

「まぁ、そう言いたい気持ちは分かるけどさ……」


 ふて腐れた顔でブツブツ言いながらもヘンゼルさんは『お菓子』を作り始めた……。


◆ ◆ ◆


「そんじゃさっそく、下準備から」

「はい」


 僕の返事を聞いて早速ヘンゼルさんは、まな板に置いた『バニラビーンズ』を包丁で種だけを取り出した。


「次は、このボウルに『卵黄』と『グラニュー糖』を入れて混ぜる」

「……ヘンゼルさん」


「ん?」

「今回『洋ナシ』を使うんですよね?」


「うん、そうだよ」

「洋ナシを使ってどういったお菓子を作られるんですか?」


 こう聞かれてようやく「あっ、忘れていた」という顔で、ヘンゼルさんは下準備を止めた。


「ごめんごめん、言い忘れていたね。今回作るのは『洋ナシのクレームブリュレ』だよ」

「クレーム? ブリュレ……ですか?」


 残念ながらこの『クレームブリュレ』という言葉に聞き覚えはない。


「えっと、『クレームブリュレ』は『カスタードプディング』って……まぁ『プリン』に似たデザートの事を言うんだよ」

「あっ、そうなんですか」このお店でも『プリン』は売っている。しかし、まさかこの『クレームブリュレ』が似ているモノだとは思ってもみなかった。


「それで『クレームブリュレ』はフランスという国の言葉で「焦がしたクリーム」という名前のとおり、『カスタード』の上面には、『砂糖』をグリルやバーナーで焦がした、硬い『カラメル』という層が乗っているんだよ」

「なるほど、そこがちょっと『プリン』と違うんですね」


「まぁ、一口に『プリン』と言っても色々な種類があるんだけどね」

「あっ、じゃあ一概に違うとは言えないんですね」


 すぐさま僕は、自分で勝手に早合点していた事に気が付いた。


「それで、通常は『ラメキン』の皿に……」

「ラメキンって何ですか?」


「ああ、『ラメキン』って言うのは、こういったオーブン料理に使う丸型の容器の事を言うんだよ」


 実物を見せた方が早いと思ったのだろう。ヘンゼルさんは近くにあった『皿』を一つ手に取り、ゴト……と静かに置いた。


「ちなみ、『クレームブリュレ』この皿に卵液たまごえきを流し込んで調理して、固まったカスタードの上に砂糖をふりかけて焦がし、器のまま冷して通常は出されるんだよ」


 そう言ってヘンゼルさんは『ラメキン』のお皿を元の場所に戻した。


「それで実は……この下準備、1日寝かせないといけないんだよ」

「……えっ」


「でも、姉さんが来るのは1週間後だって言っていたから大丈夫」

「いや、大丈夫……ってそういう問題じゃないですよね? ヘンゼルさんがあまりにもお父様と会うのを嫌がったから、1週間後にもう一度来る……って事で延期になったんですよね」


 僕がまくし立て、せまるように言った事にヘンゼルさんは驚いていた。が、その『グレーテルさんが1週間後に来る理由』は完全にヘンゼルさんのせいである。


 あまりにもかたくなに拒絶した為、グレーテルさんも途中で諦めそうになったが、僕が妥協案として『1週間後にもう一度来てもらう』という事で話を切り上げてもらったのだ。


「でも、そのおかげでコレを作ることが出来る訳なんだしいいじゃない?」

「確かに、思い出のモノを作るキッカケが出来たのは良い事だと思います。ですが、それとこれとは別の話ですよね」


 どうやら僕の指摘が適切だったのか、ヘンゼルさんはまたふて腐れた表情になった。


 しかし、ここまでこう何度もふて腐れると、完全に『おもちゃを買ってもらえない子供』の様に幼く見えてしまう。……いや、泣きだしたりわめき散らしたりしないだけまだマシなのかも知れない。


「でも、連絡する方法がないから今度姉さんが来るまでどうしようもないじゃん」

「それは……そうですけど」


「じゃあ、来るまでに完璧にして、父さんに美味しいモノを出せるようにするよ」

「ぜひ……そうしてください」


 若干投げやりにはなってしまったが、僕の言葉を聞くと「うん、そうしよう」と言いながら先ほどの『卵黄』と『グラニュー糖』が入ったボウルに『バニラビーンズ』を入れて全体をよく混ぜた。


「それで、ここに『生クリーム』と『牛乳』を加えて更に混ぜて……」


 ヘンゼルさんは次にそのボウルの上にラップをした。


「ただ問題は、冷蔵庫に入れて……」

「1日寝かせるんですか?」


「うん、そうなんだよ」

「……そうしないと出来ないのであれば、致し方ないですね」


 ゆっくりと冷蔵庫に入れているヘンゼルさんに、僕はヘンゼルさんの背中に向かってため息交じりに言った。


「……ん?」


 今日のヘンゼルさんのよく行動を思い返してみると、あの『小麦粉』も使った覚えがない。


 正直、序盤じょばんのあのやり取りはなんだったのか……と言いたいくらいだ。でも、1日寝かさなくてはいけない。


 だから、僕は今日も特に何も言わずに厨房から出て行くヘンゼルさんの後ろについて行った……。


 でも、その『クレームブリュレ』寝かす事によって、ヘンゼルさんがちゃんと休んでくれるのなら、それはありがたい話だった。

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