「さて」

「ヘンゼルさん……」


「分かっているよ。ちゃんと作り終わったら寝るって」

「……とか言って僕が寝ているすきに起きて……とかやめて下さいよ」


 僕の言葉を聞いた瞬間。ヘンゼルさんは気まずそうに「ないない……」と言いながら僕から視線をそらした。


 実はヘンゼルさんが『夏風邪』で倒れた後、僕はヘンゼルさんに『睡眠をよくとる様に!』と口酸くちすっぱく言う様になった。


 でも、元々の生活が『自分が納得できるまでやる』という事が大前提ぜんていあった人間にとって、その生活をいきなり変える……というのは、なかなか難しい様だ。


 確かに昔からそういう生活をしている人間に「いきなりそれを変えろ」言うのは、なかなか難しい話なのだろう。


 でも、僕が寝ている間に起きて『お菓子作り』をしているヘンゼル姿を見た時は、「仕方ないか……」という気持ちとちょっと裏切うらぎられたような寂しさがあった。


 当然、ヘンゼルさんに声はかけたけど……


 その時、見せたヘンゼルさんの「あっ、しまった……」という様なバツの悪そうな顔は今でも覚えていて、思い出すと少し笑いそうになる。


「ところで……俺って、どれだけ信用されていないの」

「ヘンゼルさんは、前例ぜんれいがありますので」


「たった一回だけじゃん」

「一回でもあれば、いつ同じことやるか分からないって思われても仕方ないですよ」


「えー」

「そんな事を言ってもダメです……」


 このやり取りをしている最中も僕の視線の先には、ものすごく大きな箱を二、三段くらい重ねたモノが置いてあった。


 しかし、その大きく四角い三段ほど重なったモノが何かは分からないまま、ヘンゼルさんは一番下に水を入れた。


「はぁ、これも信頼しんらいかぁ」

「当たり前です。信頼を取り戻すために頑張ってください」


 僕がそう言うと、小さく「分かったよ」とため息混じりに呟いた――。


◆ ◆ ◆


「さて……そんじゃ、時間がないから早速始めようか」

「そうですね」


 気を取り直して……とヘンゼルさんは、手を洗いながら『ノート』をパラパラとめくった。


 どうやらこの『ノート』に、基本的な『蒸しパン』の作り方が書かれており、そこに『サツマイモ』を使ったアレンジを加える様だ。


「まず……」


 ヘンゼルさんは、ボウルに『米粉』と『コーンスターチ』、『水』に『てんさい糖』と『塩』をひとつまみ入れた。


そのままなめらかになるまでよく混ぜ、ボウルにラップをして冷蔵庫に入れていた。


「たったコレだけですか?」

「うん、とりあえず冷蔵庫に入れて三十分くらい生地をねかせないと」


「へぇ。じゃあ、その間ちょっと暇になりますね」

「ううん。その間にサツマイモを五ミリくらいの角切りにして十分ほど水にさらしておかなくちゃいけないし、明日の仕込みも今のうちにしておきたいから、暇……って訳なじゃないね」


 なるほど……。今日はどうやら前もって仕込しこみ……いや、準備をする様だ。


「あっ、そうですね。明日の準備は早めにした方がいいですね」


 その方が早く寝てもらえる。それは僕としても……とても嬉しい話だ。


「でも、なぜサツマイモを水に入れるんですか?」

「こうするとサツマイモの変色へんしょくを抑えられるんだよ」


「なるほど」

「そういうひと手間が大事なんだよね。料理って」


 確かに、『お菓子作り』に限らず『料理』には『ひと手間』というモノが大事だ。ただ、本当に必要なモノではなく『余計』なひと手間になる事もある。


 そうした『余計なひと手間』が逆に完成させた『料理』を崩壊させてしまう事もある。だから結局、最初のうちは手順通りレシピ通りに作るのが大事なのだろう。


 ただ、どうしてか料理が苦手な人に限って『その通り』に作ることが出来ないにも関わらず、下手に『手間』を加えてしまう事が多い……という事はよく世間話をしている主婦の方から聞いた話だ。


「さて……そんじゃ、さっそく『かぼちゃボーロ』の生地を作ろうかな」

「? なんですか? その『ボーロ』って」


 ちなみに、この『かぼちゃボーロ』は、小さいお子さんを連れているママさんに人気の商品だ。


小さく、丸い軽い食感が特長とくちょうのお菓子である。


「えっと、ポルトガルって国では主に『ケーキ』の総称で、特定の菓子の名前ではないけど、日本という国においては小麦粉、砂糖、卵、牛乳を材料とした『南蛮焼き菓子』の事を言うんだよ」

「えっと、つまり?」


「まぁ簡単に言えば、『クッキー』とかと同じ『焼き菓子』って事だよ」

「でも、小麦粉は……」


「えっ? 使わないけど?」

「……」


 さも当然の様にキョトンとした顔で、ヘンゼルさんは僕の質問に答えた。


「まぁ、これも生地を寝かさなくちゃいけないから、生地だけ作って後は明日……かなぁ」


 天井を見上げながらそうつぶやきながらヘンゼルさんは、先ほどから気になっていた『大きく重なったモノ』を使って、『かぼちゃ』を蒸していた。


 どうやらこれは……何かを『蒸す』ための道具なのだろう。


 次にヘンゼルさんは用意したボウルに『皮の付いていない蒸したかぼちゃ』と『てんさい糖』、『塩を少し』入れ、ヘラで『かぼちゃ』を潰しながらよく混ぜ、『てんさい糖』を溶かした。


 よく見ると、生地はとてもきれいな黄色になっている。


 いつも見ていて気が付いたが、ヘンゼルさんの作る『お菓子にはちょっとした特徴』がある。それは『てんさい糖』と『ココナッツオイル』をよく使う……という事だ。


 今回も『ココナッツオイル』を溶かしたものをボウルに入れてよく混ぜている。


「あっ、いい匂いがしてきますね。何ていうか……甘い感じの」

「まぁ、『かぼちゃ』も『サツマイモ』も種類によるけど、基本的に甘いからね。お菓子によく合うんだよ」


 うれしそうな顔をしながらヘンゼルさんはさらに、『片栗粉』と『ベーキングパウダー』を加え、粉気こなけがなくなるまで混ぜ、ラップに包んで四角くまとめた。


「次に、冷蔵庫で十から三十分くらい冷やす……と、そんじゃこっちは仕上げようかな」


 そう言って今度は、先ほど冷蔵庫に入れていた『蒸しパン』の生地に『ベーキングパウダー』を五グラム加え、一分ほどすばやく混ぜた。


「それで……」

「あっ、ここでもこの大きなモノが登場するんですね」


「大きいモノって……これは『蒸し器』って言うんだよ」

「蒸し器……蒸すための道具ですか?」


「まぁ簡単に言えばね、コレがなくても作れなくはないけどね。コレを使った方が僕はラクだから使っているんだよ」

「あっ、そうなんですね」


 なんてやり取りをしながらヘンゼルさんは、手際よくカップに流し込んで水気みずけを切った『サツマイモ』を入れ、白い蒸気じょうきの立った『蒸し器』に入れて強火で蒸した。


「あっ、そういえばこの『ご注文をされたお客様』が帰った後、そのご近所に住んでいる方が来たから聞いたんだけど」


 蒸しパンを蒸している時、ヘンゼルさんは思い出した様にこの『蒸しパン』を注文した『ヤギ』の話を突然話し始めた……。

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