「あの……でも、言いにくい事なら」


 無理に話してくれなくていい……。


 多分、人の『過去』を知ってよかった……と心の底から思えるのは……ほんのわずかでしかないはずだ。


 それに……元々僕たち『動物』たちもあまり『過去』について執着しゅうちゃくをしない。


「……いいえ。むしろ、あなたは知っていた方がいいわ」

「えっ」


「あの子の『トラウマ』を克服こくふくさせるためにも必要だし、ヘンゼルもそれを望んでいるはずだから……」

「……」


 そう言ってくれるのであれば……教えてくれるのであれば、教えて欲しいと思ってしまう。色々な思いはあるけれど、やっぱり気になるモノは気になるのだ。


「じゃあ……。あれは、私たちがまだ幼かった時の話なんだけど……」


 グレーテルさんはポツポツと昔の記憶の糸を手繰たぐるる様に語り始めた――。


◆ ◆ ◆


 グレーテルさんとヘンゼルさんはその昔、木こり……森林の樹木じゅもく伐採ばっさいして生計を立てている職業の貧しい両親に育てられた。


 農作物がうまく育たない影響で、その当時はどこの家庭も貧しかったらしい。そんな、『パン』も手に入らないほど貧しい日が続いた夜の事だった。


「実は、私たちを産んだ母親はすでに亡くなっていてね。父は『再婚』したんだけど、その人が父に向かい「食べ物に困っているから、子供たちを森に捨てましょう」って話をしているのを……私。偶然聞いちゃったのよ」

「……そんな親の勝手で」


 正直。僕はその『再婚相手さいこんあいて』の会話の内容には耳を疑ってしまう。


 しかし、そんな話を聞いてグレーテルさんたちが何もしない……なんて事はなく、一度森に連れられて行った時は、あらかじめ集めておいた白い石を落とし、それを目印にした事により、無事に帰える事が出来た。


「父はとても喜んでいたわ。あの人も……表面上ひょうめんじょうは喜んでいた」

「表面上は?」


「いわゆる、『顔は笑っているけど、目が笑っていない』ってヤツね。あの人、目でモノを言う人だったから」


 それはまさしく、今のグレーテルさんにも当てはまる……とその時思ってしまってしまうほど、今のグレーテルさんの目の奥は……笑っていなかった。


 しかし、それだけで話は終わらず、再び『パン』が手に入らなくなり、二人はもう一度……今度はもっと森の奥へと連れて行かれた。


 しかも、前回戻って来られた理由がバレてしまっていたのか、その時は石を拾うことが出来ず、結局ヘンゼルさんとグレーテルさんは森の中をさまよう事になった。


「三日さまよって、その時見つけたのが『お菓子の家』だったの」

「あの……ものっすごく、怪しい匂いがします」


 それが率直な僕の感想だった。いや、本当に森の中にそんな『家』が現れれば、おかしいと思うのが普通だろう。


 だからこそ、そう言ったのだが、グレーテルさんは大きな声で笑った。


「はは……。そうね、でもその時の私たちはとりあえず空腹だったの」

「そうでしょうね」


「だからだったのかしら、その時に現れたお婆さんの後を素直について行ってしまったのは」

「それで……どうしたんですか」


 若干食い気味で話の続きを希望した僕に、グレーテルさんは少し苦笑いをしながらも、話を続けてくれた……。


「実は、そのお婆さん。子供をおびき寄せる悪い人だったのよ」

「えっ」


 しかし、その時のグレーテルさんとヘンゼルさんはそんな事は夢にも思わず、その日は暖かいベッドで寝たらしい。


ただ、問題はその次の日の朝からだった。


 まず、ヘンゼルさんを狭い家畜かちく小屋ごやに押し込んだお婆さんは、ヘンゼルさんを太らせるために、グレーテルさんに食事を作る様に命令した。


「……そのお婆さんが自分で作ればいいじゃないですか」

「それがね。そのお婆さん、実は目が不自由だったのよ」


「ああ、なるほど」

「ええ、だからね……」


 お婆さんは太った事を確認するために、毎日ヘンゼルさんの腕の太さを測る事で太ったかどうかを確認していた。


 ただお婆さんの目が不自由だったそのおかげで、ヘンゼルさんは食事をした際に残った骨を使っていたらしい。


「でも、さすがにお婆さんの我慢も限界になって、私に大鍋でお湯の準備をしろって命令したの」

「それで……グレーテルさんは準備したんですか」


 普通であれば、当然拒否しただろう。しかし、この時は状況が悪すぎる。もし、命令に背けば……と考えるだけでも幼い子供は、おびえるだろう。


「だから、やるしか……方法がなかったの」

「…………」


 それにもし、その時に命令に背けば、グレーテルさんはここにいれなかったかも知れない。


「それで、お婆さんがパンの焼け具合を確かめろって突然私に言いつけたの」

「なぜ?」


「窯に私を入れる為ね」

「……」


 サラリと言ったその言葉を聞いて、僕は思わず絶句してしまった。


「でも、私は窯の使い方が分からないふりをして、お婆さんが入った瞬間に……」

「扉を閉めた……ですか」


 僕の言葉に、無言で首を縦にふった。


「実はね。あの窯の近くがヘンゼルの閉じ込められていた家畜かちく小屋こやで……」

「……?」


 グレーテルさん曰く、パンがまから突然うめき声が聞こえ、ヘンゼルさんはものすごくおびえていたらしい。


「ただ、問題はそのうめき声が聞こえて来たのが『パン窯』ってところでね。あの子、それ以来『小麦粉』が苦手になってしまったの」

「…………」


 理由はどうであれ、確かに今の話はかなりショッキングだった。


「最初の頃は、本人も気づいていなかった様だけど、いざ『お菓子職人』になるって修行を始めたころにね、突然『蕁麻疹じんましん』の様なモノが出たらしいの。しかも、『小麦粉』を使った時のみ」

「……」


 ただ、そこまでひどい『蕁麻疹じんましん』ではなかったため、日常生活に支障は出なかった。


 しかし、ヘンゼルさんのお師匠さんはヘンゼルさんの今後を心配して『小麦粉』だけではなく、『米粉』を使う『お菓子作り』も教えたらしい。


「でも、医者に聞いても『蕁麻疹じんましんの原因』は分からず仕舞いでね。精神的なモノだろう……ってしか言われなかったの」

「……」


 医者に見せても、そうとしか言われなかったのであれば、結局『原因不明』………という事だろう。


 しかし、医者に通う事で多少はその『蕁麻疹じんましん』の症状も徐々に改善された様だ。


「まぁでも、何とか修行を終えて自分のお店を出すことも出来たし、それに『米粉』を使ったケーキでコンクールでも金賞を取ることが出来たから」

「だったら……」


 無理に『小麦粉』を使う必要はない様に思える。


「ただ、ヘンゼルとしてはやっぱり『米粉』でも『小麦粉』でもどちらも作れるようになりたいと思っているのでしょうね」

「別にそこまでこだわらなくても……」


「あの子は『真面目』だから……それをよしとはしないのよ」

「……」


「ヘンゼルは、自分をアレルギーはないって言っているわ。だから、あの『蕁麻疹じんましん』は『過去のトラウマ』からくる『一種の拒絶反応きょぜつはんのう』だと思っているの」

「……」


「ただ、ごめんなさいね」


 突然の謝罪に僕は、頭にクエスチョンマークを浮かべた。


「こんな話。聞いてもつまらなかったでしょ?」

「いえ、最初に聞いたのは僕ですし、何となく納得も出来ました。確かに、ヘンゼルさんの過去には驚きましたけど、あの人が抱えていたモノを知ることが出来てよかったです」


「そう言ってくれると……助かるわ」

「ただ……」


 チラッと厨房にかかっている『あるモノ』に視線を向けた。


「?」

「今の話をしている時間が思ったよりもかかったらしいので……そろそろ作りにかからないと、ヘンゼルさんが起きてしまいます」


「えっ、あらやだ。もうこんな時間じゃない!」

「急いで準備をしましょう。ボールはこちらです」


 僕がそう言うと、グレーテルさんはバタバタしながらも準備に取り掛かった……。


「こちらです……じゃなくて、時間がないですってちゃんと言ってよ」

「いえ、そこはちゃんと話を聞かないと失礼かと思いまして」


 それに、下手に途中で話をさえぎったら……怒りそうである。


 なんて事を思ったが、口にした瞬間何が飛んでくるか分からないので、その言葉は胸にとどめておく事にした。


 ただ、そんな事をしなくても今のグレーテルさんの目に僕は入っていないだろう。


 なぜなら、グレーテルさんはあまりに慌て過ぎて、色々なところに足をぶつけてはその度に悶絶もんぜつしていたから……。



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