「あっ、あの……どっ、どうして僕の事を……」

「ヘンゼルから手紙をもらってね」


「えっ、手紙……ですか?」

「ええ。とってもかわいい『リス』が新しく店員になってくれたって」


「そうだったんですか……」

「まぁ、それで一度ここに来てあなたを紹介してもらおう……って事になって、今日が定休日だから……って来たのに、着いたらいきなり倒れているんだもの。驚いたわ」


 確かに『手紙』を受け取り、いざ会いに来ていきなりその手紙の差出人さしだしにんが倒れていたら……誰だって驚く。


「驚かせてしまって、すみません」

「それは別にいいのよ。どうせあの子が寝る間も惜しんで、お菓子作りに没頭していたツケが回ってきただけなんでしょうから」


 僕は「あはは……」と苦笑いをするしかなかったが、まさしくその通りである。


 それに姉と言っている『グレーテル』さんが、クスクスと笑っている所を見ると、どうやらヘンゼルさんは、昔から物事に没頭すると、寝る事すら忘れてしまう人だった様だ。


「でも、ちょうど何かを見計らったかの様に『定休日』に倒れる辺り、さすがね。お客様には迷惑はかけない」

「……僕には驚きと迷惑がかかっていますけど」


 そんな愚痴ぐちに、「違いないわね」とグレーテルさんも笑っていた。


「でも、なぜ『手紙』だったんですか?」

「えっ、だってここ。森の中だから、連絡方法れんらくほうほうと言ったら『手紙』くらいしかないでしょ? 森の自然を破壊しない様に……という事で」


 ――そう、この世界。


 お互いが会話する事が出来るだけあって、言いたい事を言い合い、喧嘩けんかをしてしまう事が実は結構多い。


 つまり、どちらも『要望』や『要求』が尽きない。


 しかし、その両者の『要望』や『要求』を全て容認することはどうしても無理だ。なぜなら、その『要望』や『要求』の中には、お互いにとって不都合な場合が含まれているからだ。


 どちらかを立てても、もう一方が黙ってはいない……。ずっとグルグル……イタチごっこをしている。


 そして、このお店がある森も、『環境破壊かんきょうはかい』を懸念けねんして、『土木どぼく工事』という事をあまりしない。


「まぁでも、オーブンとか冷蔵庫は使えるから、お店は出来るのよね」

「……そうですね」


 ただやはり人が多くいるような場所とは違い、不自由な事も多い。でも、ヘンゼルさんはわざわざここを選んでお店を開いた。


 それを考えると、本当に今更ではあるが「なぜ、ここでお店を開こうと思ったんだろう?」という疑問が頭をよぎる。


 でも、そんな疑問をグレーテルさんにしたところで分からないだろう。つまり、ここはやはりヘンゼルさんに聞くべきだ。


「それにしても、これだけ暑いと何か冷たいモノが食べたくなるわね」

「……そうですね」


 確かに……グレーテルさんの言うとおり、やはり『冷たい物』を体が欲してしまうほど、かなり暑い。


「ついでに、ヘンゼルにも出してあげたいわね。あんまり体を冷やすのは良くないとは思うけど、水分補給すいぶんほきゅうの代わりに……って事で」

「……ついで、なんですね」


「あら、そんな事言っていたかしら」

「……」


 ヘンゼルさんも、かなり抜けている所があるが、どうやらグレーテルさんもヘンゼルさんに負けず劣らずどこか『抜けて』いる部分があるらしい。


「でも、どうせならあの子の好きなモノ……そういえば、今は何が旬なのかしら?」

「……すみません。僕、そういった事はあまり詳しくないです」


 一瞬ではあったが、グレーテルさんから「あなた、知っている?」という視線を向けられたが、下手に答えを言う訳にもいかず、素直に謝った。


「そう。あっ、そういえば……」

「?」


 突然何を思ったのか、グレーテルさんはぐっすりと眠っているヘンゼルさんの隣に置いてある机の棚から何やら『ノート』の様なモノを取り出した。


「あったあった。とりあえず、これを借りて『レシピ』を見ながら作りましょ」

「いいんですか? 勝手に持ち出して……」


「だって、レシピがないと作れないもの」

「……いや、そうかも知れないですけど」


 正直、そういう問題ではない。それにいくら姉とは言え、勝手に『レシピ』を持ち出すのもどうか……とも思う。


「でも、前にヘンゼルから言われたのよ。他の『ノート』はダメだけど、この『星型のマーク』が付いたものはいつでも使っていいって」

「あっ、そうだったんですね」


 でも、本人からその許可を得ているのであれば、話は別だ。


グレーテルさんの主張に納得なっとくした僕は、グレーテルさんと一緒にヘンゼルさんの部屋を後にした。


◆ ◆ ◆


「えーっと、まず今の旬の果物は……うん。『ぶどう』の様ね」


 ノートをパラパラとめくったグレーテルさんは『あるページ』を見つけ、そのページを見ながらそう言った。


「特に、『巨峰きょほう』と呼ばれる品種は八月中旬ちゅうじゅんから九月中旬ちゅうじゅんだから、ちょうどいいわね」

「あっ、ちょうどここにありますよ」


 僕たちのいる厨房の冷蔵庫には、ちょうど『巨峰きょほう』と書かれた大きい『ぶどう』が置いてあった。


 だが、二つに分けて置いてあるところを見ると、どうやらそれぞれ違った使い方をするつもりなのだろう。


「じゃあ、それをもらいましょうか」

「そうですね」


 元々使うつもりだったのだから、大丈夫だろう……と僕は勝手にそう思う事にした。


「あら懐かしいわね。『巨峰きょほうのグラニテ』があるじゃない……。」

「?」


 さらに、ノートを読み進めていたグレーテルさんはまた『別のページ』で手を止めた。


「実はコレを昔ね。作った事があるのよ」

「そうだったんですね」


 そんな幼い時の事を思い出したのか、グレーテルさんはどこか懐かしそうな顔をしていた。


「あっ、『ぶどう』には、ポリフェノールを多く含んでいて、動脈どうみゃく硬化こうかとか心筋梗塞しんきんこうそくを防ぐ効果が……」

「えっ……と?」


 しかし、グレーテルさんはすぐにそのページに書かれている『効果』について話始めたのだが……どれも難しい単語で当然、僕には全然意味が分からなかった。


「まぁ、簡単に言うと『血管を固くしにくくする』効果があるみたいね。他には『視力回復』と『老化防止』……あっ、『肉体が疲れている時の栄養補給する』効果もあるみたい」

「そんな事まで書いてあるんですか」


「ええ。どうやらこのページには旬の果物やその効果について書いてあるみたい」

「……そうなんですか」


 パラパラとページをめくるグレーテルさんを横目に僕は改めて、ヘンゼルさんがいかに『真面目まじめ』な性格なのか分かった気がした。


 いつもは『お客様』の顔すら覚えるのが苦手で、どこか間の抜けた様な人ではあるが、やはり最初に感じていた通り……すごい人の様だ。


 それだけになぜ、こんな場所で『小麦粉』を使わない『お菓子』を作り、販売しているの……謎だ。


「……あの、一つ。聞いてもいいですか」

「ん? 何?」


「なんで、ヘンゼルさんはアレルギーでもないのに、『小麦粉』を使おうとしないんですか? それに、なんでこんなところで……」

「……『お菓子』を作っているのか……ね」


 僕の言葉をさえぎる様に、グレーテルさん言葉を続けた。


「……」

「まぁ、そうよね。疑問に思って当然よね……」


「教えてください。何かきっかけがなければ、こんな状況には……」

「そうね。マシュー君なら、言っても大丈夫よね」


 まるで、自分に許可でももらっているかのように、グレーテルさんは僕にも聞こえるか聞こえないか……それくらい小さな声で呟いた――。

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