5.グラニテ


「はぁ、暑い」

「そうですね。大分だいぶ暑くなりましたねぇ」


 雨降る季節も終わり。今ではセミの鳴き声響く『暑さ厳しい』季節がやって来ている。


 ――こんな暑さが続く日は『冷たい物』が食べたくなる……。


「そうだね。これだけ暑いと『シャーベット』とか『グラニテ』を食べたくなるね」

「なんですか? その『グラニテ』って」


 いつもヘンゼルさんの口から出てくる言葉は聞きなじみのないモノが多く、そのほどんどはお菓子関係のモノばかりだ。


「あれ、知らない? まぁ、『シャーベット』とあんまり変わらないけど、フランスって国の料理のコースで出される氷菓ひょうかの事だよ」

氷菓ひょうか……ですか?」


 この『氷菓』も聞きなじみのない言葉だ。


「一般的なモノは、果汁などを氷結ひょうけつさせた冷菓れいかの事を言ってね。そもそも冷菓れいかって言うのは簡単に言うと、冷やして出す『お菓子』の事を言うんだよ」

「なるほど」


 どうやら一口に『お菓子』と言っても色々な種類がある様だ。


「まぁ、コース料理の中で出される……と言っても肉料理の後のお口直しとか、デザートとして出されることが多いね」

「……なるほど。『シャーベット』とは違うんですか?」


「うーん。『シャーベット』には『メレンゲ』が使われたり、砂糖や牛乳、時には『ゼラチン』を使ったりして甘めに作られるんだけど、『グラニテ』は……どちらかというと『かき氷』に近い感じだね」

「それは……つまり『グラニテ』は、あまり甘くない……という事ですか」


「まぁ、そうなるね。元々コース料理の口直しで出すモノだし」

「そうですね」


 何にせよそんな『冷たいお菓子』が食べたくなるこの季節は、僕たちに『動物』たちにとっては地獄の時期になる。


「あっ、そっかマシューは毛皮におおわれているもんね」

「……間違ってはいませんけど『毛皮』って言い方はやめてもらえませんか」


「うーん……。じゃあどう言えば?」

「それは……とっ、とりあえず違う言い方をしてください」


「あっ、誤魔化ごまかした」

「うるさいです」


 こんなやり取りが出来るのも、ひとえに今日が定休日だからだろう。


 ただ、今日のヘンゼルさんは様子が少しおかしい。ヘンゼルさんがここまでダラッとしている事がめずらしい……を通り越して、やはりおかしい。


 いつもであれば、多少はこういう事を言う場合もあるが、態度にまでは出ない。


 それが今日は、店内にある机に肩ひじをついて気怠けだるそうな上に、その表情はどこか上の空だ。


 確かにここ最近の忙しさを考えると、『症候群しょうこうぐん』になってもおかしくはない。


「あの、ヘンゼルさん」

「んー?」


「今日はお休みなんですから、ゆっくりと……」


 そんな事を言いながら僕はヘンゼルさんの方を向いた。


 本当はその後に「休まれたらどうですか?」と言葉を続けて言うつもりだったのだが――。


「……へっ、ヘンゼルさんっ!」


 振り返った直後、僕は目の前の光景に驚いた。


 なぜなら、ついさっきまで気怠けだるそうに机で肩ひじをついていたはずのヘンゼルさんが「ドンッ!」という音と共に机から落ち、そのまま動かなくなってしまっていたからだ。


「どっ、どうされたんですか!」


 あまりの驚きに声がうわずってしまった。


 しかし、今はそんな事を気にしている余裕はない。それに、ヘンゼルさんは僕の問いかけに返事もせず、辛そうに息を「はぁ……はぁ」と吐いている。


「えっと、えっと……」

オロオロしているわりに、何をどうすればいいのか勝手が分からず、ただただ辺りを見渡していた時。


「……ヘンゼル!?」

「えっ」


 突然聞き覚えのないヘンゼルさんの名前を呼ぶ『女性』の声が聞こえた。


「ヘンゼル、大丈夫!? ヘンゼル」

「あの……」


「あっ、そこのあなた。ヘンゼルの部屋を教えて」

「えっ、あっ……はい。こちらです」


 正直、この人が誰なのかすら知らないが、『ヘンゼルさん』の名前を知っているのだから多分、知り合いなのだろう。


 そう考えた僕は、その女性に言われるがまま案内し、その人はヘンゼルさんの腕を自分の肩にかけ、案内した部屋へと移動させた。


◆ ◆ ◆


「……夏風邪ですね」

「そうですか、ありがとうございます」


「こちらの薬を『食後』に飲んでください。高熱が出た場合や頭痛がヒドイ時は、さらにこの『薬』を飲んでください」

「分かりました」


「それでは……お大事にしてください」

「ありがとうございました」


 女性とお医者さんのがそんなやり取りを聞きながら、僕は布団でぐっすりと眠っているヘンゼルさんの顔を見ていた。


「それでは……」

「はい」


 その後、二人は階段をおりていった。


「ふー……。重かった」


 しかし、部屋を出て行った女性はお医者さんを見送った後、すぐにぐるぐると肩を回しながら戻って来た。


「……ありがとうございます」

「えっ?」


「いえ、僕一人じゃ……どうしたらいいのかすら分からなかったので……」

「ああ、いいのよ。出来る事と出来ない事があるのは当然の事よ」


「すみません」

「だから、謝らなくていいって」


 女性はそう言ってくれだが、やはり何も出来ずにオロオロしていただけの僕は『情けない』という気持ちになった。


「とりあえず今は……ゆっっくりと寝てもらいましょ」

「……そうですね」


 女性はヘンゼルさんの寝顔を優しそうに微笑みながら、そう言った。


「本当にこの子は……昔から頑張り屋さんだから」

「あなたは……ヘンゼルさんのお知合い……なんですか?」


「ええ、知り合い……というよりは、家族ね」

「家族……」


「そう、私はヘンゼルの姉で『グレーテル』と言うの。よろしくね、マシュー君」

「えっ、あっ……よっ、よろしくお願いします」


 僕は思わず驚いた……。なぜ、僕の名前を知っているのか……と。


 もちろん、自己紹介をした覚えもない。それに僕は、この人の事を全くと言っていいほど知らない。


「うふふ」


 そんな僕の心情を知ってか知らずか、ヘンゼルさんの姉を名乗った『グレーテル』さんは、ニッコリと穏やかな笑みを浮かべたまま僕を見ていた――。

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