③
まだ数回目なのにも関わらず、この状況に慣れつつある自分に驚きを感じながら、僕とヘンゼルさんは
「そんじゃ、まずはスポンジケーキを作るよ」
「あの『小麦粉』は……」
「まぁ……使わないね」
「……」
分かってはいたが、やはり『ケーキ』で必要なはずの『スポンジ』ですら、ヘンゼルさんは『小麦粉』を使わない……というより使う『気』がないらしい。
確かに、アレルギーがある人にとっては、とてもありがたい話だとは思う。
ただなぜ、ヘンゼルさんがそういったアレルギーがある訳でもないのに、わざわざそういう作り方をしているのかは、
もしかしてご家族の方で誰かそういったアレルギーを持っているからなのかも知れない……が、残念ながら今の時点ではそれすらも分からない。
「じゃあ、まず『豆乳』と『なたね油』と『てんさい糖』に、『塩』をボウルに入れて、泡立て器でよく混ぜて『てんさい糖』を溶かす……と」
そんな事を考えている内に、ヘンゼルさんはどんどん作業を進めていき……あっという間に『米粉』と『コーンミール』と書かれた袋を取り出し、計った後。茶こしでふるい入れた。
「コーンミール?」
「うん? ああ。これは、乾燥させた『とうもろこし』を粉にしたモノだよ」
「とうもろこし……ってもしかして……野菜の?」
僕の思っている『とうもろこし』は、
「これを『米粉』に混ぜると風味が増して、キレイな卵色の焼き菓子になるんだよ」
「じゃあ、今。茶こしを使われたのは?」
「ああ。それは、茶こしを使うと、きめ細かくふんわりとした食感になるから、ケーキ作りに向いているんだよ」
「……なるほど」
やはり、『お菓子』というモノは食感が大事ならしい。
「後は、『ベーキングパウダー』と『
「ほうでふか」
僕は近くにあるナッツが入った袋をゴソゴソと音を立てながら、食べていた。
「……あっ、ご飯の時間か」
「いふぁだいへまふ」
大体僕の『食事の時間』は決まっている。だが、最初の頃は遠慮していたが、今ではあまり気にせずマイペースに食べている。
「まぁ、そのまま食べていてくれていいや。次にレモン汁を加えて、すばやく五十回ほど混ぜる……と」
ヘンゼルさんが、混ぜるのを止めた瞬間――――
「おお」
思わずそんなの声が出てしまう程、生地がみるみる内にふくらんだ。
「ふくらんだらこれをすぐに……」
「?」
ヘンゼルさんはそう小さな声で呟くと、台の上で数回ボウルをバンバンと打ちつけた。
「どっ、どうしたんですか。ヘンゼルさん」
「ああ」
あまりの大きな音に僕は自分の耳を
「軽く空気を抜かなきゃいけないんだよ」
「あっ、そうなんですか」
何事もなく平然と答えたヘンゼルさんに、僕も落ち着きを取り戻した。
「後は、ボウルのまま、180度に暖めたオーブンで十分。その後百六十度に下げて二十から二十五分焼くんだ」
「後は……」
「焼き上がったら、すぐにボウルを逆さまにして網に乗せて、冷ます……と」
「それで完成なんですね」
僕が
「まぁ、『スポンジ』が完成しただけなんだけど、前にも言ったとおり『トライフル』は『フルーツ』や『スポンジ』、『カスタードクリーム』を交互に重ねたモノ……。そこで今回は『ヨーグルトホイップクリーム』を『カスタードクリーム』の代わりに使うよ」
「へぇ、でも……あの『ヨーグルトホイップクリーム』とは一体?」
「あれ? 言ってなかったけ? ここで使っている『クリーム』はほとんどこの『ヨーグルトホイップクリーム』なんだよ」
「そう……だったんですね」
この時になって初めて聞かされた。つまり、僕はお店で使われている『クリーム』についてすら何も知らなかったのだ……。
「まぁ、俺も何も言わなかったし、別に気にする事じゃないよ」
「……ですが、やはりここで働いている
「その気持ちだけでもありがたいよ」
「それで……その『クリーム』の作り方は……」
ヘンゼルさん曰く、ザルの上にキッチンペーパーをしいて『ヨーグルト』をのせて、
そして『てんさい糖』と『塩』を入れ、
どうやら生クリームの代わりにヨーグルトを使った『クリーム』なのだろう。
「じゃあ、焼き上がるまで待ちますか?」
「……そうだね」
オーブンを見ながら、ヘンゼルさんがそう言った瞬間……。
「おーい。店長さーん」
「!」
「……誰だろう? もう閉店しているはず……」
そう、お店はさっき看板をひっくり返し、きっちり閉めたはずだ。
「ん? どうした? マシュー」
「あっ、あの。いっ、今の声は……」
ただ僕にはその聞こえてきた声に聞き覚えがあった。しかも、出来ればもう『会いたくない人』だ。
「とりあえず、行ってくるな」
「あっ、はい」
一応返事はしたが、出来れば「すぐに戻って来て下さい」と言いたい気分だった。
◆ ◆ ◆
「こんにち……」
「いやー、すまん」
「あれ、どうされたんですか?」
玄関を開き、驚きの表情を浮かべたヘンゼルさんの前に立っていたのは……『
「実はな。ついさっき『お婆さん』が来ただろ?」
「ええ。確かに来られましたけど……それがどうかしたんですか?」
「いや、その『お婆さん』がちょっと……な」
「……と言いますと?」
「俺たち『
「話題?」
何やら言いにくそうな顔で店内の
ちなみに、僕は『
ただ、『
「なぜ? 普通はないですよね?」
「いや、それがな、ちょっと前にあの『お婆さん』と『お孫さん』が『オオカミ』に襲わ《おそわ》れ……らしいんだ」
「えっ!」
「俺たちも心配していたんだが……。助けた仲間のヤツが「大丈夫だ」って言っていたんだが、それでもやっぱり心配でな」
言われてみればヘンゼルさんが「最近来られていいなかった様ですけど?」と聞いた時、お婆さんは答えに困っていた。
「……ですが、わざわざそれを言いに来られたんですか?」
「いやぁ、あのお婆さんがここの『常連』で、最近来ていなくて……って、お前さんが買い物している時に言っていたって他のヤツらから聞いて。多分、この話知らないんじゃないか……なと思っただけだ」
「そうですか……わざわざありがとうございます」
「いや、俺も悪い。閉店している店に入るのは……悪いと思ったんだが」
どうやらこの人は、少々不器用でなところはあるものの『義理堅い』様だ。
しかし、そういった事をわざわざ言うのは気恥ずかしいらしく、それだけ言うとそのまま帰ろうとした時……
「おっと」
「どかされました?」
なぜかその人は、僕の方をチラッと見た。
「……そこにいる『小さな従業員』さん」
「えっ」
「!」
「……がんばれよ」
小さく呟く様な声でそれだけ言うと、他は何も言わず、そのまま足早に去って行った……。
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