「……どうかしたかい?」


 あまりに雰囲気がおかしいと思ったのだろう。お婆さんは不思議そうな顔をして首をかしげていた。


「いっ、いえ! お気になさらず! いらっしゃいませ!」

「……おや? 可愛らしいリスさんが新しく店員になったのかい?」

「はい。シマリスのマシューくんです」


 どうやらこの人は、ここ最近何やら理由があって来られていなかった『常連じょうれん』らしい。


「あっ、はっ初めまして。マシューと申します」

「おやおや、これはこれはご丁寧に」


 深々ふかぶかとおじぎをしたお婆さんの雰囲気に、僕たちも思わずほっこりとした気分になった。どうやらお婆さんが醸し出す穏やかな雰囲気は、癒しの効果があるらしい。


「ここにはよくお越しになるんですか?」

「ん? そうだねぇ」

「よくお越しになっていましたね」


 まるで昔の事を思い出すように、お婆さんとヘンゼルさんは天井を見上げながら小さくつぶやいた。


「ここ最近は来られなかったけどねぇ」

「そうですね。なにかあったのではないかと心配していました」

「……そんなに来られていたんですか?」


 正直、ヘンゼルさんが『心配する』という事自体に驚いた。かなり失礼かも知れないが、ヘンゼルさんと生活をする様になって、真っ先に分かったのが……『人を憶える事が苦手すぎる』という事だった。


 いや、もうそれこそ今まで何度も会い、昨日来店した『お客様』の顔すら忘れてしまうほどである。


 正直、新参者しんざんものの僕ですら分かるほどの『常連じょうれんのお客様』ですら忘れていた事もあった。


 しかし、この間の『白雪姫様』の様にみんな知っているような人のことはさすがに覚えている様だ。


「そういえば……毎週来ていらっしゃいましたよね?」

「ここのケーキもだけど、クッキーも美味しくてねぇ。それに孫も気に入っていたから……つい買っちゃって」

「いつも御贔屓ごひいきにありがとうございます」


 お互い笑っている姿は、どこか微笑ほほえましさも感じられる。


「よしてよ。私はもう七歳になる孫までいるお婆さんだよ」

「いえいえ、こんな場所までわざわざお越し頂いているのですから、まだまだお元気ですよ」

「でも、どうして最近来られなかったのですか?」


「……実はね。最近までちょっと体調を崩していてねぇ」

「そう……だったんですか」


 しかし、お婆さんはなぜか、僕たちから視線をはずしていた。そのあからさまな視線の外し方に僕は少し……違和感を覚えた。


「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」

「おお。そうじゃった」


 さすがにヘンゼルさんもその違和感には気が付いていたはずだ。でも、『お客様』が言いたくないモノをわざわざこちら側から聞くのはよくない……と考えたのだろう。


「実は、前に作ってもらったケーキをもう一度作ってもらいたくてねぇ」

「前……。ああ、『トライフル』ですか」


 平然とヘンゼルさんは返しているが、僕にはその『トライフル』が何なのか分からず、頭にクエスチョンマークを浮かべていた。


「そう、それ。実は五日後に孫が遊びに来るから、それまでに作ってもらいたいんだけど……出来るかい?」

「五日後……。はい、大丈夫です。受け取りの時間はいつ頃になりそうですか?」


 ヘンゼルさんは、カレンダーで日付や他の注文がないか……などをすぐに確認をした後すぐに返事をした。


「そうだねぇ……」


 いつも新規の注文は、時間や移動時間、アレルギーなどなど……詳しく聞くことがある。そのため今回もヘンゼルさんは細かくメモを取り、色々と質問をしていた。


◆ ◆ ◆


「ヘンゼルさん」

「ん?」


「あの……『トライフル』というモノは一体?」


 まだまだ勉強不足の僕はお婆さんが帰った後、改めてヘンゼルさんに聞いた。


「ああ。『トライフル』は、イギリスという国のデザートで、カスタードやスポンジケーキ、フルーツなどを器のなかで層を作る様に重ねたモノを言うんだよ」


「つまり、普通のケーキとは違ってその器に綺麗な層が見える……ということですか?」

「そうなるね。ちなみに語源は中英語からのものと言われていて『気ままなおしゃべり』とか、残り物。それに、あり合わせで作ったデザートだから『つまらない物』と言う意味合いがあるモノらしいよ」


 残り物……あり合わせ……。


 その語源の意味の話だけを聞いていると、正直美味しそうなもの……とはあまり思えない。


 しかし、実際に作られた物を見ていないので、簡単かんたんには言えない……はずだ。


「……へぇ、そうなんですか」

「うん。それからクリスマスにも出される事があって、それは重い食べ物である『クリスマスプディング』の代わりに軽いとされるから……とまぁ、代わりとしてだけどね」


「えっと……軽い?」

「カロリーとか、満腹感まんぷくかん……とかそういった感覚の様なモノだけど……マシューはあまり分からないかも知れないね」


 確かに、動物の僕にそういった人間の感じる感覚の話をされても分からない。


 しかし、今の話から『トライフル』という『お菓子』は透明な器にフルーツとスポンジケーキとカスタードを入れ、綺麗な層を作るモノ……という事は分かった。


 つまり、この『トライフル』にはガラスの器を使う……という事も分かった。


 なぜなら、綺麗な層が出来る……という話なのだから、ここはやはり外側も綺麗に見える『ガラスの器』を使うべきだからだ。


「とりあえず一回、作ってみようかな。ちょうどケーキもなくなったし」

「えっ」


 ヘンゼルさんは空になった冷蔵庫をチラッと見ながらつぶやいた。


 どうやらお婆さんは、『トライフル』を注文するついでに冷蔵庫にあるケーキを全て購入して行ったらしい。


 確か……僕の記憶が正しければ、五、六個はこの中にあったはずだ……。


 でも、お婆さんが一人で全てを食べきれるとは思えない。だからと言って、消費期限を無視する人とも思えない。


 もしそうだとしたら……先ほどお婆さん自身が言っていたお孫さんと一緒に食べるんだろう。


「じゃあちょっと早いけど、店じまいしようか」

「そう……ですね。ケーキがないのでしたら仕方ないですもんね」


 僕はヘンゼルさんの言葉にうなずき、慣れた手つきで閉店の準備を始めたのだった……。

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