「じゃあ、まず。この『てんさい糖』と『豆乳』と『塩』を入れて混ぜて……」

「……あの『てんさい糖』って何ですか?」


「ん? ああ。『てんさい糖』って言うのは、『砂糖大根』の根っこから作られた物で……あっ、『ビート』とも呼ばれるモノだね」


 この人にとっては『ビート』や『砂糖大根』と呼ばれるモノはなじみのあるモノかも知れないが、僕にとってはどちらも聞きなじみのない言葉だ。


「そっ。ちなみに『砂糖大根』は、コレだよ」

「!」


 そう言いながら僕の前に「ドンッ」とその『砂糖大根さいとうだいこん』と呼ばれるモノを置いた。


 しかし、形状は、確かに『大根』の様な……? いや、『かぶ』の様に見え、色も白いため、やはり『大根』というよりは『かぶ』という印象を与えた。


「……おっ、大きい」

「確かに、君と比べると……さらに大きさの違いがよく分かるね」


 その大きさは、僕と同じくらい……いや、もしかすると僕よりも大きく見えた。


「ちなみに『てんさい糖』にはパウダー状のモノと、粒状のモノがあるけど……俺はパウダー状のモノをよく使っているよ」

「なぜ?」


「まぁ、ただ単純に溶けやすいからだね」

「……?」


「うん。ダマになったり上手く混ざらなかったりすると、舌触りとか美味しさに影響しちゃうから」

「ふーん……なるほど」


 確かに、お菓子作りをしていて『混ざらない』なんてなってしまえば、美味しさに影響が出るのだろう。


 すると、すぐにその人は『てんさい糖』が入ったボウルに『豆乳』を入れ、よくかき混ぜた。


 次に『びん』に入った白っぽいモノを取り出し、量ると……その『白っぽいモノ』を溶かし始めた……。


「これは?」


 僕は自分の鼻を使い、その『瓶』の中身の匂いを確認したが、特に特徴的な匂いもなく……というより何も匂いがしなかった。


「ん? コレは、『ココナッツオイル』だよ。ちなみにコレは『無味無臭』のモノ……味もしなければ匂いもしないタイプのモノだね」


「これも……普通のお菓子作りじゃ使わないですよね?」

「まぁ、そうだね」


 少し苦笑いをするとその人は、溶かした『ココナッツオイル』を先ほどの『てんさい糖』と『豆乳』、そしてひとつまみの『塩』を混ぜたボウルに加えた。


「それで、『乳化にゅうか』させるんだよ」

「乳化……ですか?」


 これまた聞いた事のない言葉である。


「うん。油と水の様に混ざらないモノに振動を加えて混ぜ合わせるんだけど……。うーん、例えば……ドレッシングを振って混ぜる……って言えば分かりやすいかな」

「まぁ……なんとなくなら……」


 この人曰く、『ココナッツオイル』は元々固まりやすく、冷やす工程のあるお菓子作りに向いているらしい。


「本当は溶かしたこのオイルを混ぜる時に、一気に入れて素早く混ぜないといけないんだよ」

「なぜ?」


「少しずつ入れると、また上手く混ざらなくなっちゃうんだよ」

「そうなんですか」


 どうやら、『バター』を使って作るのとは違うらしい……なんて呑気のんきに思いながら、袋に入ったナッツをほおばった。


「これに、『米粉』と『アーモンドプードル』を量ったモノを……。あっ、この『アーモンドプードル』は、アーモンドを粉末にしたモノで、コレを粉っぽくならなくなるまでヘラでよく混ぜる……」


 全ての材料を入れ、ボウルの中身を手際よく混ぜると、その人はすぐに中身をラップに包み、そのラップを四角にまとめ、冷蔵庫の中へと入れた。


「……」

「後は、冷蔵庫に十分から三十分ぐらい冷やすんだよ」


「あっ、そうなんですね。いきなり冷蔵庫に入れられたので驚きました」

「あー、そうだったね。何も言わずに入れちゃったから……と、この間に他の材料を……量らないと」


 その人は僕との会話もすぐに切り上げ忙しそうに何やら量り始めた……。


「……」


 僕は「今度は何をするのだろう?」と知らず知らずのうちに、この人の行動に目が離せなくなっていた。


「これでよし……っと」

「えっ!」


 なんて思っている内にその人は、あっという間に必要な材料を量り終えてしまった。


「さて……と、じゃあ待っている間にちょっとお茶でもしようか」

「……」


 あまりにすぐ終わってしまったので、僕はこの人が一体何を計量したのか全く分からなかった。


 しかし、そもそも『お菓子作り』はおろか、『料理』すらした事の経験がないヤツが、口をはさむのも……失礼な話だ。


「うん。計量を先にしておいた方が後の工程で慌てなくて済むからね」

「じゃあ、さっきはなんで先に計量しなかったんですか」


「それは……ただ単にその方が確実に作れるかなぁって思っただけだよ」

「……その方がかえって慌てると思いますけど」


「あはは。そうかも知れないね」

「……」


 なんて言って笑っていたが、実際のところ「いつもこうやって作っている」と言われてしまうと、僕は何も言えない。


 ただ『いつも通り』という『ルーティン』は人間だけでなく動物にもあり、大事なモノではあるよな……と妙に納得していた。


「……」

「……もうそろそろいいかな」


 小さく呟くと、そのまま冷蔵庫の中から先ほど入れた『生地』を取り出した。


「うん。これならくっつかないかな……」


 どうやら『生地』の状態はいいらしく、その人は『生地』を片手に持ったまま、冷蔵庫の扉を閉めた。


 そして、別の所では何やら紙の上にラップをしたモノを準備し、その上に生地を置いて麺棒めんぼうで伸ばし始めた。


「それで伸ばしたら……フォークで穴を開けるんだよ。そんじゃ、コレ。ハイ」

「?」


 なぜか突然その人は……僕にフォークを差し出した。


「えっ」

「ただ穴を開けるだけだから大丈夫だよ」


 いや、正直そんな事を突然言われても、戸惑う。


 しかし、なぜかその人の言い方は「バカにでも出来る……」なんて言われている様な気がし、僕は断りたくない気持ちになった。


「わっ、分かりました」


 しょうがないので僕はその人から『フォーク』をもらい、おもむろに『生地』に穴を開け始めた。


「よし、じゃあ次はコレを焼いて冷ます……と」

「……」


 すぐにその人は僕が『フォーク』で穴をあけた生地を受け取ると、ゆっくりとオーブンに入れ、『生地』を焼き始めた……。


 ただ、僕は『なぜこの時、突然お菓子作り手伝わされたのか……』という事は未だに謎だ。でも……そんな事以上にこの『お手伝い』が実は……かなり楽しかった。


◆ ◆ ◆


 そうして、『生地』が焼きあがると何やら『網』の上に『紙』と『生地』を一緒に置いた。


「よし、そんじゃ冷ましている間に……」


 今度は、これまた先ほど計量した材料の入った小鍋を『中火』にかけた。


「あれ……? この匂いは……コーヒーですか?」

「おっ、当たり。コーヒーを小さじ一杯だけ入れるのが隠し味なんだよ」


「そうなんですか。全体的に甘いモノになりそうでしたけど、そうではないんですね」

「うーん、そうだね」


 実は、さっきからの様子を見ている時から『砂糖』の代わりに『てんさい糖』を使っているとはいえ、『糖類』を大量に使っている印象があった。


 だから、僕はこの『フロランタン』というお菓子は、かなり甘いモノだと勝手に思っていたのだ。


「さて、このとろみがついたものにアーモンドスライスを……って、アレ?」


 コンロの火を消すと、なぜかその人は突然辺りをキョロキョロと見渡し始めた。


「あっ、すみません。移動させました」


 ようやく探しているモノに気が付ついた僕は、量り終わった『アーモンドスライス』が入ったボウルをその人に差し出した。


「ああ。驚いたよ。突然置いてあったはずの場所にないから」

「すみません。ちょっと邪魔になって……」


「あはは、大丈夫だよ」


 そう言って少し笑うと、受け取った『アーモンドスライス』を小鍋に投入し、よく混ぜた。


「よし、それでコレを……」


 小鍋を持ったまま先ほどの『生地』の上で手際よく広げ、いつの間にか温められていたオーブンの中に戻した……。


「それで、焼きあがって少し冷やしたら……」

「完成ですか?」


「いや、完全に冷める前に切らないと」

「……なぜ?」


「食べにくくなるからね。さすがに一枚まるまる渡す訳にもいかないし、冷まし切った後だと、割れやすいし、切りにくいから」

「なるほど……」


 そんな会話をしていたが、オーブンに入れられる前に見た『生地』は『美味しいお菓子』ではなく……ただの『木の板』にしか……僕には見えなかった。

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