エピソード

1.フロランタン


 見上げた先にあるのは『どこまでも広がる青空』ではなく、『見覚えのない建物の天井』だった。


「あれ……僕」

「あっ、起きた?」


 そう僕に話しかけてきたのは一人の人間だった。


 ――この世界は『人間』も『動物』も関係なく、言葉が通じる。


 普通は一方的に話しかけたり、かけられたり……と上手くいかない。しかし、この世界ではそれがない。


 つまり、話が伝わらない……というストレスはない。ただその代わりに、伝わるからこそ生まれるストレスがある。


「あの、ここは……」

「ここは『お菓子屋』だよ」


「お菓子屋?」

「そう、お菓子屋。ここで、色々なお菓子を販売しているんだよ」


「あの……なんで僕はここに?」


 人間たちが『よく行く場所』の一つとして話に聞いた事はあるが、行った事はない。


「さぁ? ただ、俺が見た時にはここの玄関の前で君が倒れていたんだ」

「えっ!?」


「……ん? 何でそこまで驚いているの?」

「いや、確かに僕はこの周辺に来ましたけど……」


 わざわざ人間が立ち寄りそうな場所にはそもそも近寄ろうとしない。


「でも、君はここにいるじゃないか」


 とても……優しい微笑ほほえみだった。


「それは……そうですけど」


 正直なところを言うと、空腹のあまり記憶が曖昧あいまいで、自分がどうやってここまで来たのか覚えていない。


「あっ、そういえばこの冬の間に大きな『山火事』が起きたらしいね。確か、あの時……かなり大騒ぎになっていた……って聞いたよ?」

「……えっ」


「ん?」

「その話。もっと詳しく教えてください」


「あっ……うん。俺もあまり詳しくは知らないんだけど」

「いいんです。少しでも状況が分かるのならそれで……」


 僕がうつむきながらそう言うと、人間は「分かった」と言いながら思い出すように、ポツポツと語った。


 原因は『山に住む住人による火の不始末』らしい。しかも、冬は乾燥しやすく火が燃え移りやすい。


 たとえ最初は小さな火で、すぐに消す事が出来たかも知れない。しかし、火というのはあっという間に燃え広がってしまう。


 その結果――取り返しのつかない事になってしまった様だ。


「でも、君はなんでそんな事を聞くんだい?」

「……」


 この人の質問は、ごもっともである。


「じっ、実は……」


 わざわざ教えてもらっておきながら僕は黙ったまま……で、そのまま話は進まないとは思っていた。それに、隠す程の事でもない。


「ふーん……。じゃあ、君は地面で『冬眠』をしていて運よく生き残れた……という事になるのかな?」

「そういう事になるんですよね……」


 確認という意味でこの人は聞いたと思うけど、そう改めて言われると……少し自信がない。


「…………」

「…………」


「ところで……」


 何やら僕に尋ねようとした瞬間――――


「ぐぅ……」


 どうやら僕の腹の虫は、どんな状況だろうとお腹が空けば鳴るほどかなり素直な様だ。


「……すみません」


 ただ『赤の他人』を前に鳴ってしまうと……やはり恥ずかしいモノである。


「いや、別に気にしなくていいよ。お腹鳴るって事は生きている証拠だからね」

「……」


 ただでさえうつむいているのに、今の音で僕はさらに顔を上げにくくなった。


「まぁ……とりあえず、ちょっとコレでもかじってて」

「コレ……は?」


 そんな僕に向かってその人は、何か『袋』をおもむろに差し出した。


「うん? ああ、コレは『ナッツ』だよ。お菓子を作るときに使っているヤツだけど」

「ナッツ……ですか」


 確かに、僕たち『リス』は『ナッツ』や『木の実』などを頬袋ほおぶくろにたっぷり入れてふくらませている……という姿をよくイメージされる。


 でも実は僕たち、基本的に何でも食べる『雑食ざっしょく』だ。


 だから、僕たちがよく食べるのは主に種やナッツ、果実に芽も食べる。だけど、ほかにも、植物やキノコなども食べられるのだ。


 でも、人間の周囲では、野菜を農地や庭の植物も食べるため、農作物に害を与える『害獣がいじゅう』とみなされる事もある。


「あっ、他のモノが良かった?」

「いっ、いえ。それよりも『待ってて』とはどういう……?」


「ああ。今から『お菓子』でも作ろうと思ってね」

「えっ、でも……」


 僕たちと人間では食べるモノが全然違う。それに、下手をすれば『毒』になってしまうモノもある。


「そうだね。俺と君じゃあ違うところが多いね。例えば……生活習慣とか?」

「えっと、一応僕たちは人間と同じように昼に活動して夜は寝ています」


「へぇ、そうなんだ」

「はい。あっ、でも睡眠時間は一日平均十五時間……くらいではありますけど」


「なっ、長いね」

「巣穴の中なら周囲に警戒する必要がないので」


 そう言うと、その人は「ああ、なるほどね」と何やら納得していた。どんなリアクションをされようと、僕にとってはそれが日常だ。


「あの」

「ん?」


「なんで僕にここまでしてくれるんですか? こんな、食べ物まで……」

「なんで……って聞かれても」


 ふと思った事を言っただけだ。しかし、その人は「うーん」と少し悩んでいた。


「まっまぁ、困った時はお互い様って言うじゃないか」

「たっ、確かに人間の言葉でそう言うモノがあるのは知っています」


「へぇ、物知りだね」

「ですが」


「お腹を空かせて玄関先で倒れている子を放っておくことなんて……出来ないよ」


 そして「それに……」と視線を僕から離し、店内に視線を移した。


「もう亡くなってしまったけど、母さん……動物が好きだったんだ」

「そうなんですか?」


「お菓子も好きな人だったけどね。だからよく怪我した鳥とか治してあげていたよ」

「あなたもそんなお母様の教えに従って?」


「そんな大層な話じゃないけどね。それにちょっと知り合いに『手土産に良さそうなモノを作って欲しい』って頼まれていてさ」

「はぁ……」


「多分君は食べられないと思うけど、それ食べながらちょっと見て欲しいなって」

「……なぜ?」


「まぁ、ちょっとしたお礼だと思ってさ」

「……」


 この人もそう言っているし、ここまでしてもらって『その調理している姿を見ている事』がお礼になるのであれば、ありがたい話だ。


「はぁ……それでしたら」


 一応、口では「分かった」と言ってはいたけど正直、納得はしていなかった。

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