hide creacher 35

 とある平日の日没間際。ある赤毛の男がざわざわと人の声で満たされた通りを呑気そうに歩いていた。

 行き交う人々は陽気そうに話し、店からは美味そうな料理の匂いと酒の匂いが漂う。

 それに混じって聞こえるのは人の怒号だ。


(あいかわらず変わらねぇな、この街は)


 マーダーは特に珍しがることなく先程勃発したチンピラ同士の喧嘩を見ていた。


 ここは郊外に位置するアウトシティ。中心部はさほどではないがなにかと治安が悪いことで有名である。現に、マーダーが本日目にする喧嘩はこれで三件目だ。

 そのたびにあちこちでパトカーのサイレンが鳴り響き、自警団らしき人物が慌ただしく行き来する。


 それが、このアウトシティでの日常である。


 マーダーは、くぁと欠伸を一発かました。


 最近彼の人格はほぼマーダーのほうであった。

 この辺りで黒狼のちょっとした情報でも集めてみようと思ったのである。

 その際に、この街で顔が広いのはマーダーの方であるのでそうしているということだ。知人の中にはマーダーが二重人格ということを知らない者もいる。

 もう一人の人格、スーサイドもそれに納得しているので問題ない。


 彼らは先天性の二重人格であった。


 どっちが元の人格がというのは愚問だ。

 彼らにとってはどっちも互いに必要な人格であり、切り離せない存在であった。


 マーダーはふらふらと歩いき大通りから外れていった。だんだん人の数が少なくなっていく。飲食店も空のテナントや夜間営業のバーが目立ってくる。もう暗いのに未だに入口にCLOSEの看板がかかっていた。


 この辺りにはその昔、極道として名が通っていた3つのグループが存在している。今では解体されたりして殆ど裏でこそこそと情報なんかを売り買いしたりしているだけだが。


 そのグループのうちの一ついわく、最近加えてこの辺りで黒狼のはしくれが出入りするようになったらしい。そこのグループのメンバーの一人が教えてくれたことだ。シマを荒らされて不満もあるが、とりあえず様子見ということで野放しにしてあるようである。


 彼らも下手に動くとすぐに目をつけられる動きにくい世の中なのだろう。もともと裏社会にいたマーダーは彼らに同情した。


 今日の方はそのグループのメンバーではなく個人の友人に会って知っていることを教えてもらった。あまり期待はしていなかったが、それなりの成果はあった。


 彼の話によると黒狼の首脳である鏡池をこの辺りで見かけたという。それと一緒に行動する男の姿も。

 その聞いた男の特徴からして、あのテロをおこした人物に間違いなさそうである。情報はジャスティーから事前に聞いていたのですぐにわかった。マーダーが知っているものではなかったのか残念であったが。


 どうやらこの辺りを収めるグループの一つ、九十九に協定を申し入れたそうだが断られたようである。あのグループの長は自分たちの利益よりも、厄介事を嫌う。

 3つのグループの中では一番力があるからそれを狙ったようだが、失敗に終わったようだ。


 懲りずにまた交渉に行くか、それとも別の所に協定を申し入れるかは彼ら次第。


 ぼちぼちとその流れをしばらく傍観させてもらうとしよう。


 マーダーはそう結論づけると、既に真っ暗な路地裏に入った。


 こういう町の路地裏ほど危ないものはないが仕方ない。人目の多い場所ではあのワープホールを使ったら騒ぎになるだろう。


 案の定、頭上からなにか降ってきた。マーダーは瞬時にそれと感知して一歩後ろに下がった。


 カァン、と高い音がしてアスファルトの地面に投擲ナイフが突き刺さった。


 それと同時に黒い影が降ってきた。それらはマーダーの前と後ろに降り立った。

 手には白く光るナイフが握られていた。


「……………やっぱり、お前らか。」


 マーダーがにやりと笑い問いかけるも返事はない。別に返事などマーダーにとって必要なかった。


 しばし睨み合った後、男たちが動いた。ナイフを振りかざし同時にマーダーに襲いかかる。


 マーダーは隠し持っていたダガーを手早く取り出すと、前の方にいた男のナイフを弾きあげた。路地裏に金属音が響く。

 アサシンを辞めても何かとダガーなどの刃物を携帯しているのはわりと普通の事だった。アサシンなんぞそうそう簡単に縁を切れるものではないなとその時実感した。


 後ろの男のナイフがすぐに襲いかかってくるが

 マーダーはそれが見えているかのようにするりとかわした。

 一発かましてやりたいところだがそんな暇はない。また前方の男が切り込んでくる。


 場所が狭いので大きく避けることはできない。マーダーはなるべく最小限の動きで避けようとするが、相手はその間を縫うように次々とナイフを突き出す。


 さすが黒狼といったところか。二人ともさぞかし暗殺には慣れている手練だろう。

 ラーヴァの件の失敗を学習して本格的な手練を投入してきたか。


 マーダーは目の前の男の刃を弾き飛ばそうと、持っているダガーを相手のナイフにぶつける。


 が、マーダーの手に明らかに強い衝撃が伝わってきた。


「…………っ!!」


 ナイフを持ったマーダーの手が跳ね返って弾きあげられる。

 そのできた隙に、別の男がナイフをチャンスと言わんばかりに突き出した。完全に隙を作ってしまったマーダーは避けることができない。

 ナイフはマーダーの脇腹にくい込んだ。


 たしかにナイフはマーダーの体に突き刺さり、ナイフの刃はどんどんマーダーの体に吸い込まれていく。


 が、そのナイフの柄までもが彼の体の中に吸い込まれていきナイフは完全にマーダーの体の中に収まってしまったのだった。


 男は突然の出来事に戸惑った。そして、武器なくなってしまったので一旦後ろに下がり距離をとった。


 後ろの男は一度引いたが、もう一人は再びマーダーに向かって襲いかかった。マーダーはそれを男の横に抜けるように避ける。


 マーダーが男の横に抜けようとした瞬間、男の子左脇腹に衝撃が走った。男がそこを見ると、自分の脇腹にナイフが突き刺さっていた。

 そして、ナイフの白い刃がマーダーの腕から伸びていた。ナイフがマーダーの体から抜けるのと同時に男はその場に崩れ落ちた。


 ナイフはもう一人の男が使っていたあのナイフだった。


 そんなに深く刺した覚えはないので死にはしないだろう。

 マーダーは倒れた男を気にかけることなく、もう一人の男と向き合った。口元は挑発するようににやりと笑っていた。


 男は床に突き刺さったままだった投擲用のナイフを慌てて引き抜くが、その間にマーダーが詰めてくる。


 男はなんとかマーダーの操るダガーに反応するが、何せ投擲用のナイフである。投げるために設計されていて薄いので強度はそこまでない。


 マーダーは好機といわんばかりに攻めていく。相手の隙に漬け込み、どんどんダガーを振り回していった。


 首を掻き切ってやってもいいわけだが、その場合返り血が酷い。

 それに暗殺業は辞めてしまったわけで、無駄に殺傷する必要はなくなったのだ。


 相手の首を切った時に飛び散る血の色が頭の中で乱反射するがマーダーはその衝動を押さえ込んだ。


 一際大きく金属音が響き、マーダーのダガーが相手のナイフを弾き飛ばした。ナイフは弧を描いて、路地裏の奥に飛んでいった。小さくカツンという音が聞こえた。


 マーダーはがら空きになった相手の脇腹に向かってナイフを突き出した。




『何を我慢している?』




 頭の中に声が響いた。


 一瞬だけマーダーのダガーがピタリと止まった。その間に男は距離をとった。


 マーダーもはっとして、一度男から離れた。マーダーは頭に手を当てた。


 今の声は誰のものだ?


 マーダーの頭の中に、その疑問が瞬時に浮かんだ。スーサイドの声ではない。しかし、突然頭の中に響いたようにも思える。


 その声の主はすぐに現れた。


 暗い路地裏から這い寄るように、足音が聞こえてきた。マーダーかその音がした方を振り返る。


「やあ、お久しぶりですね………。」

「………鏡池……。」


 マーダーがその姿を睨みつけた。鏡池と一緒にあのテロを引き起こした男も一緒に現れた。鏡池は黒いスーツ、あの男は寒いわけでもないのに黒いロングコートを着ていた。


「お前に久しぶりと言われるほど面識はねぇよ。」

「口が悪いですね。今日は……マーダーの方ですか?」


 マーダーは返事をしなかった。鏡池はそれに対してしたたかな笑みを浮かべた。


「………ったく、あの時はあいつらにしてやられましたよ。政府の犬は気まぐれなあなただけならともかく、あの人まで連れていかれてしまいましたからね……。本当に憎たらしいけどそこの実力はさすがと言いたいところです。」


 鏡池は懐かしむように、笑みを崩さず話した。


「今日は何をしにきた?」


 マーダーはダガーを鏡池に向けた。血はついていない、されど血を吸ったことがある刃が鋭く光る。

 ロングコートの男が鏡池の前に立ち塞がるが、鏡池はそれを制した。


「今日は交渉ということですこし出かけてましてね………でも、あそこもダメでした。昔のあの頃を思い出さないわけではないのに、一体どういうことか。」


 鏡池は肩を竦めた。


「そのついでにとはなんですが、今日作戦を実行するのをちょっと見物でもと。しかし、さすがですね。ちょっといいのを送り込んだわけですけどこうして見事に打ち倒してくれました。」


 鏡池はぱちぱちと手を鳴らして拍手する。後ろのまだ意識のある男が萎縮していくのがマーダーにはわかった。


「じゃあ、ここにいるのは暇つぶしって言いたいわけか?」

「ええ、その言葉が妥当です。けど……。」


 突如、閃光が地面を跳ねた。

 ロングコートの男がその裾を翻して迫る閃光をガードして、大きく避けた。


「ほら、お迎えが来ましたよ。憎たらしい犬です。」


 二人はすうっと影に溶け込むように消えていく。


「そもそもあなたにはもうそこまで用はないです。…………既に目的は達成しています、からね………。」


 鏡池はその言葉を残して、完全に姿を消してしまった。気づけば気絶している男以外いなくなっていた。


 それとほぼ同時に、上からまた誰かが降ってきた。ガコンと大きく音を立てて、路地裏に並べてあったゴミ箱の上に降り立つ。


「あーあ。逃げられちゃった。」

「よぉ。いつからいた?」


 ゴミ箱の上に座るジャスティーにマーダーが尋ねた。


「ついさっきだよ。君の携帯の位置情報見たら近かったから来た。」


 マーダーは実は、戦闘になる直前無差別に位置情報を送っていた。万が一のためだ。


 ジャスティーはゴミ箱の上からぽんと飛び降りた。

 マーダーはジャスティーの持っている銃に目を向けた。銃身は淡いグレーだ。


「変わった銃だな。それ閃光弾?」

「知り合いに借りたんだ。閃光弾と似てるけどちょっと違う。対クロウ用の特別な銃だよ。クロウへの効果は抜群だけど、普通の生き物に対してはほとんど殺傷能力はないやつ。」


 ジャスティーはその辺の床に向かって、何発か発泡した。銃口から光が飛び出し、タァンと軽い音がして辺りがぱあっと一瞬輝いた。


「何を話した?」


 ジャスティーは銃を懐にしまうとマーダーに問いかけた。


「いーや、ほとんどめぼしいことはねぇよ。あっのヤロー…………マジで暇つぶしに来ただけっぽかった。」


 思い出すとあの貼り付けたような笑みが急にムカついてきた。マーダーはいらいらをぶつけるようにその辺にあったゴミ箱を蹴った。

 その中身が零れ倒れている男の上に散らばった。


 決してわざとではない。


「あちゃ………。で、こいつはもちろん?」

「黒狼の刺客だよ。そっちで回収してくれるか?殺してないし多分その傷だと死にもしないなら放っておいてもいいけど。」


 出血が酷くならないようにナイフは刺さったままである。


 ジャスティーは傷を確認してナイフを丁寧に慎重に抜いて、適切な処置を行い始めた。処置が終わると今度は容赦なくガムテープを体にぐるぐると巻いて拘束した。


「まあ、後で回収してもらうよ。とっとと離れた方がいいでしょ。」


 ジャスティーはさらに路地の奥に入ろうとした。


「あー………なあ、一つだけいいか?」

「何?僕が犬呼ばわりされてたこと教えよっかって?」

「お前そこは聞いてたんだな。そうじゃねぇよ。もともと知ってただろそれは。」


 マーダーはほんの僅かの間、言葉に詰まった。その間はほんの僅かであったのでジャスティーは疑問には思わなかった。


「…………お前、多分この案件なるべく急いだ方がいいぞ………。」


 先を歩くジャスティーが少しマーダーの方を振り返ったが、すぐにまた歩き始めてしまった。


 マーダーはその後に続いて二人は路地を進んでいき、あのワープホールの中に沈んでいった。



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