hide creacher 33
とある平日の昼下がり。
アギリは講義室の机に突っ伏していた。
「……………どうした、お前……。今日顔色悪いぞ………。」
隣でテキストを用意するゲーデルが心配そうに声をかけてきた。
二人がなんだかんだで出会ってからおよそ1ヶ月ほど立っていた。アギリはかれこれゲーデルと互いにいろいろ、小物が高そうだの、だらしないだの、人の話を聞けだの、態度を改めろだの、こうやって無駄口を叩き合うようになってきた。
しかし、今のアギリはというと。
「…………………………。」
アギリは何も言わず突っ伏したままゲーデルの方を振り返った。その顔はいつもの健康的な面影は全くなくやつれきっている。
だれが見てもひと目でわかるほど軽口を叩き合うような状態ではなかった。
「…………その……。風邪でも引いたのか………?」
ゲーデルはこんなアギリの姿を見たことがなかったので戸惑っていた。明らかに対応に困っているようである。
アギリは違うと、首を振った。風邪はここ何年かひいていない。女性特有の体調が悪くなる日でもない。
そもそもこれは体調の方から着ているものではなかった。朝も普通に起きて、朝食をとって、課題を済ませてhide creacherを出てきた。
実は講習の方は1週間ほど休んでいたので久しぶりの登校となった。
あのテロのことがあってだ。
姉に心配されたのはもちろん、そしてKPの方からもしばらくは外に出ないで欲しいとのお達しが来た。どうやらKPは政府関係の人間らしくhide creacherの管理を任されているようであった。
KPも取調べの話はおそらく聞いていると考えていいだろう。細かいところでなにがどうなっているのかはよくわからないが、アギリは指示には従っておいたほうがいいと思ったので適当な理由をつけて休んだ。
そして、外出禁止も解けて外に出てみたのだが……………。
ここからが災難の始まりである。
明らかに周りの環境が違うことにアギリは気づいた。
なにが、どうと目に見える範囲が変わったのではない。アギリ自身の変化だ。
行き交う人の足音、会話、視線。走る車の音、距離感、スピード、大きさ。通りゆく自転車の気配。
その全てが以前よりも鮮明に感じ取れるようになっていた。いろいろな会話や気配なんかが頭の中を縦横無尽に飛び交ってキンキンと響いていた。それがここに来る間ずっと続いた。
空を飛ぶカラスの群れも何びき飛んでいるか何となくわかるようになってしまっていたのだった。
テロに巻き込まれたあの日から、ある程度感覚が研ぎ澄まされていた気はしていた。
しかし、ちょっと廊下を歩く人の気配を強く感じ取れるようになったくらいにしか思ってなかったし、あそこはそう人が何人も集まってワイワイするようなことはなかった。
だから気づかなかった。
人混みにいくとこんなにも周りの気配が頭の中になだれ込んでくることになるなんて。大量の気配は神経をすり減らすことになるなんて。
本当に全くこうなるとは思ってなかったのだった。
アギリは何とか電車に乗ったものの、そうとう車内で顔色を悪くして立っていたようで、年配のご婦人が心配して席を譲ってくれた。
それがとてつもなく申し訳なかった。
アギリは一体これはなんなのだとため息をついた。
第一に思いついたのは能力の変化というもの。一応例が無いわけではないし、昔の友人にもそういったことを体験した者がいた。
だとしたら厄介な変化をしてしまったものだ。
この推測が正しく、なんらかの能力の変化の場合ならジャスティーに報告すべきだろう。
報告した場合はまた検査になるのだろうか。
そうなった時はたぶん費用はあの人お得意の経費で落とされるのだろうとアギリはぼんやりと思った。
「うーん…………なんというか、すっごい疲れた…………。精神的に………。」
「はぁ……。急に1週間休むし本当にどうしたんだ。」
「それはちょっと用事で。これとはあんまり関係……………たぶん、ない。」
テロに巻き込まれたことは話していない。これもKPに口止めされていた。
話したところで彼には何のメリットもないだろう。むしろデメリットかもしれない。
アギリは億劫そうにずるずるとカバンの中からテキストを取り出した。
そして、それをパラパラとめくってみせた。空欄はほとんどなくきちんと問題は埋められている。
「テキストはあんたに送ってもらったぶんだけ進めといたけど………これでいいんだよね?」
「どれどれ……………。ああ、これで大丈夫なはずだけど………。」
テキストの中身をざっくりとゲーデルが確認してくれた。
テキストの中身は刑法について軽く触れたような内容だった。まだ前置きなのでここからだんだん内容が濃くなっていくだろう。
ちなみにゲーデルは学校の方でもこういった授業を受けているらしく、だいぶアドバンテージがあるらしい。
なのでアギリはわからないところはひたすら緑色の四角に白い吹き出しが書き込まれたメッセージアプリを使って聞きまくっていた。
そのやり取りは300件にも及んでいた。ここまで充実したやり取りのあるトーク画面を見るのは久しぶりでたった。実にあのひっきりなしに通知が飛んでくる学校のクラスグループ以来である。
「生まれて初めてこんなにこのアプリ使うことになったぞ…………。」
ゲーデルはトーク画面をするすると遡りながらぼやいた。
「その節はお世話になりました。」
「あと、お前打つの早すぎ。俺が返信して秒で帰ってくるあの長文はなんなんだ?」
「あんたが遅すぎるだけじゃないの?」
アギリはそう言うと、またそこに突っ伏してしまった。
人混みの中よりはマシといえど、この講堂でも人の声がやけに大きく聞こえる。ここのグループが何を話しているのかも何となく聞こえて頭に響く。痛い。
「………………あ。」
アギリは何かを見つけたように声をあげると、姿勢を直した。相変わらず顔色は悪い。
「ん?どうかしたか?」
「………来るよ。」
「何が?」
アギリは黙って一点を見つめている。ゲーデルはその視線を追いかけてみると彼女の視線は講義室の入口を向いていた。
ゲーデルが首を傾げていると、その引き戸ががらりと開かれた。
そして、講師であるセドが入ってきた。
「ほら来た。」
隣でポロリとアギリが言うのが聞こえた。ゲーデルが軽く驚いたような顔をしてアギリの方を振り向いた。
特に教室から足音が聞こえるわけでもないし、ここの位置は窓側なので廊下の様子がわかるわけでもない。
「なんでわかったんだ?」
ゲーデルが尋ねると、アギリは眉をひそめた。
「………………何となく……。」
本当にこう言うしかアギリはなかった。
ゲーデルはアギリの答えに不満げであったが、授業が始まってしまったのでこれ以上尋ねることは無かった。
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