hide creacher 32

「ふぁ…………」


 殺風景な窓もない狭い廊下に設営された長椅子に座り、アギリは欠伸をした。時間は既に午後九時頃になっているだろうか。

 廊下には特に人の姿はアギリ以外にはないから余計である。


 目の前に硬い字体で番号がふられた黒いドアがある。そのドアの向こうでは今、ハルが事情聴取を受けている。

 果たして、彼の事情聴取はうまくいっているのだろうか。


 この殺風景な場所は警察署である。壁には詐欺啓発や交通安全、能力乱用禁止などのポスターが並んでいた。色あせているのもあってかなりの年季がうかがえた。


 アギリ達は、あの崩壊しかけの建物からほぼ無理やり脱出した後、現地で軽い手当を受けた。そしてしばらくその場で休憩したり、自警団員から話を聞かれていたりした。


 ミズキはハルを見つけるなり、抱きついて泣きじゃくっていた。


 ハルはミズキの相手をしていてとても答えられる状況ではなかったので、その横でアギリは自警団の質問に淡々と答えていった。

 警団員はアギリ達の話を聞いた後、なにやら彼らは慌ただしくどこかに駆けていってしまった。そして、今度アギリ達の前に現れた時は後ろに何人かの堅い制服を着た警官らしき人物を連れてきていたのだった。


 自警団が存在する現代だが、彼らが主に取り締まれるのは能力関連や軽犯罪で、警官というものはちゃんと存在している。重大事件の場合は双方が協力して取り締まることが多い。


 彼らから言われたことは犯人の目撃者として署まで同行して欲しいとの事だった。

 その時探偵アニメなんかで、犯人が捕まる時に警部なんかが「署まできてもらおうか」と、いった感じをアギリは思い出した。


 二人はそのまま警官たちとこの建物までついて行き、しばらくしてからまずアギリの事情聴取的なものが始まった。


 閉塞的な空間に、アギリと警官二人で執り行われた。一人がアギリに犯人などの特徴を質問して、そのアギリが出した答えを書き取るというアギリの想像していたものと大差変わりはなかった。

 なんだかんだでとくに何も異変などはなく、気づけばあっさり取り調べは終わっていたのだった。アギリの取り調べはおおよそ三十分程度だったと後からハルに教えて貰った。


 そして、そのハルと交代して今に至る。

 ハルが部屋に入っていった直後に時計を見た時は8時半を少し過ぎたくらいだったので、もうすぐ帰ってくるだろうか。


 帰りは、例のあの液体を使って帰るようKPに小瓶を渡されている。

 アギリはポケットの中からその小瓶を取り出した。

 降ってみると普通の液体らしく、あのどす黒い液体が揺れてちゃぷちゃぷと音がする。

 この液体を塗ると、どこでもあの白色大きな木がある広場に繋がるので本当に便利である。しかも塗っても乾拭きで簡単に拭き取ることができる優れものだ。

 開発者はhide creacherの一員であるとジャスティーが言っていたがどんな人物なのだろうか。


 アギリはしばらく黒い液体の入った小瓶を眺めていたが、それをポケットに突っ込むと今度は小瓶の代わりに自分の財布を取り出した。


 財布を開けて、中の残高を確認する。中には札が数枚と小銭がそこそこ入っていた。

 今の状態はあのショッピングモールでは思っていた以上にお金を使わなかったので財布にはすこし余裕があった。


 アギリが余裕がある財布の中身を見たのは久しぶりであった。

 いつもは生活費なんかに普通に使い切るか、少し足りないくらいである。


 そして、昔本当にすっからかんになったことまで経験している。

 なぜそうなったかは、たしか当時住んでいた家の窓にクロウが突っ込んできて窓ガラスを粉砕してしまったからだったような気がする。

 さすがに雨風吹きさらしは困るので窓をしぶしぶ張り替える羽目になったのだ。(しかもちょうど梅雨時であった)

 突っ込んできたクロウによってできた黒玉で手に入れた現金を足しても窓の張替え代は足りなかったのである。


 あの時はひと袋十円(その出費も痛いくらいだったが)ほどのもやしや切ってもまた生えてくる豆苗や大根の茎なんかでつくる即席パスタや、一日中クロウを探しまわっていたりして一週間凌いだ記憶がある。


 後からラーヴァにこれを話したら、なぜそうだんしにこなかったのだとアギリは大目玉を喰らった。

 それ以来ことある事になにかと窓ガラスの事を使ってネタにされてきた。

 hide creacherに越してきて、それももうできないのかと思うと少し寂しいような気がしてきた。


 謎の寂寥を感じながらアギリは立ち上がると、ドアのすぐ近くにある曲がり角に向かって歩いていった。


 あそこを曲がった所に自販機がある。

 ちょうどそこでお茶でも買おうかと思ったのだ。アギリは結構長い間水分を取ってなかったので喉がかさついていた。


 そうぼうっとしながら曲がり角目前までアギリが歩いていくと、不意に曲がり角から人影が現れた。


「わっ!!」


 アギリは驚いて、思わず後ろに一歩下がった。なんとか、ぶつからずには済んだが相手を驚かせてしまったかもしれない。


「ご、ごめんなさい………ぼうっとしてまして……。」


 アギリはもどもどして人影の方に視線を向けた。


 そこには男の姿があった。すらりと引き締まった体に黒いスーツをかっちりと纏わせて、鈍い茶髪をバックにしてセットしてある。

 アギリは男に対して何でも万能にこなせるエリート、といった印象を受けた。


 何故かアギリは追加で頭を軽く下げ始めた。


 それをみた男はアギリの謝罪に軽く微笑んで返した。


「Ne t'embête pas ……」


「………え?」


 耳元で発せられた、伸びのあるテノールのどこかの異国の言葉にアギリは弾かれたように顔をあげた。

 その時には、あの男の姿はどこにもなかった。辺りを見回すも、まるでそこにいたのはアギリだけかのようであった。


「………ネト、ベツ……?…どこの国の言葉なんだろ……」


 首を傾げて朧気にしか覚えていない言葉を頭の中で反芻させるが、自分が理解することができる言語にどれも当てはまらなかった。


「……………?」


 不意に、頭の中に一つの欠片が見つかった。


 アギリはここであの声をどこかで聞いたことがあるような気がすることに気づいたのだった。


(………あれ?でも、どこでだ?)


 覚えているということは、わりと最近であるはずなのに、アギリは思い出せなかった。確かに聞き覚えはあるので何故か憮然としない。


 アギリは眉をひそめて頭をポリポリと掻きながら、自販機の巨体の前にたどり着いた。小銭を颯爽と投入して、ボタンを押す。


 ガコンという音がして、お茶といったらここと言われている王手メーカーの看板商品「うまーい、お茶」が一本出てきた。

 それを取り出し口から取り出すと、アギリはまたあの扉の前の椅子へと戻ってきた。


 ちょうどその時目の前のドアが開いて、ハルが出てきた。


「あ、終わった?」

「う、うん……………」


 アギリが声をかけると、ハルはこくりと頷いた。


 二人は目の前の椅子に腰掛けた。


「どう?どんなこと聞かれた?」


 アギリがハルに尋ねた。


「え、えーと…………だいたい、顔の特徴とか様子とか………あとは、能力……とか、かな……」

「ふうん。だいたい一緒か。」


 アギリはペットボトルの蓋を開け、お茶を少し飲んだ。飲みなれた味が口の中に広がった。

 アギリはこの「うまーい、お茶」よりも別の会社の「綾鷲」のほうが好きであったが自販機にこちらしか無かったので仕方ない。



「ミズキ…………大丈夫、かな………」


 ハルがぼそりと呟いた。その表情は心配の色だったが、どこか悲しみも混じっていた。


 確かにアギリもハルに同感であった。


 あの後ミズキとは再会できたものの、またここに連行(言い方が野蛮かもしれないが、おおかたこれで通じることを願う)されてしまった。

 ミズキの症状はやはりパニックの類ということらしいかった。


 ここでアギリがあることを口にした。


「なんか、意外だったなぁ………ミズキがああなるなんて。……まあ、パニックなんかに理由や意外もへったくりもないか……」


 アギリはミズキが臆病という印象は初めて会った時から特には感じなかった。世界のホラー特集やスプラッタ映画なんかも平然と見ていた。(むしろ、あの時はアギリのほうがビクビクしていたかもしれない)

 虫なんかも全く平気らしく、あの名前を言ってはいけない、生命体Gが現れても特に喚くことなくあっさりと能力で潰していた。ほんとうにぷちりという感じで。

 アギリ自身も、虫は平気だが生命体Gはさすがにいくらかビビる。


 アギリはGの末路を思い出しながら、ペットボトルの蓋をきゅっと閉めた。


 アギリの言葉の後半のはほぼ独り言に等しかったのだが、そこにハルは反応した。


「理由……………」


 再びハルが口を開いた。


「………理由は…………あるよ……」


 アギリは少し眉を動かして、ハルの方を振り向いた。


「理由?」


 しばらくの沈黙。


「…………僕の、せいだ……」


 ハルは自分の服の左袖をまくり始めた。

 そうすることで彼の地肌が顕になるのだが……。


 アギリは目の前の光景に言葉を失った。


 ハルの腕には夥しい量の皮膚が溶け赤黒くただれた熱傷が拡がっていたのだった。


 しばらくしてから、アギリはなんとか口を動かし声を絞り出した。


「………これは……」


 絞り出したはいいものの、この程度しか出てこなかった。


「………ケロイド……とかって言うらしいんだけど…………」


 ハルはそう言うと、まくっていた袖を早々に戻し始めた。アギリはハルが口を開くのを待った。しばらくしてから、ハルは絞り出したような声で話し始めた。


「僕達…………こういったテロとかを経験するのは初めてじゃなくて……。昔……だいたい六年?………くらい前かな。その日もミズキとああいう所に一緒に遊びに行ってた……。」


 アギリがこれらの顛末を推測するのは難しいことではなかった。

 ただ、今は黙って聞くべきなのか、それとも無理に話すのを辞めさせるべきなのかはわからなかった。頭の中がぐるぐると渦を巻いていた。

 結局、アギリはただ彼の話を聞くだけになってしまった。


「二人て一緒に逃げてたんだけど…………爆発が何度もあって………火も回ってきて……。そして何回目かの爆発の時…………僕は瓦礫の下敷きになった。」


 最後の方は、ほぼ消え入るような声だった。

 ハルの左手を掴んだままの右手が震えていた。その震えている右手の手の甲にもうっすらと火傷の痕が見えた。

 それに、彼の長い前髪も顔の半分を隠すようになっている。


 そういうことなのだろう。


「………無理に話さなくていいよ」


 アギリは見てられなくなってきて、口を開いていた。いまの自分の顔はまさに悲痛そのものを形にして貼り付けたようになっているかもしれない。

 ハルはアギリの言葉に対して、首を横に振った。


「………いいんだ。僕は記憶があやふやで……最後に覚えてるのは遠くでミズキの声が聞こえてきたことと…………目が覚めたら、病院だったってことだけだから……。」


 大丈夫だからと、ハルはこちらをみて微笑んだ。普段から困ったように笑う彼の笑顔は、今日は悲しみが入混じっているように思えた。


 一呼吸ほど置いて、話は再び続く。


「もう大丈夫なんだ……「僕」は、ね………。ただ……ミズキは目の前で僕が下敷きになったのを見てたわけだから、だいぶショックを受けたみたいで…………。それから、火とか爆発音とかを怖がるようになって…………僕がいなくなるのを極端に恐れる時期があった、かな……。」


 話によれば最近はそれも落ち着いてきて、ハルが隣にいなくても大丈夫にはなってきていたらしい。


 だが、今回の案件はまさにミズキの心にある傷そのものを抉るような事態だ。

 なんともないとはとても言い難い。


「……困ったら、言ってよ。何かできることがあれば力になるから……。」


 できることは数少なそうではあるが。アギリはそう思いながらもハルの手を握った。

 彼らの友人として、できるなら何でもしたい。それも同時に思っていたことだった。


 ハルは握られた自分の手を見て、アギリの方を真っ直ぐ向いた。

 そして小さくありがとう、と言うと困っているように見える笑顔を見せた。


 夜ももう遅い。

 二人は席を立ち、周りに人がいないことを確認してワープホールを作り上げその中に消えていった。



 たが、それを見ていたものがいた。


 近くに置かれていた観葉植物の影からひとつ、すうっと影が伸びていく。

 その影はもごもごと蠢き、やがて人の形となる。

 直後にはそこに一人の男が立っていた。


 この世のものとは思えないほど、天地がひっくり返るほどの美しい容姿。

 その宝石のような翡翠色の双眼が一層それを引き立てる。


「あー!いっけないんだー!盗み聞きしてるぞぉ!こいつ!!」


 彼の背後から、声はいいものの腑抜けたセリフが飛んできた。


「別にしようと思ってしたわけではない。結果はこうなってしまったが。それにお前も同じだろう」


 盗み聞きした内容は、おおかた既に知っていたのでさほど興味はなかった。

 ヒスイは眉間に寄せたシワを更に深くさせて、後ろを振り返った。


 そこにいたのは、あのオールバックの男だった。口角をあげて、にやりと笑っている。

 黙っていればいいのに、口をひらいた途端こうなるのだから目も当てられない。


「で、なんだあの言葉。お前らしくもない。」

「あ、そこも聞かれてた?」


 ヒスイが腕を組んで、鋭いその目で見ている。

 オールバックの男はまいったなぁと笑いながら、ワックスでかっちりと固めてあったくすんだ茶髪をわしゃわしゃと崩し始めた。

 何となく、固めてみたはいいもののやっぱり自分ではこっちの方が好みであった。


 そして、スーツの内ポケットに閉まってあったメガネを取り出した。


 ちなみに彼の視力は両眼2.0である。意味は無い度なしである。

 しかしこれがないと彼を、彼たらしめるためにどこか物足りないのであった。


 男はメガネをかけた。


 そこにいたのは、ワックスが付いたままのぼさぼさとした茶髪で黒縁のメ伊達ガネをかけてニヤリと笑うKPの姿だった。






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