君だったから、

「……は? 今、なんて」

 目の前の女性が何やら危ない発言をしている。これは、セーフか? アウトか? なんて呑気に考えてる場合じゃない。

「良かったら私を買いませんか、って」

「買う……って……ええっ?」

 買う、ってやっぱりことなのかな。なら、断るのが賢明だろう。だって僕は、と自己嫌悪のゾーンに入る寸前で我に返る。大体女性が簡単にそんな発言してはいけない、と注意してやらなくては、なんて本当は正義感なんかじゃない、ただ単に「良い人」でいたいだけ。善人ですよ、害はありませんよ、だから嫌わないでくださいお願いします、と見ず知らずの人に懇願する訳にはいかないじゃないか。

「買いますか、買いませんか」

 そうこうしていると女性がずずいっと迫ってきている。上手い言葉が見つからないまま、僕にしては珍しく感情そのものが口から零れていく。

「……いやいや、どうして君みたいな女の子がそんなこと言ってるんだ」

 僕は、怒っている……? うん、怒っているみたいだ。この感情は、多分怒りだ。何故? 今初めて出会って、突然服を引っ張って変なことを言ってくる、変な女の人じゃないか。僕の人生に関係のない人じゃないか。なのに、何故僕は、怒っているんだ?

「私の価値を探しているんです」

「価値? どうして、」

 ……気になる。そうか、僕は彼女のことが、気になっているんだ。どうしてだろう。何故だかとても懐かしい気持ちがしている。

 と、彼女がそれまで輝かせていた目をつまらなそうに伏せる。あ、これは、不味い。

「要らないなら他を当たるので。失礼しました」

 くるり、と背を向ける。今までの執着は無かったことになったようだ。このやろう。再び忍び寄ってきたのはやっぱり怒りだった。

「え、ちょっと、……ああもう」

 らしくない。本当に、僕らしく、ない。分かっている。厄介事は御免だ。女の子と遊ぶのだって面倒だ。僕は一人でいるべきだ。分かっている、分かっている、けど。でも。どうしてかは分からないけど、彼女のことを逃したく、ない。

 歩み寄って、腕を掴む。力を入れすぎず、でも、離さないように、振りほどかれないように。想像していたよりも華奢なその腕は、すぐにでもぽきりと折れてしまいそうで。

「なんですか、放し」

「買うよ」

「え」

「君を、買う」

 きょとん、とした顔に思わず吹き出しそうになる。何をそんなに驚くことがあるのだろう。君が望んだことじゃないか。

「……返品不可、です」

「……どうにかするよ」


***


 そして、今の僕は思うんだ。あの日君に出逢わなかったら、僕は今も体が冷たいままだったに違いない。なんてね。

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