桜の手品

【あらすじ】裕太は夏凛に結婚の申し込む。二人は、その答えも出ないままに何気なく入った手品小屋で、世にも美しい奇跡に出会う。二人の運命は、どこへ行きつくのか。





 息つく間もなく、次々と展開される手品に、夏凛は少女に戻ったかのような浮かれようだった。舞台で、一つ奇跡が演じられると、彼女は眼を華やがせてしばらく呆然としてから、はっと我に返り、他の観客に合わせて拍手した。

 立見だから、夏凛の表情は、彼女よりも頭一つほど背の高い裕太には、隣からうかがいにくかった。夏凛が時折、奇跡への感嘆を分かち合おうとこちらを向く、その時にしか目と目が合わない。

 しかし、裕太が知りたい夏凛の心は、このショーを楽しんでいるかではなくて、求婚を受け入れてくれるかということであった。裕太は、修辞ではなく真実に、人生を賭けて、結婚をしたいと願ったのだ。夏凛は、父の営む、女を売る酒場で、幼い頃から売り物として、生きている。そのせいか、なにもかもを、どうでもいいと受け流す、ぼんやりした女である。

 裕太は、そんな夏凛も、彼女の背負う運命も、なにもかもを受け入れようとしている。この街から、彼女の父から、いつまでも逃れ続けて、彼女を幸福にすることに人生を捧げようとしている。彼は、夏凛の哀れな軽さを、せつない美しさとして、愛したから。

 しかし、夏凛は裕太の決意の末の求婚をはぐらかすように、この手品小屋に入ったのだった。夏凛は、彼の申し出に、

「どうしようかなあ。どうしたらいいんだろ」

 と、ひとごとのように軽やかな口ぶりで呟いた。そして、ふと、この小屋に目をつけて、唐突にはしゃいで、

「あのショー見てからでいいでしょ? はやく見ないと。あたし手品って見たことないの」

 そう言いながら、裕太の手を強引に引き、入場したのである。

 いつまでも、ショーに熱中してばかりいる夏凛に、裕太はしびれをきらしかけた。彼がついに、答えを問い質そうと隣を振り返ったその時、客席がわっと声が起こり、夏凛もぽかんと口を開いた。

 つい誘われて、裕太も舞台の方を見ると、そこには、裸体の少女がいた。髪が金色で、肌は星明りのように白く、西洋の少女らしい。まだ身体にあどけない円みのある年頃だ。

 舞台の中央には、スポットライトに閃く剣が、剣先を上に向けて、据えられている。

 夏凛が、裕太の服の袖をぎゅっと摘んで、囁いた。

「なにするのかな、あんな可愛らしい子と、あんな綺麗な剣で」

 次いで、黒子が、高い脚立を持ってきた。

 少女が、一段ずつ、のぼっていく。

 そして、頂上に、しゃんと立って、いじらしいほど身近い両腕を、横に伸ばした。その下には、剣が冷たく光っている。

 まさか、剣先に向かって、飛び降りるのか。そう思って、流石に裕太も息をのんで見つめていると、またしても夏凛が囁いた。

「どうなるの? やっぱり飛び降りるの?」

「さあ。でも、きっとそうだろう」

「死んじゃう、そんなの」

「死なないから手品だ」

「そっか」

「飛び降りて、あのやわらかそうなお腹に剣が刺さって、それでも立ち上がって、生き生きと踊ったりでもするんじゃないか」

「そんなの、夢みたい。しあわせなことね」

「それが手品だろう」

「じゃあ、本当にそうなったら、結婚したげる」

 裕太は、驚いて、隣を見た。夏凛の横顔は、まるで変わらずに、手品に心を奪われている。今、結婚について話したなどとは思えない面差しだ。

 夏凛の美しさに、あらためて触れたようで、裕太は微笑んだ。

 そして、二人の運命を決める手品の方へ、彼が視線を戻すと、ちょうど、少女が、身体を落とすように、前へ傾いた瞬間であった。

 少女は、手を広げた姿のまま、ふわりと、静かに落ちていく。

 重力に身を任せた少女の白い腹と、銀色の剣先が、限りなく、近付く。

 どこかで、悲鳴が上がる。裕太の息が止まる。彼の袖を摘む夏凛の手の力が強まる。

 次の瞬間、腹に剣先が触れたに見える、まさにその刹那、ふっと少女が消えた。

 幻じみた一瞬の消失だった。少女の落下したはずの空間に、一筋の純白の煙が、揺らめいた。

 そして、今度は、どこかからか、桜の花びらが、客席に流れ込んできた。視界がほとんど桜色に染まるほどで、桜の花びらの海が頭上に波打つかのようであった。

 客席に、澄んだ歓声が響き渡った。

 その狂乱に掻き消されぬように、裕太は力いっぱい声を張り上げて、隣でよろこびに飛び跳ねている夏凛に、

「こういう場合は、結婚してくれるのか?」

 と叫んだ。

 すると、夏凛は裕太の手を握り締めて、うなずいた。

「心中しよ。結婚どころじゃなくて、心中して」

 鮮やかな桜色の狂乱のなかで、そう叫ぶ夏凛は、美しかった。

 裕太は、本気か冗談か、と迷ったが、しかし、夏凛は冗談で心中をする女だと思い直した。彼は叫んだ。

「ああ、心中しよう。俺も心中がしたい」

 二人は、鳴りやまない喧噪と舞い躍る桜の花びらに包まれて、深く抱き合った。

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